大東亜戦争講義– 戦後80年、日本人はいかにして戦ったか –

目次

4. やむなく立ち上がった大日本帝国――安全保障という名の必然

1941年、日本は本当に侵略戦争を仕掛けたのでしょうか?
その答えを探るためには、当時の日本が置かれていた現実を直視する必要があります。
資源のほとんどを海外からの輸入に頼り、しかもその供給路をアメリカやイギリスに握られていた日本。
石油、ゴム、鉄鉱石――これらはすべて、南方アジアに依存していました。
もしこれらが断たれれば、産業は止まり、数千万の国民が職を失う。これは単なる経済問題ではなく、国家の生死に直結する問題でした。

1. 昭和天皇の御製に込められた想い

対米戦争開戦を決める御前会議(天皇陛下在席の会議)の直前、昭和天皇は一首の御製(和歌)を詠まれました。

四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思う世に
など波風の立ちさわぐらん

(四方の海――それは地球全体の海。そこに暮らす人々は皆、同胞であるはずなのに、なぜ争いが絶えないのか。)

この歌からは、侵略や支配とは無縁の、深い悲しみと平和への希求が感じられます。
これが、本当に侵略を望む為政者の心でしょうか?

 2. 最後通牒――ハル・ノートという絞首台

1941年11月26日。
ワシントンの冷たい空気の中、日本全権大使・野村吉三郎と特使・来栖三郎のもとに、一通の文書が手渡されました。
それが、アメリカ国務長官コーデル・ハルの名を冠した「ハル・ノート」です。
全8項目に及ぶ要求は、外交文書の体裁を保ちながらも、実質的には日本に武器を置けと言う降伏文書に等しいものでした。

その主な要求はこうです。

  1. 中国および仏印からの即時・無条件撤退
  2. 満州国の否認
  3. 日独伊三国同盟の事実上の破棄
  4. 蒋介石政権との単独交渉・承認

この4つを呑むということは、日本が15年以上かけて築いてきた大陸での地位、そして安全保障の前提を完全に放棄することを意味します。
特に満州は、日本にとって単なる領土ではありませんでした。
資源供給基地であり、ソ連からの脅威を防ぐ防波堤でもあったのです。
これを失えば、経済も安全も同時に崩壊します。

外交の世界では、交渉とは譲歩の積み重ねです。
しかしハル・ノートには、日本側の譲歩を引き出す余地はまったくありませんでした。
これは話し合いのための文書ではなく、「これを呑むか、戦争か」という二択を突きつけるものでした。

この文書を読んだ日本全権団は、愕然としました。
野村吉三郎は海軍大将としての冷静さを持つ人物でしたが、この時ばかりは机の上に手を置いたまま、しばらく言葉を失ったといいます。
来栖三郎もまた、「これは最後通牒だ」と呟き、交渉の終わりを悟りました。
東京に送られた電報を受け取った東条英機首相は、内閣会議でこう言いました。
「これでは、我が国の自主と尊厳は地に落ちる」
つまり、この瞬間、日本は外交的に包囲され、後退すれば国家の命運が尽きる状況に立たされたのです。

この文書が東京に届いてから、わずか12日後――
1941年12月8日、日本は真珠湾を攻撃します。
その決断は、軍部の暴走ではなく、外交の袋小路と資源封鎖によって追い詰められた末の、苦渋の選択でした。

3. 海外からの証言――日本は追い詰められていた

戦後、東京裁判のインド代表判事ラダ・ビノード・パールは判決文にこう記しました。

「ハル・ノートと同じ通牒を受け取ったならば、モナコやルクセンブルクでさえ米国に対して武器を取ったであろう」

ハル・ノート――これはアメリカから日本への最後通牒であり、その条件は、満州からの全面撤退、中国からの即時撤兵、さらに日独伊三国同盟の破棄。
これは、当時の日本にとって国家の根幹を否定するに等しい要求でした。
マッカーサー元帥もまた、日本の開戦理由をこう分析しています。

マッカーサー元帥

「日本原産の動植物は、蚕をのぞいてはほとんどないも同然である。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫(すず)がない。ゴムがない。ほかにもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していたのである。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万人から一千二百万人の失業者が日本で発生するであろうことを彼らは恐れた。したがって、彼らが戦争に駆り立てられた動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだった

敵国の元帥ですら、日本が侵略の野望からではなく、自存自衛のために立ち上がったと証言しています。
つまり、戦争の動機は領土拡張ではなく、生き延びるための安全保障だったのです。

4. アメリカとイギリスの真意

後年明らかになった記録から、ハル・ノートの背後にはルーズベルト米大統領とチャーチル英首相の思惑が見えてきます。
彼らはすでに、欧州戦線でドイツを叩くために、日本を参戦させて太平洋戦争を引き起こす算段を立てていました。
ハル・ノートは、そのための開戦スイッチだったのです。

元アメリカ大統領ハーバート・フーバーは回想録でこう述べました。
「もし我々が日本を挑発しなければ、日本から攻撃を受けることはなかった」

さらに、イギリス軍需生産大臣オリバー・リットルトンは、驚くべき言葉を残しています。
「日本がアメリカを戦争に追い込んだというのは虚構だ。真実はその逆、アメリカが日本を真珠湾に誘い込んだのだ」

この言葉は、戦争の構図を根底から覆します。
米英は、日本を経済制裁で締め上げ、自尊心を持つ国なら必ず武力行使せざるを得ない状況に追い込んだ――それが歴史の真相なのです。

目次