2023年11月25日ご神木プージャの炎
11月25日(土)22時~約40分間恒例のご神木プージャ(護摩祈禱)を執り行いました。
今回も皆さまの願意が叶うようご祈願させていただきました。
いつもご参加いただいている方、初めてご参加いただいた方、ありがとうございます。
仙人師匠共々厚くお礼申し上げます。
今月のマントラ カーリーマントラ
今回のマントラはカーリー女神のマントラでした。
カーリーのマントラは、
「オーム クリーム(ン) カーリカイ シュコンシル スワハー」
です。
ジヴァのマントラでもオッケーですが、カーリーマントラを唱えて祈ってくださった方も多かったことでしょう。
※マントラはブログやX(Twitter)で案内していますのでご覧ください。
カーリーはシヴァの奥様で、戦いの女神と言われるドゥルガーがバージョンアップした女神です。
描かれる像は、まるで悪魔かと思えるような怒りに狂ったお姿ですが、ある意味女性の本質を表していますし(笑)、ジヴァの腹上で狂気に乱舞する画は深い意味があるように思われます。
そんなお姿のカーリーですが、悪の軍勢を単騎で一掃した逸話がある最強の女神です。
インドでは大変人気がある神様です。
人気があるとは、言い換えると力が強大で現世利益的だと言うことです。
人々の問題や悩みを解消したり、願いを叶えてくれたりするということです。
人間で生きる以上、割り切れない思いや、醜い感情に囚われることもあります。
生きていると辛いことが何かと多いものです。
それはマザーディヴァインであるカーリーが創造するマーヤ(幻想)です。
人間としての弱さに直面した時は、カーリーを想ってマントラを唱えてみましょう。
きっと問題を解決してくれるはずです。
カーリーは決して怖い存在ではありません。
私は長年カーリーを信仰していますが、今回のプージャで初めてカーリーが愛おしく感じられました。
今回ご神木プージャに参加した皆さまは、遠隔でカーリーのエネルギーが伝授されました。
次月のプージャまでこのカーリーマントラを唱え、カーリーとの神縁を一層深めてください。
また、邪気祓い開運堂では、カーリー女神の神像を斡旋しています。
カーリーをお祀(まつ)りしたい、カーリーを身近に感じていたいという方は、この機会に入魂済みのカーリー神像をどうぞお求めください。
邪気祓い開運堂から注文できない方は、メール(quanyin28@gmail.com)やお電話(048-799-2328)でも受け付けています。
金属製、約6.5センチ
68,000円(税込・送料無料)
辛いのはあなただけではありません
この世界で生きていると、苦しいなあ、辛いなあと思うことがたくさんあります。
そんな時、何で自分だけがこんな目に会うのだろうと悲しくなります。
生きているのが辛いと、自分の価値がわからなく無力感に苛(さいな)まれ、死んだ方がマシだと悲観的になります。
なぜ人生はこのように苦しいのでしょう?
「人生は心一つの置き所」
と言われるように、意識がネガティブに向いているため、そう感じるのです。
かつて、シルディ・サイババは言いました。
「全ての人は私の目から見れば平等だ」と
これはサイババのような根源意識(神意識)から見れば、仮に一つの人生が惨(みじ)めであっても、転生する幾つもの人生を俯瞰(ふかん)すれば、すべての人の人生は等しいものに違いありません。
だから、「何で自分だけ・・・」と思えてしまうような惨めで苦しい状況であっても、実は自分だけではなく、皆同じように体験をしていると考えた方がいいです。
人は、自分だけが苦しいと我慢なりませんが、他人もそうだと知るとなぜかそこまで苦しくなくなります。
意識をネガティブなものや無いものにフォーカスすると、いつまで経っても人生は悲惨な色合いを見せ、幸せな境地に至ることはできません。
幸せな人生を送るコツ
幸せな気持ち・感情、それは多幸感と言います。
一般的には、それは何かを得たから幸せになる、人から称賛されたから幸せになると考えられています。
大金を得る、欲しかった物を買う、何かの肩書きやタイトルを得る、有名になってチヤホヤされる・・・など、そのようなことが起きたら嬉しいし幸せですよね。
それは快楽ホルモンのドーパミンが脳内でブワッと放出され、まるで麻薬をやった時のように一時的に高揚感を得られるのです。
ドーパミン的な幸せ、快楽報酬系の多幸感は、確かに舞い上がるような人生の幸せを感じられますが、それは外部依存的なものであるため、長続きしません。
わかりやすく言えば「水野さん、素敵ね!カッコいい!」と言われれば、有頂天になって、「オレって幸せだなぁ」と鼻の下を伸ばして幸せを味わいます。
しかし、そのようにいつまでも称賛してもらえるものでもありません。
称賛されなくなる、または逆に批判されたりしようものなら、幸せは一気に吹き飛んでしまいます。
外部の刺激によって得られる多幸感は、永続することはなく、いつか消えてなくなってしまいます。
外部の刺激からもたらされる快楽報酬系の多幸感を否定するわけではありませんが、それは補助的なものにするくらいの方が安定した人生を送れます。
ある証券会社にお勤めのお客様から聞いた話です。
その人は富裕層向けの営業をしていて、そのような方々と話をする機会が多くあります。
その方の顧客は数億円〜数十億円の資産を持っていますが、それでも「足りない」「もっとほしい、もっとほしい」と言うのだそうです。
一体、何に使うのでしょうか?
