人生は一度きり・・・何を成し遂げ、何を残して死ぬか
当たり前のことですが、人生は一度きりしかありません。
輪廻転生し魂は肉体を交換して存続していくのでしょうが、今の名前がついている人生は1回しかありません。
前の人生を回想することもありませんから、今の人生は本当に1回だけなのです。
私はいつも誰かしら死を迎えるお客様の気功治療をしているため、死をみるのは日常になっています。
その意味で死とは、遥か先にあるものではなく、常に身近に存在するものになっています。
死を迎えるのは、確かに高齢者が多いものですが、中には私よりも年下の方もいます。
30代のかわいいお嬢さんもいました。
高齢者から順番にお迎えが来るものではなく、いつ自分の番になるかわからないのが実情です。
しかし、ほとんどすべての人は「何となく平均寿命位までは生きるのだろう」とのんびり構え、自分が死を迎えるとは微塵も考えることはありません。
80才を超えて5年・10年先の人生の展望を語る高齢者がいて、それは壮健でご立派なことと思いますが、私は来年位までしか展望できずその更新で年を重ねてきました。
後閑愛実さんの「1000人の看取りに接した看護師が教える 後悔しない死の迎え方」には次の様な一節があります。
何人もの死に立ち会ってきましたが、亡くなるときに「もっとモノが欲しかった」「何かを買っておけばよかった」と後悔している人に、私は会ったことがありません。 多くの人は亡くなるとき、「自分に生きた意味があったと知りたい」と思っているように感じます。
自分はどんな人生を生きたのか。 自分が何をして、どんな影響を世の中や周りの人に与えたか。 家族や周りの人をどれくらい幸せにできたか。 自分のやりたいことに挑戦できたか。
傍から見てどんな惨めな人生であれ、それに意味がないということはありません。
しかし、自分自身がこの世を去る時に、「北斗の拳」のラオウではありませんが、「わが人生に一片の悔いなし」と歓び勇んで死を迎えられるでしょうか?
実際、多くの人が自分のやりたいことに挑戦しなかったということに悔いを残すのだそうです。
「なぜあの時勇気をもってやらなかったのだろうか?」
「なぜ自分に言い訳をしてしまったのだろうか?」
自分が理想とする人生を創っていこうとする時、そこには障害も出て来ますし、それを乗り越える勇気も必要です。
勇気を持って決断し行動できなかったのは、いつまでも悔いが残ることでしょう。
しかし、もっと根本的な考え違いは、「人生がいつまでも漫然と続くと考えている」という点にあると思います。
私の場合、いつ人生が終了になるかわからないという緊迫感と覚悟を持って生きています。
ですから、時間はとても大事で、無駄なことはしたくありませんし、自分がやりたいこと、やらなければならないことに全力集中して生きています。
それが故に、朝の7時前から店に入り、夜は日付が変わってから帰宅する生活習慣を長く続けています。
新橋のサラリーマンの様に飲み屋で管を巻いたり、享楽に耽ったりするのは時間がもったいなくてできません。
「葉隠」(佐賀藩主・山本常朝著)には「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という有名なフレーズがあります。
この言葉にある様に、昔の武士は死を身近な存在と感じて生きてきました。
その意味で、私の心境はかつての武士に近いのかもしれません。
また、このフレーズの後には、「人間の一生はわずかの事なり。好いたことをして暮らすべきなり」という重要な言葉が続いています。
つまり、人生の残されている時間は余りないのかもしれないので、悔いを残さない様やりたいことをやるべきだというのです。
そして、やりたいことをやろうと思い立った時に、行動に移せるかどうかが人生の大きな分岐点になります。
私にとって人生で大事なのは気功治療でお客様を癒すことであり、今回公開した気功治療のノウハウで後進を育てることであります。
それは私にとっての人生のミッション(使命)であり、今世を生きた証となります。
だから、それに時間と労力を費やす生き方が、私にとって後悔のない生き方です。
事実、この講座の公開までに1000時間以上を費やしてきました。
この生き方を続けていれば、いつ何時死のお迎えが来たとしても、私は笑顔で逝くことができるでしょう。
皆さまにとって、後悔のない満たされた人生とはどの様な人生でしょうか?
人生に笑って幕を降ろすために、今何をしたら良いのでしょうか?
今回この話に触れた機会に一度ゆっくり考えてみていただければ幸いです。
死というものは、縁起でもないと忌避するのではありません。
死を見つめることで、生の密度が濃くなり、その輝きを放つのです。