「人、虎孔裡 (じん、ここうり) に墜つ」・・・愛と誇りを残す生き様

今回は出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)について少し話をしたいと思います。
戦前から戦後にかけて生きた出口王仁三郎は宗教大本を創始した人物の一人です。
出口王仁三郎は大変スケールの大きな人間で、語り尽くせない感があります。

出口王仁三郎
出口王仁三郎【出典wikipedia

私は2000年前のイエスキリストに匹敵する人物であるとそれ位に思っていますが、大本は国に弾圧された立場であって出口王仁三郎は正当な評価を得られていません。
出口王仁三郎も自身を「私が死んで100年経たないと私の事はわからない」と言っていました。

出口王仁三郎は神によって動かされていた人物で、70~80年前に大本という宗教団体を作りました。
大本は多くの信者を獲得し、その勢力は国家として無視できない程に拡大していきました。
出口王仁三郎についてはいずれ詳しく書かなければと思うのですが、簡単にはまとめられず時間がかかるので、それはまたの機会にします。

大本は二度国家の弾圧を受けました。
第一次大本事件と第二次大本事件です。
特に、第二次大本事件(1936年3月13日)では大本は完膚なきまでに叩き壊され、亀岡の神殿はダイナマイトで破壊され、信者も多く検挙され、拷問を受け多くの人が亡くなりました。

教祖の出口王仁三郎も治安維持法と不敬罪で逮捕され、激しい拷問を受けました。
その後の大阪控訴院で高野綱雄裁判長と「人、虎孔裡(こうり)に堕つ」禅問答をしています。

話は判事が予審調書をねつ造したと、出口王仁三郎が内容をその否定する部分です。

出口王仁三郎
「裁判長、私の方から一寸お訊ねしたいのです。禅宗の間答に『人、虎孔裡 (じんここうり) に墜つ』というて、一人の人間が虎の棲んでいる穴へ誤って落ち込んだと仮定して、その時落ち込んだ人はどうしたらよいのかという問答があります。裁判長、あなたはこれをどうお考えになりますか。」

裁判長
「私は法律家で宗教家ではないから、そんなことは分らぬ。お前は宗教家だから分かっているだろうが、それはどういうことかね。」

出口王仁三郎
「人間より虎の方の力が強いから、逃げようと後を見せると、直ぐ跳びかかって来て噛み殺される。歯向かって行ったら喰えて振られたらモウそれきりです。ジッとしていても、そのうち虎が腹が減って来ると喰い殺されてしまう。どっちにしても助からないのです。」

裁判長
「それはそうだろうな。」

出口王仁三郎
「ところが、一つだけ生きる途(みち)があります。それは何かというと、喰われてはだめだ、こちらから喰わしてやらねばなりません。喰われたら、後に何も残らんが、自分の方から喰わしてやれば後に愛と誇りとが残る。その愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だ、というのがこの問題の狙いなのです。」

それを聞いて裁判長は「う~ん」と唸ってしまったという記録が残されています。
ここでは、虎のことを大本を弾圧した国家に例え、虎の穴に落ちた人を自分自身と大本に例えているのです。

死に様はある意味生き様の集大成、結晶ともいうべき有り様です。
たいしたことない平凡な人生を送ってきたとしても、死に様が美しければそこで永遠に枯れない華が咲きます。

私たちは少しでも寿命が延びるようにと願い、長生きが素晴らしいと考えています。
しかし、昔の武士はそうではなく、「武士道とは死ぬことと見つけたり」と『葉隠』にあるように、恥を晒(さら)すくらいならいつでも名誉と誇りのために潔く命を捨てるという矜持(きょうじ)がありました。

大和魂は何かと言えば、答えは幾つもあって一言でまとまりませんが、一つにはそのような誇りと覚悟を持つ生き様のことをいうのだと思います。