修行道場設立の趣意書

いつも水野気功療法院・水野氣功塾をご利用いただき、またご神木プージャなどの活動をご支援いただき誠にありがとうございます。
かねてから修行場を地方に作ると各所でお話をしてきましたが、具体的な構想が固まって来ましたので、途中段階ではありますが、ここにご案内をさせていただきます。

修行場設立の趣旨

①水野氣功塾で霊性修行・気功治療家の修行をする人が集中して修行できる道場とする。
②ファイヤープージャ(護摩祈祷)をして国家や人々の祈祷をする祈願所とする。
③天皇・皇后両陛下の弥栄(いやさか)を祈る祈願所とする。
③病気に苦しむ人を気功治療する施術所とする。
④その他、自然療法やスピリチュアリティなどのリトリートができる場とする。
⑥シルディ・サイババ、大日如来、不動明王などの神仏を祀り、人々の心の拠り所となる場とする。

道場設立の場所

①首都圏から片道2時間程度の範囲内
②温泉が必須なので、温泉が敷地内か近隣に湧く温泉地

ご神木プージャ
ご神木プージャ

私は13年前から毎月九州の山中にある師匠の庵を訪ね、そこで数日間瞑想行やファイヤープージャ(護摩祈祷)をする修行を重ねてきました。
私が現在あるのも、そこで様々な修行をしたお陰です。
それと同様の施設を首都圏から気軽に通える地域に設立する必要性を感じています。

そこでは、日々護摩を焚き、日本の平和や天皇陛下の安寧と、人々の病気平癒や厄難消除を祈願します。

特に、現在の日本は先の大東亜戦争に匹敵する国難に見舞われており、しかもそれが多くの人に見えない形で進行し亡国の一途を辿っています。
国護りに立ち上がる人も現れていて、大和魂を持つ彼らの存在には勇気百倍心強く感じますが、いかんせん障害が多く、国を取り戻すには時間がかかりそうです。

政治経済の分野で日本が発展すべく活躍するリーダー達を、表で国護りする人とすれば、人知れず国家安康を祈願する者は、裏で国護りをする人と言えましょう。
その裏で支える極々一部の人の熱い祈りによって、表の人たちが動きやすくなっているのは確かだと思います。
しかも、その影響力は甚大で、あたかも表の人を、海上に浮かんで見える氷山とすれば、裏の人は、海中に沈んでいる海上より遙かに大きな氷山と例えることができます。

日本を護るために孤軍奮闘しているのが、天皇陛下でありましょう。
日本は神が護る神国でありますが、それは日本国の祭祀王である天皇陛下が日々の祈りの生活を続けてくださっているお陰です。
天皇陛下は誰からの評価や賞賛も求めず、公としてご自身の勤めを果たすことだけに専念し、ご祈願の日々を過ごしてくださっています。

そのような偉大な天皇陛下に並ぶべくもありませんが、微力ながらも鎮護国家の祈願を執り行いたいと思います。
私はそれが今世の最後のご奉公かと思っています。
自分の使命を果たして、思い残すことなくこの世を去ることができれば、幸せな人生であったと思えることでしょう。

それも何が何でもやらなければというエゴから来る願望ではなく、神仏が私をそれに相応しいとみなし、私を使ってくだされば、自ずと道は拓けるのではないかと思うところです。
すべては神にお任せの心境になっています。

私一人の力では何事も進みません。
資金も潤沢にあるわけではなく、なけなしの貯金をつぎ込んで実現させます。
できることをやっていくしかありません。

その施設は、護摩焚きをしますので、近隣の迷惑にならない土地が理想です。
護摩焚きをするのに適した建物がなければ、その敷地内にそれ用の別棟を作る必要があります。

それを考慮すると、できたら土地家屋の購入が望ましいです。
賃貸の場合は、無償貸借で使わせていただける土地があればありがたいです。
増改築が必要になる可能性もあります。
収益事業ではないため、賃料はできるだけ低廉に抑えたいところです。

このような趣旨にご賛同いただけましたら、是非ともご寄付を賜れれば幸いです。
もし、ご寄付をしていただいた場合、私の生存中は日々の祈祷の中であなたを忘れることなく息災であるようお祈りをさせていただく所存です。
ご協力の程宜しくお願い致します。

  • ドネーション(お布施) 一口10万円 

※10万円未満でももちろん結構です。
※万一、修行場設立が実現しなかった場合は100%ご返金させていただきます。

【振り込み口座】
ゆうちょ銀行
普通 〇三八店 8284131    受取人名 : ミズノヒロトモ
(記号番号:10310-82841311)

【寄付金送り先】
〒330ー0056
埼玉県さいたま市浦和区東仲町15-8グリーンスクエア602
水野気功療法院
048-799-2328

シルディ・サイババのお告げ

シルディ・サイババ
シルディ・サイババ

私は霊能者ではありませんので、普段見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりということはありません。
確かに人に見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりするのは凄いように思えますが、あまりにそのような超能力に執着すると低級霊に感応する危険性があるため、むしろそのような能力を身につけないように意識して修行してきました。

それでも、永く修行をしていると偶然にも声が聞こえる体験をしたことがあります。
声が聞こえるというのは、実際の音の波動を耳朶(じだ)で受けているのとは違う気がします。
脳内にその言葉が直接聞こえるというような感覚です。

その体験の内の一つはシルディ・サイババからのお告げでした。
それは、

「お前は将来乞食をやることになる」

というものでした。

「ゲー、オレは乞食になるのか」

と直後はいぶかしく思ったものです。

今になって思うと、乞食という意味は、住むところがなく街で物乞いをするということではなく、たくさんの支援者から寄付や支援金をいただきながら一つの公益になることをやっていくのではないかと思うようになりました。

修行場を作るということは、お金と交換で商品やサービスを提供する商売ではありません。
人様の善意からお金をいただくだけのほぼ一方通行です。(お祈りはさせていただきますが)
事業の売り上げというものはほとんど立ちません。

私の生活は、お布施をいただきながら、そのお金を修行や施設運営の用途に使わせていただく生活を送ることになるのでしょうか。
それをシルディ・サイババは「乞食」という表現をされたのではないかと思えてなりません。