2013年2月 バリ島修行記

2013年2月 バリ島修行記

 

インドネシア・バリ島での修行を終えて無事帰国しました。
これまではインド・ヒマラヤでなぜ今回はバリ島かというと、インドネシアはヒンズー教崇拝が盛んな国でその点がインドと共通だからです。
バリ島というとリゾート地ですが、私の場合まったく遊びの時間はなく海を見たのは飛行場からだけで、近くに行く機会もありませんでした。
ですので、海が綺麗かどうかもわかりません。
バリ島と聞くとそれだけで「いいなぁ~」と言われてしまうのですが、遊びに行っている訳ではありませんので完全に誤解されています。
ただ、食べ物だけはとても美味しく毎日インドネシア料理でも飽きないだろうと思います。
あと、温かいというかむしろ暑い気候も、寒さが身にこたえる日本の気候よりは大分ましです。
ヒマラヤだと寒いし、空気も薄いので肉体的にかなりきつくて気合が入るのですが、温かいのはそれだけで助かります。

 

インドやインドネシアなどの南方の国々ばかりで修行をしていて神国日本ですれば良いのにと思いますが、私は日本の神道や仏教の神々より、ヒンズーの神々の方がよりパワフルで身近に感じられます。
そのため修行の成果が短期間で出やすいと感じます。
山の山頂に登るルートが違うだけで、向かっている方向は国や宗教に関係なく共通と思います。
私は他国の宗教を通して神に近づく修行をしていますが、そこで高い境地に至れば日本の神々においても同じような境地を得ることができると考えています。
将来的にどのような方向に行くかはわかりません、全ては神任せです。
「日月神示」にも「日本人とは世界の民のことじゃ。一度日本すてよ。日本がつかめるぞ。日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。」(黄金の巻、第二帖)とあります。

 

インドネシアは同じヒンズーの神々を祀っていても祭祀形式や一部の神の名前がインドと異なります。
気(エネルギー)も違うようです。
この地の特徴はブラックエナジーと呼んでいますが邪気についての理解が進んでいることが一つに挙げられます。
人の病気や運命がブラックエナジーの影響を受けていることがあると自然に考えられています。
私は気(エネルギー)がある程度分かりますのでそれが真実であると考えていますが、多くの一般の日本人にはそのような考え方はありません。
病院はもちろんのこと、様々な代替療法の世界でも大半はそのような思想がありません。
この点において日本は完全に後進国です。
後進国と言うと少し語弊がありますか、かつては日本もそうでしたが明治維新後の西洋文明の流入により完全に忘れられたと言った方が適切でしょう。

 

今回の修行の目的はそのような邪気についてより深い感覚を磨き防御力を高めるためと、自分自身の浄化のためでした。
私たちの気(エネルギー)は色々な原因によって汚れきっています。
私はヒーリングでクライアントさんのそれを浄化して差し上げるのが仕事ですが、その過程で少なからず相手の邪気を受けます。
そのようなものや自分自身の過去世から現在に至るまでに積み重ねたカルマによってエネルギーが汚れているのです。
それらはやがて積もりに積もると病気や不幸となって自分自身が否応なく向き合わなければならなくなります。

 

自己浄化ということであれば私は日本でも日々マントラ瞑想を実践しています。
それはそれで効果はあるのですが、バリの聖者の下でする行はそれとは違います。
マントラ瞑想の様なお手柔らかな方法ではなく、強引に出し切る手荒な方法だったので、これは苦しかったです。
肉体的にかなり辛い苦痛を受けましたし、またある薬草を入れた水を飲み干し腹の底からオエオエと腹の中の物と一緒に邪気を吐き出しました。
これを毎回最初にやるのです。

 

肉体的な痛みを伴う浄化の行では私の人生の中で最も強い痛みを感じました。
続けて受けていると顔面が蒼白になって気絶しそうになったのを見て私の師(マスター)がストップをかけてくれて、そのお陰でその行が終了となりました。
その痛みの強さは麻酔をかけずに手術をするようなものと思います。
師もこの行をやった体験がありますので同じようなことを言っていました。
最初にやったときは涙や鼻水や胃液などあらゆる体液を邪気と共に吐き出しました。(汚くてすみません)
これは浄化のためには必須の課程だと思います。
一般的に知られていませんが、尿や便、おならやゲップ、体液・血液の排泄は身体の不浄な物を邪気と共に体外に排出する働きがあるのです。

 

なぜこうまでして自己浄化を徹底的にするかというと、自分自身の気(エネルギー)が浄化されていないと神のエネルギーが十分に受けられないのです。
更に高い境地に行くため、強いヒーリングパワーを得るためには避けては通れない行なのです。
このことは「日月神示」にもこう書かれています。

 

「着物脱いで裸体となることつらいであろうなれど、脱がねば新しい着物きられんぞ。裸になってぶつかれよ。神様も裸になってそなたを抱いて下さるぞよ。」(春の巻、第十帖)

「一升桝持ってきて一斗入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。大き桝持って来い。頂くには頂くだけの資格いるぞ。一歩ずつ進め。一歩ずつ絶えず進めよ。それより外に道はないのじゃ。」(春の巻、第十二帖)

 

「風呂には時々入るが、魂の風呂に行く人少ないぞ。より高い聖所へ参りて魂のアカ落とせよ。神示読んで落として下されよ。アカ落とさずに神の光見えんと申して、おかげないと、我善し申して御座るなれど、風呂に入らずにアカつくとは怪しからんと申すのと同じでないか。何故にわからんのじゃ。」(春の巻、第五十帖)

 

「木でも草でも皆、中から大きくなるのざと申してあろう、付け焼刃や膏薬(こうやく)貼りで大きくなるのではないぞ、三千年に一度という、またとない結構な時がめぐりてきているのであるぞ、為せば為るぞ、難しいことを申しているのではない、自分の中の自分を掃除して自分の外の自分を洗濯して磨けと申しているのぞ、磨けば神と同列のミタマぞ、釈迦ぞ、キリストぞと申してあろう、内にあるものを磨けば外から響くものも、磨かれた穢れのないものとなるのぢゃ、中の自分を掃除しないで居るといつまでたっても、岩戸が開けていても岩戸は開けん。」(扶桑の巻、第十三帖)

そろそろバカンスでバリ島に行ったのではないことが分かって頂けましたでしょうか?

バリ島は神の島と言われる様にあちらこちらに寺院があります。
日本の神社よりも多い様に思います。
神の力(=ヒーリングパワー)を得るという点でも、今回はかなり強い力が降りてくるのを感じることができました。
これもご縁のあったバリの聖者・Z先生のお陰と感謝しています。
このZ先生の法力は長年インドで修行をしインドの聖者に負けず劣らずの力を持つ私のマスターでさえも驚くべき力を持っていました。
Z先生のお弟子さん達もこれもまた凄いエネルギーで驚きました。
この様な世界があるのだなぁとただただ感嘆するばかりです。
今回は短い滞在でしたが、これからは頻繁にバリ島で修行をしていくことになりそうです。

修行においてすべてのことは神任せで、ご縁がなければ聖者ともめぐり合わないし法を伝えられることもありません。
この世界では、自分から会いに行っていると思っていても聖者が呼ばなければ会えることはないと言われますし、また必ず神の意思がはっきりと働いているものと言われます。
先のことはわかりませんが、きっと人を救うためという純粋な動機を持っていればまた先の世界に進めるのではないかと考えています。

 

【2013年2月13日】