こんにちは。
昨日のサットサンガは8月15日の終戦記念日に重なったため、説法のテーマを変更し、「あの日一体何が起こったのか?」と題し大東亜戦争終戦について語りました。
お盆にも関わらず、またスピリチュアルな話でもないにも関わらず参集してくれた生徒さん達には厚くお礼申し上げます。
私はこの国の行く末を憂う者の一人です。
コロナで乱痴気騒ぎをしているにわか専門家やマスク警察にもうんざりしているのですが、国家の運営はある意図をもって動かされていることを知らねばなりません。
それは必ずしも国民の幸福の増大を志向するものとは限らないことは歴史が証明しています。
「国を亡ぼすにはまずは教育から」と言われる様に、国家の弱体化を図るにはその国の教育を歪ませれば良いのです。
中でも歴史については、勝者(この場合アメリカ)の立場から作られたものをお仕着せられますので、我々日本人がなぜ戦ったのか、どのような戦いだったかというのは正しく伝えられていません。
それが故に、現代の日本人の歴史観は事実と大きく異なるところがあり、誤った歴史観を軸に現代を生きていこうとすれば、舵取りを大きく間違います。
これは陰謀論というレベルではありません。
能動的に史実を探求すれば、一般常識や学校で教えられた歴史と違うものがあることに気付くはずです。
学校教育が必ずしも絶対正しい訳ではありませんし、問題はたくさんあります。
学校教育においては社会科における近現代史の比重を大きくすべきであると考えています。
ところが実際のところはその濃い内容のところをすっ飛ばして授業をするところが多いですし、また暗記一辺倒の授業ではそこにはストーリーも感動もありません。
得点力をつけなければ教師失格ですから、講談の様な心揺さぶる授業を展開するゆとりはないのは仕方がないところです。
ついでに言えば、どこの大学入試も英語の配点比重が他の強化の1.5~2倍になっており、英語力の高い者が勝者になっていく仕組みになっているのは解せません。
英語は他の科目と同等の配点か、もしくは国語の配点を高くすべきです。
なぜ他国の言語を使う能力が、学歴の主要な要素になっているのでしょうか?
これも突き詰めれば、アメリカの占領統治の影響の一つではないでしょうか。
皆がそうと言っているのはありませんが、英語だけ上手く日本のことをまるで知らないペランペランの帰国子女が高等の大学に入学していくのは制度に問題ありと思います。
16世紀から始まった白人の植民地支配・帝国主義は世界全土に広がり20世紀初頭には日本とタイを残すところになっていました。
タイは緩衝地域として植民地になっていなかっただけで、厳密には日本(大日本帝国)だけが孤軍奮闘していたのです。
白人の植民地が拡大する過程では、和を以て併合できるわけもなく、暴力・殺人・拷問によってなされてきました。
いかに残虐な殺人が世界中で行われてきたか、その詳しい所は学校では学びません。
【参考】 ➡ 欧米植民地支配の残虐さ
英語を否定する訳ではありませんが、英語が世界言語になる過程では数多くの殺人があり多くの血が流されて来たことを知らねばなりません。
最も多く人を殺し苦しめてきた殺人国家の言語が英語であるのは間違いないのです。
「幼児の時から英語に触れないと英語脳ができない」と物心がつかない内から英語教育をする風潮がありますが、本当にそうなのでしょうか?