なぜもっとほしいのでしょうか?
おそらく、社会貢献活動や人助けのために必要ということではなく、エゴを満足させるためにもっと欲しいと言っているのだと思います。
このような人々は、一向に満足することを知らず貪欲に欲しがる性質から餓鬼と同じです。
「豊かさは足るを知ること」と言われるように、満足することを知らなければいくら財産があっても全く豊かではないということになります。
仏教では十界(じっかい)という考え方があります。
人間の心の境地を十種に分類したもので、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞(しょうもん)界・縁覚(えんがく)界・菩薩界・仏界に分類されます。
声聞(しょうもん)界・縁覚(えんがく)界・菩薩界・仏界の四聖と、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界の六道から構成されています。
それぞれ簡単に解説します。
六道
① 地獄界
あらゆる恐怖に苛(さいな)まれた状態。心配や不安に苛まれ怯(おび)えて生きている人々。
② 餓鬼界
眼前の事象に固執する餓鬼の状態。「もっと食いたい」という餓鬼のように飽くなき欲求に執着して生きている人々。先に挙げた資産家がこれに当たる。
③ 畜生界
動物的本能のままに行動する状態。食欲、睡眠欲、性欲、物欲、支配欲など、欲望のままに行動する状態を指す。肉体的欲求を満たす刹那(せつな)的な生き方。今だけ自分だけ良ければいい、人の心を解さない自分本位の人々。
④ 修羅界
会話を持たず「武力」をもって解決を目指す状態。日常的な喧嘩から国家間の戦争に至るまでの全般を指す。軍事大国の国家元首もこのレベル。または、商売や組織内人事でも、誰かに負けまいという競争意識で生きている人々。
⑤ 人界
平常心である状態。だが、人間的な疑心暗鬼を指すともされる。
⑥ 天界
諸々の「喜び」を感じる状態。主に瞬間的な喜びを指す。先述した快楽報酬系のドーパミン的幸せを感じている人々。
四聖
⑦ 声聞(しょうもん)界
仏法を学んでいる状態。仏法に限らず、哲学・文学・物理学、さらには大衆娯楽や子供の戯言に至るまで「学ぶ」状態を指す。
⑧ 縁覚(えんがく)界
仏道に縁することで、自己の内面において自意識的な悟りに至った状態。仏界における「悟り」とは根本的に異なる。
⑨ 菩薩界
仏の使いとして行動する状態。自己の意思はともかく「行動」そのものを指すとされる。衆生救済の菩薩行に生きている人々。
⑩ 仏界
悟りを開いた状態。
あなたの境地はどこに相当しますか?
お金や地位や肩書きをもっともっとと飽くなき求める心境は、世間的には評価されていても、仏教的に見れば餓鬼に過ぎません。
また、先に解説したドーパミン的な幸せ感は、天界に相当することになります。
六道輪廻という意味は、何回も何回も生まれ変わり生き死にしても六道を延々と輪廻し、一向に魂の境地が上がらない状態をいいます。
魂の境地が上がるには、外部からの刺激によって幸せになるのではなく、常に多幸感に満ち足りている状態になることが大事です。
それには意識の持ち方を変える必要があります。
今ここにあるものに感謝をする意識になるのです。
1番良いのは、身体に感謝する意識を持続すると良いでしょう。
私たちは身体がある程度健康で正常に機能するのが当たり前と思っています。
だから、それに感謝することもほとんどありません。
私は常日頃から病気の方に相対していますので、健康であること、身体が正常に動くことを当たり前とは思っていません。
ある程度健康で身体が機能してくれていることを奇跡的だと心底思います。
私たちの身体は意識しないで動かしている部分がほとんどです。
全て自律神経の采配の下で、全自動で最適に動いています。
いわば、身体(肉体)は魂がこの3次元の世界を体験するために着ている超高性能のモビルスーツみたいなものです。
心臓を自分で動かしていますか?
まばたきは意識してやっていますか?
梅干しを見て唾を増やそうと思っていますか?
胃酸や胆汁などの消化液を出そうと思って出していますか?
ホルモンの分泌は自分でやっていますか?
