大東亜戦争講義– ~戦後80年、日本人はいかにして戦ったか~ –

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大東亜戦争の真の姿――目的・経過・犠牲

ここからは大東亜戦争そのものについて、さらに深くお話ししていきます。
先ほどまでの話は、戦後の情報操作や占領政策がいかに私たちの認識を変えてきたか、というものでした。
では、その占領前に実際どんな戦争があったのか――ここを正しく知ることが、とても大事なのです。

1. 「大日本帝国」という国の姿

まず、戦争を戦った当時の日本――「大日本帝国」についておさらいしましょう。
この国号は、幕末の頃、外交文書の中で使われはじめ、明治以降は正式な国名となりました。
1947年、いわゆる日本国憲法の施行まで使われ続けます。
大日本帝国は、世界史上で「最後に登場した帝国」とも呼ばれます。
帝国と聞くと、植民地支配の象徴のように思われるかもしれませんが、日本の場合は少し違います。
国際連盟から正式に委任統治を受けた地域、租界・租借地、軍事占領地、そして勢力圏――これらを合わせた領土が、最大で740万平方キロにも達しました。
これは世界史上15番目の規模。地図を広げれば、満州、朝鮮半島、台湾、南洋諸島、東南アジアの広い範囲に及んでいたことがわかります。
この数字だけでも驚かれるでしょう。なぜ日本がそこまで広がったのか――それは単なる侵略ではなく、当時の国際情勢が強く関係していました。

黄緑:国際連盟による委任統治領(破線)、満州事変前後を含む租界、租借地、進駐、軍事占領地・勢力圏(出典:wikipedia)
黄緑:国際連盟による委任統治領(破線)、満州事変前後を含む租界、租借地、進駐、軍事占領地・勢力圏(出典:wikipedia)

 2. 世界情勢と大東亜戦争

当時の世界は、欧米列強がアジアやアフリカを植民地として支配していました。
イギリスはインドからビルマ、マレー半島、香港を支配し、フランスはインドシナを、オランダはインドネシアを、アメリカはフィリピンを支配していました。
中国は列強の半植民地状態で、租界と呼ばれる外国の治外法権地区が各地に存在していました。
つまり、日本を除くアジアの国々は、ほぼすべてが欧米の植民地だったのです。
そんな中で、日本は唯一、近代化に成功し、独立を保ったアジアの国でした。
この事実は、戦争の目的を考える上で欠かせません。

「世界が語る大東亜戦争と東京裁判」(吉岡貞昭/ハート出版)
【出典】「世界が語る大東亜戦争と東京裁判」(吉岡貞昭/ハート出版)

3. 大東亜戦争の目的

では、日本はなぜ戦争を始めたのか。
それは「西欧列強の植民地支配からアジアを解放する」という理念でした。
1941年8月、近衛文麿首相はこう声明しています。

「日本の戦争目的は、東亜の解放、アジアの復興であって、東亜民族が植民地的地位を脱して、各国平等の地位に立つことが、世界平和の基礎であり、その実現が即ち戦争目的であり、この目的を達成することをもって日本は完全に満足する」

この言葉には、当時の日本の立場と決意が凝縮されています。
つまり、大東亜共栄圏――アジアの国々が対等な立場で共に栄える地域秩序――を築くことこそ、戦争のゴールだったのです。

4. 戦争目的は達成されたのか?

結果として日本は1945年に敗戦しました。
しかし、戦後間もなくアジア諸国では独立の動きが相次ぎます。
インドネシア、ベトナム、フィリピン、インドなどが、欧米列強から独立を果たしていきました。
これらの国々の独立指導者の中には、日本軍の進駐や支援に触発され、また日本の軍事教育を受けた人物も少なくありません。
また、終戦後も現地に残って、現地の人たちと一緒に独立を戦った日本人が数多くいました。
終戦と知ったら、国に帰って家族や愛する人とどんなに会いたかったことでしょう。
それでも、帰国したい思いを断ち切って、欧米列強と戦ったのです。

国家として敗戦を受け容れたが、日本は世界の植民地支配を終わらせた。
一部の歴史家は「日本は戦争に負けたが、目的は達成した」と評価しています。
つまり、敗けながらも当初の戦争遂行の目的を達成した。
それはまさに神々のなせるわざであったといえます。

5. 「太平洋戦争」という呼び方の問題

私たちが学校で学んだのは「太平洋戦争」という名前でした。
しかし、これはGHQが占領下で決めた呼称です。
日本政府は当初から「大東亜戦争」という名を使っていました。
東亜とは、文字通りアジアの意味で、大アジア戦争なのです。
1941年12月8日、日本は米英に宣戦布告。4日後の12日には、「支那事変」と日米開戦を合わせて「大東亜戦争」とする閣議決定を行いました。
太平洋戦争では、日本とアメリカが太平洋でタイマンするような意味合いになり、アジアを解放するという目的が消えてしまいます。
呼び名を変えることで、その戦争の意味や目的までも薄めてしまう――これは情報戦の一部でもあったのです。

6. 戦いの規模と相手

大東亜戦争は、有史以来最大規模の戦争のひとつでした。
相手は、中華民国、イギリス、アメリカ合衆国、オランダ、オーストラリア、さらにこれらの同盟国。
つまり、日本は世界の大国をほぼすべて敵に回して戦ったのです。

この時点で、戦力的には極めて不利でしたが、日本は「負けるとわかっても戦わなければならない」状況に追い込まれていました。

7. 犠牲の実態

この戦争の犠牲は膨大です。
軍人の戦死者は約212万人。そのうち、陸海軍で174万人、降伏後に殺害された捕虜が38万人。
さらに東京裁判の不当判決によって巣鴨プリズン(池袋のサンシャイン60の辺り)で死刑となった人が1068人いました。
民間人も大きな被害を受けました。
広島原爆で約20万人、長崎で約14万9000人、東京大空襲で約10万人――これは都市そのものが焼き尽くされた数字で、民間人の虐殺です。
ほかにも大阪、名古屋、福岡など、全国の都市が空襲で大きな被害を受けました。
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