2021年12月のご神木プージャも、プリースト(司祭)の師匠から参加者の皆様にギフトがありました。
最近の傾向では、ドネーション(お布施)を1万円以上いただいている方には、特別なギフトを用意していただけるようになりました。
それで、今月は特別ギフトに黒アムリタと呼んでいる浄化覚醒用の甘露をいただきました。
この黒アムリタは蜂蜜をベースに数々の伝承の秘物が漬けられていて、これを続けて飲むと身体や意識が変わってきます。
薬師如来の左手にある薬壺の中にあるものがアムリタです。
黒アムリタは非常に高価な含有物が入っているため、斡旋価格も高額です。
水野氣功塾では、密教瞑想講座皆伝という最高レベルの受講生向けに提供している物です。
これまでにも数人の皆伝受講生に提供してきましたが、それ以外の生徒さんには非公開になっています。
この黒アムリタの成分にはビックリするような物が含まれていて、これまで密教瞑想講座皆伝の受講生にはお知らせしてきました。
今回、「成分をお伝えしてもいいですか?」
と師匠に尋ねたところ、
「『このような法物は〇〇が入ってる、△△も入ってる、だから効きそうだ』と考えるものではない」
「師匠が弟子に必要だと考えて渡すものなので、例えそれに何が入っていようが、『わかりました』と疑うことなく進んで飲むようでなければならない。霊性修行とはそういうものだ。頭で考えて判断するものではないのだ。」
「まして、内容物を伝えたところでわからないのだから伝えなくてもいい。口外する必要はない」
という指導を受けました。
したがいまして、今回は黒アムリタの成分を公開することはありません。
ですが、世にも貴重な成分が含まれていますので、受け取った方は心して服用していただければと思います。
今回、黒アムリタをいただけたのは、師匠の感謝のお気持ちでしょう。
毎月1万円以上のドネーション(お布施)を欠かすことなくお納めいただく方が何人もいます。
それを継続していくことは、決して簡単なことではないはずです。
その熱心な気持ちにお応えしたものと思います。
しかし、師匠はここで一つの懸念を吐露しました。
「毎月こうしてギフトを差しあげていると、それをもらうことが目的となって参加する人が出てくるのではないか?」
『「今月はギフトはないのですか?」と聞かれた弟子がいたのだが、水野君のところではそんな人はいるのか?』
「いや、私は長年ご神木とドネーションをお預かりしていますが、これまでそのようなことを参加者から問われたことはありません」
とお答えしました。
「それは、客層が良いのだろうな」
と師匠は納得されていました。
ドネーション(お布施)は、私が一時的にお預かりし、満額を師匠にお渡ししています。
1円たりとも私が貰ったことはありません。
別にこれは師匠から「やりなさい」と強要されたものでもありませんし、得点稼ぎやゴマすりでやっているものでもありません。
何となく流れでやるようになったものです。
ご神木を集めたり、ギフトを発送したりする事務作業が発生し、それはそれなりに労力を使いますが、それも私なりの奉仕(カルマヨーガ)の形であると考えています。
ドネーションは、私が預かり、師匠の下に渡っていますが、現実的にはそのお金は師匠の懐に入るものです。
それは、ご神木プージャに掛かる高価な香木などの経費や修行にかかる原材料費などに充てられています。
しかし、ドネーションの意味はそれは神に捧げる感謝の気持ちであり、その表現がお金であるというものです。
神はお金をもらってそれで嬉しいということはありません。
「おっ、この人は1万円だぜ、やったぜ!」と思わないはずです。
日本銀行券は日本でしか使えないもので、天界では当然ながら通用しません。
神は人がお金に乗せて捧げる感謝の気持ちを汲み取っているのです。
同じ1万円だとしても、月収が10万円の人の1万円と、月収が1000万円の人の1万円では重みや価値が違います。
だから、神は参加者の皆様がお金に乗せている「お願いします!」「ありがとうございます!」という気持ちのエネルギーを受け取っているのです。
そのエネルギーが神にとっては嬉しいのです。
「ドネーションはいくら納めたらよいかわからない」という人がいますが、そのような時、私は
『自分が「少し痛いなぁ」と思える金額を納めるといいです』
とお伝えするようにしています。
また、ドネーションは〇円納めたから、何か対価をいただくという商取引ではありません。
だから、本来はドネーションを納めたからといって、何かギフトが出るということはないのです。
ですが、私がかなり以前から師匠に無理を言ってギフトをお願いしていたことが慣習化され、ギフトが出るのが当たり前になりました。
しかし、それは本来の形ではないということをご理解いただきたいと思います。
今後もご神木プージャのギフトは何かしらいただけるものと思いますが、必ずあるとは限りません。
たとえギフトがなくてもそこで「なんでないのよ!」と不満や文句を言うのではなく、
「しっかりお祈りをしていただいたので、それだけで私は満足だ」
と自然に思えるようになるのが、人間ができている証左ではないかと思うところです。