おしっこやうんちはどのように作っていますか?
体温はどのようにして36℃台で維持していますか?
身体に良くない異物やウイルスが入ってきた時に、どのように排除していますか?
これら全て自分で意識してやっているものではありません。
全て無意識下で行われるものです。
何一つ自分でできないし、それだけに故障・誤作動した場合になかなか自力で修復できないのです。
私は全て神が動かしてくれている、神経という神の経(道)に電気信号を送って指示していると考えています。
だから、ほどほどに正常で身体が機能してくれることが例えようもないくらいありがたいのです。
身体が正常に機能することに感謝し多幸感を得る方法のメリットは、次のようなものです。
それは、神の意思の下で自律的に動く身体に感謝することで、神の恩恵を常に感じることができ、神と一体になって生きることができるという点です。
病気の人と自分を比較し、優位に立つことで得る外部刺激的な幸せ感とは全然違います。
朝起きてトイレに行くと、おしっこがジャーと出ます。
それも当たり前のことではありませんから、朝起きてすぐ私は感謝し、「ありがたいなぁ」と思うのです。
おしっこもいつかは出なくなるのですよ。
病院で死ぬ時は、尿管に管を突っ込まれて排尿する時が来ます。
他人事ではないのです。
普通におしっこがシャーと出るのは、実にありがたいことです。
うんちもそうです。
毎日出てくれるのはありがたいことです。
形がバナナみたいにしっかりとして臭くないうんちだと尚のことありがたいです。
うんちも腸閉塞があったり、がんが腸を塞いでしまったりすると出なくなります。
その場合どうなるか?
肛門から出ないので、胃や食道を逆流して口から出てきます。
以前のお客様で、がんで1ヶ月大便が出ない人がいました。
がんなどで腸を切除して肛門から排便できない人もたくさんいます。
そのような人はお腹にストーマという袋をぶら下げてそこから排泄します。
それは自分の意思で排泄できないので日常生活が大変でしょう。
普通に肛門から排泄できるのは、実にありがたいことです。
このように、当たり前に思っていることは実は全然当たり前ではありません。
目が見えていること。
全盲の人はほんの一瞬でもいいから我が子の顔を見たいと心底願っています。
視力を失えば、全てが闇に包まれた世界で生きることになります。
その不便さは想像に難(かた)くありません。
普通に視界が開けているのは、実にありがたいことです。
声が普通に出ること、これもありがたいことです。
声が出ること、当たり前に思っていませんか?
がんの手術で声帯を失えば、もう声は出ません。
意思疎通も一苦労です。
気持ちを声で伝えられること、表現ができること、歌えることは、実にありがたいことです。
普通に歩いて移動できること、車で移動できること、これもありがたいことです。
脳卒中で脳の一部が破損した場合は、半身不随か寝たきりになり、ベッドから動くことができません。
たまに車椅子に乗せてもらって外に少し出ることができるくらいに移動が制限されます。
それすらも難しいかもしれません。
普通に移動できるのは、実にありがたいことです。
朝までぐっすり寝ることができる、これもありがたいことです。
アトピー性皮膚炎の人は夜中に激烈な痒みが襲ってきます。
痒くて痒くてボリボリ皮膚をかいて眠ることができません。
掻きむしって血だらけになり、さらに皮膚から滲(にじ)み出る滲出(しんしゅつ)液(えき)で衣類がグッチョリ濡れてしまいます。
朝起きたら寝具は皮膚の粉だらけになっています。
夜中に襲ってくる痒みは地獄の苦しみです。
そのような痒みもなく、綺麗なスベスベ肌で、朝まで寝ることができるのは、実にありがたいことです。
呼吸を意識せずにできていること、これもありがたいことです。
肺がんや肺炎など肺の病気の人は、息が満足にできず苦しい状態が続きます。
それは陸上で溺れている苦しさと例えられます。
何の障害もなく自然に呼吸できることはありがたいと思いませんか?
息が苦しくない状態は、息がずっと苦しい人にとっては天国ではないでしょうか?