英語という言語がどのような言語か知らず、英語を無批判・無自覚に受け入れることになるので良くない傾向です。
明治維新以降、日本は富国強兵で国力を上げてきましたが、それはなぜかというと列強の植民地にならないための自衛です。
どのような思いで私たちのご先祖様が生きて来たか、特に大東亜戦争が何だったのか、どんな思いで若い兵士達が散華していったのか、私たちは知らねばなりません。
それを知らない、教えられていないというのは、中身のないフニャフニャのこんにゃくの様な人間が大量生産されている様にも見えます。
この様な状態ではアメリカが占領政策で意図した様に、真綿で首を絞められるかの如く日本という国は亡国の道を辿るのでしょう。
それでも、昨日の終戦記念日は猛暑とコロナ禍にも関わらず多くの人が靖国神社を参拝し2時間待ちという混みようでした。
心ある人がまだ国内外にたくさんいるのは実に励みになります。
75年前の8月15日、日本は食料も兵器もなく、国民が厭戦ムードで敗戦を迎えたのではありません。
本土決戦をするための兵力や兵器も残っており、大陸には連戦連勝でほぼ無傷の陸軍が残っていました。
国民の多くは戦意・士気高く、「さぁこれから本土決戦、本番だ!」だと高揚していた人が多かったのです。
しかし、昭和天皇は戦争を終わらせるという「聖断」を下されて、15日に玉音放送がされました。
「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」
というのは有名な一節です。
この「堪え難き・忍び難き」というのは、敗戦しこれから連合国の支配を受けることになる苦難に耐えていきましょうという意味も当然含まれていますが、前後のフレーズには
「今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾(なんじ)臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪え難きを堪え忍び難きを忍び、以って万世(ばんせい)の為に太平を開かむと欲す。」
とあります。
「爾(なんじ)臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。」
ここは「国民のみんなの本当の気持ちも十分わかっています」という意味であり、その文脈からすると「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」というのは、「十分に戦わずして敗戦を受け容れるという屈辱、戦わずして矛を収めるという悔しいという気持ちを耐え忍ぶ」という意味の方が大きいのではないかと推測します。
事実、陸軍は「戦わずして降伏する様なことは絶対に受け入れることはできない」と、昭和天皇を終戦に誘導した君側の奸を斬って軍政を布くクーデターを画策していました。
そのような非常に不安定な状況でありましたが、15日未明に阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣が切腹し、死をもって陸軍の暴発を鎮めました。
現代の日本人は、大日本帝国の軍人というと「悪いことをした奴」というダークなイメージを持っていますが、実際はそうではなく、人格も高潔で尊敬に値する立派な偉人がたくさんいました。
悪い印象を持っているのは、アメリカの印象操作です。
中でも、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣は素晴らしく、この人のお陰で終戦を迎えられたと言っても過言ではありません。
なぜ、日本はこの様な偉人を歴史の教科でしっかり教えないのでしょう。
終戦前後の激動のストーリーについて昨日のサットサンガで語りたかったのですが、元より話し下手ですし、1時間の枠ではとうてい語り尽くせるものではありません。
下記にリンクを貼りましたので、お手すきの時にご覧いただければと幸いです。
私も男泣きに泣きました。
涙なしには読めない記事です。
また、終戦時の鈴木貫太郎首相と阿南惟幾陸軍大臣の活躍は日本史上最大の決断であると「日本のいちばん長い日」で映画化されています。
小林よしのりさんの「昭和天皇論」でもマンガで熱く描かれています。
こちらも推薦します。
阿南大臣の遺書と辞世の句には次の様に書かれていました。
一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル
神州不滅ヲ確信シツヽ
大君の深き惠に あみし身は
言ひ遺こすへき 片言もなし
神州不滅…日本は神の国です。
「東亜の植民地支配の解放」を目指し、大日本帝国はアジア・太平洋全土で軍を展開し、1国でアメリカ・イギリス・支那・オランダ・オーストラリアと戦争をしました。
残念ながら敗戦を受け容れ、GHQの支配下におかれ苦難の時代を迎えたのですが、それにもかかわらずアジア・アフリカでの欧米の植民地支配は終焉し、各国が独立を果たしました。
白人国家の最終目標…日本の植民地支配を九分九厘まで果たしたところで大どんでん返しがあり、すべての植民地支配が瓦解した。
これはオセロで例えると、白がマスを黒一枚まで追い詰めたところで、すべてがひっくり返り黒で埋め尽くされた様なものです。
また、国体護持を条件にポツダム宣言を受諾したのですが、昭和天皇に戦争責任が及ぶことなく天皇制が続いていくことができました。(忠臣は極東国際軍事裁判で絞首刑になりましたが)
※日本は無条件降伏したという通説になっていますが、条件付きです。無条件ではありません。
更に、日本もドイツ同様に東西に分断される計画があったのも関わらず、分断を免れ現在に至っています。(米英中ソで4分割する計画もありました)
敗戦し日本がバラバラ粉々になるところ、数々の奇跡が重なって現在に至る道が拓かれました。
これは天皇陛下がいるからこそ成し遂げられたものであると信じますし、まさに日本は神州(神国)であると実感します。