私たちはどのような病気でも最終的には肺炎が直接的死因になることが多いのです。
だから、いずれ人生の幕引きの時にはそのような低酸素で息苦しい状態が続くことを覚悟しておいた方がいいかもしれません。
このように病気の状態を少しあげてみました。
これ以外にも無数の病気があります。
ほんの少しの身体の不調、わずかな痛みでもQOL(クオリティ・オブ・ライフ)は格段に落ちます。
そのような病気と何とかうまく付き合いながら生活している人は無数にいます。
そうした人たちは自分の病気や症状がなければ、どんなに幸せだろうかと考えています。
年をとれば誰しも少なからず身体の不調はあることでしょう。
それでも、そこそこ健康で、大きな苦痛もなく過ごせることができていれば、それはとてつもなくありがたいことで幸せなのです。
そう考えると生きていることだけで幸せです。
ひょっとしたら今日一日漫然とダラダラ過ごしてしまった人もいることでしょう。
この世界のどこかに死に瀕した人がいて、その人はあと一日何としても長らえたいと願いつつも叶わずこの世を去ったのかもしれません。
何としても生きたいと叶わぬ夢を見ている人が望む一日を、何気なくただ生きることができているのですから、ありがたいにも程があるでしょう。
現代人は無いものや不足しているところに目を向けて心配をし、不満を口にしますが、今あるもののありがたさに意識を向けた方がいいです。
他人と比較する必要もありません。他人と比較すれば「あの人にはあって、私にはない」と、自ずと無い方に意識が向いてしまうからです。
有るものに意識を向ける。
そうすれば、自然といつも穏やかに幸福感が持続し、外部からの刺激に依(よ)らない幸せな人生を歩むことができます。
私たちがこの世界に生を受けた理由の一つは、幸せになることです。
より正確に言えば、幸せに成るのではなく、幸せで在ることに気付くことです。
もう既に充分過ぎるくらい幸せなのです。
幸せで在りましょう。
12月サットサンガ(真理の集い)の説法について
2023年12月のサットサンガ(真理の集い)のご案内です。
今回は、
『シルディ・サイババの言葉から真理を得る』
です。
シルディ・サイババは約100年前に現存した聖者です。
人間でありながら、人の魂ではなく、神の魂を持つアバターだと言われ、インドでは各所に祀られています。
今の聖者に聞いても、「シルディ・サイババはシヴァだ」というように、人間として見ていないようです。
実に不思議な存在です。
シルディ・サイババの生涯と残した言葉から、真理とは何かということをお伝えできればと思います。
【対面】 12月9日(土)15時~17時 / 参加費4,000円
【zoom】 12月11日(月)20時~21時 / 参加費1,000円
ご関心がある方は奮ってご参加ください。
→ サットサンガ
ギフトと次回のプージャのご案内
ご神木プージャでは、数ヶ月前から1万円以上のドネーション(お布施)の方には、ご神木に虎皮を巻いて特別プージャをしています。
虎皮でパワーを増強しているため、一層強力なエネルギーが届くのではないかと思います。
師の師匠のインドのスワミもかつて特別プージャとして、タイガースキンプージャというスペシャルなプージャをしていました。
それは虎の皮を使ったプージャで、参加費は50万円だったそうです。
インドでも虎皮は手に入りませんから、その値段も頷けるところです。
しかし、師の庵では毎月それをやっていますから、いかに貴重であるか想像に難くありません。
今回ご神木プージャにご参加くださった方々にはプリースト(司祭)の師匠からギフトを預かっています。
ドネーション(お布施)が1万円以上の方と、そうではない方と、ギフトが違います。
お手元に届くギフトを大切にご愛用いただければ幸いです。
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最近は、Twitterで正確な開始時間を告知しているため、その時間に合わせて瞑想やお祈りをされている人が増えてきている様です。
また、今回はTwitterでお知らせしたカーリー神のマントラ、「オーム クリーム(ン) カーリカイ シュコンシル スワハー」でプージャをしました。
22時からの開始に合わせて、カーリー神のマントラで一緒にお祈りをしてくださった方も多かったことでしょう。
もちろん、シヴァのマントラ(オーム・ナ・マ・シヴァ・ヤ)でも問題ありません。
そして、気に敏感な方は「凄いエネルギーが来ている!」「プージャが終わった頃、身体が軽くなる!」と嬉しいご感想をメールで寄せてくれる人も少なくありません。
プージャのエネルギーを感じることができたら、プージャに参加している実感がより高まるから喜ばしいことではありますが、感じる感じないは気(エネルギー)への感度の個人差があるため気にする必要はありません。
肝心なのは、プージャに参加し共に神仏にご祈願することで、お悩みの問題となっているカルマ(業/因縁/メグリ)のエネルギーが浄化され、願意到達に着実に近づいているということです。
さて、次回のご神木プージャは、
12月23日(土)の夜(22時頃)
に開催します。
(ご神木の締め切りは、12月19日 火曜日です。)
※締め切りを過ぎて到着したご神木は次月に回させていただきます。こちらから特に連絡は差し上げませんので、ゆとりをもってお届け願います。
自分の願いの成就を後押ししてほしい方は、下記のページ中にある。「ご神木プージャお申込みフォーム」に必要事項を入力し送信してください。
ご神木プージャは1本3000円以上のご喜捨(お布施)で承っています。
➡ 「邪気祓い開運堂」 「願いを叶えるファイヤープージャ」
たくさんの方のご参加をお待ちしております。