2024年10月19日ご神木プージャの炎
10月19日(土)22時~約40分間、恒例のご神木プージャ(護摩祈禱)を執り行いました。
今回も皆さまの願意が叶うようご祈願させていただきました。
いつもご参加いただいている方、初めてご参加いただいた方、ありがとうございます。
仙人師匠共々厚くお礼申し上げます。
ございます。
仙人師匠共々厚くお礼申し上げます。
シルディ・サイババ像の入魂儀式
今回のご神木プージャでは、仙人師匠が製作したシルディ・サイババ像の入魂を行いました。
プージャの時間にご自宅で瞑想していた人はエネルギーを受け取れたでしょうか?
これまでは仙人師匠の師匠であるスワミ・カレスワーラが自らの血液を用いて入魂したシルディ・サイババ像を斡旋してきました。
それは弊店に祀っているシルディ・サイババ像と同じものです。
それも在庫がなくなってしまったので、今回初めて仙人師匠オリジナルのシルディ・サイババ像を斡旋することになりました。
インドから取り寄せた大理石加工のシルディ・サイババ像の台座に穴を開け、そこにさまざまな法物を埋め込み、力を高めました。
その法物は、
① 七彩舎利(しちさいしゃり)
本物の釈尊(ブッダ)の舎利です。舎利とは、釈尊の遺体のことでインドやアジアの極々一部の仏教寺院で秘仏として祀られています。詳細はお求めになった方にお伝えします。
② ババクロス
シルディ・サイババが実際に身につけていた衣装の一切れで、それを仙人師匠がババクロスと呼んでいます。シルディ・サイババは乞食の体裁で、所有物は身につけている衣類と一つのレンガの他はありませんでした。その衣装が縁あって仙人師匠の下にあります。
シルディ・サイババは生前信徒に
「私が現世に残したもの(遺骨、杖、サンダル等)はすべて、サマディー〔墓〕からでも語りかけるだろう」
という約束をしています。つまり、ババクロスがあればシルディ・サイババとの繋がりが一層濃くなるということです。
③ ソマチッド
今回入手したソマチッド鉱石の粉です。エネルギーが強力で、深く強く浸透してくるという実感があります。体験したい方は、巻末のサットサンガプレミアムの項をご覧ください。
④ シルディ・サイババのマントラ
今回ご神木プージャで唱えたマントラです。
⑤ ラジウム鉱石粉(約20マイクロシーベルト)
パワーを上げるには、やはりラジウムは欠かせません。ラジウムは、かつては金より高価で取引されていました。
⑥ テラヘルツ鉱石粉
テラヘルツ波(1秒間に1兆回振動する電磁波)を放射する特性を持つと言われている鉱石。天然の鉱物ではなく、人工的に作られた半導体素材です。
その他の法物は、
金粉・竹炭・ダイヤモンド粉・ブラックシリカ・謎の動物(T?)の血液の粉・大型ネコ科肉食獣(阪神)の白い個体の頭骨粉・・・です。
最高の法物を封入し、エネルギーを最大に高めたご神像です。
大サイズ(25㎝、税込み128,000円)と小サイズ(11㎝、税込み58,000円)があります。
シルディ・サイババにご縁を感じる人、または強力なご加護を得たい人はご自宅や職場にお祀りすると良いでしょう。
縁あった人は永く大切にしていただければと思います。
ご希望の方はメールでご連絡ください。(quanyin28@gmail.com)
期間限定のサービス品として、新開発のソマチッドパッド(詳しくは後述)とソマチッドのオイルが付きます。
それだけでも小サイズの売価以上の価値があります。
ただいるだけで光る人になる
- ありがとうを貰って光る人になる
今回、九州の修行場に行くフライトが早朝の6時半発だったので、1時間前に羽田空港に着くために、3時半に起きて、4時過ぎに自宅を出ました。
クルマのトランクに20kgのスーツケースを載せるのに持ち上げたところ、グキッと腰に痛みが走り、「ヴゥッ」と思わず声が出ました。
瞬間、ギックリ腰をやってしまったと分かりました。
私は腰痛になったことが滅多になく、ギックリ腰は初めてです。
恐る恐る何とか動くことができることを確認し、「大丈夫、行けるところまで行こう」と出発しました。
道中、右の腰に重く鈍い痛みを時折感じながら、何とか修行場に到着することができました。
修行の時は本当に頻繁に体調が悪くなります。
修行前からエネルギーは動いていますので、私の業(ごう)が噴出しているのか、お客様から被った邪気が暴れているのか、そのようなことだと考えています。
到着し、仙人師匠に腰を痛めたことを報告すると、待ってましたと言わんばかりにニコニコされ、
「ちょうどソマチッドのパッドを作ったところだ。今から早速実験してみよう」
と試作品の実験台になりました。
ギックリ腰になって実感したのは、私の場合おそらく右の腎臓から尿管にかけて問題があり、それが筋組織まで広がって、重量のあるものを持ち上げたことをきっかけに痛みが出たのだということです。
腰痛というと背骨をイメージしますが、私の場合、背中の奥に鈍い痛みを感じます。
奇しくも、先に到着していた兄弟子も右の季肋部(肋骨)から右下肢にかけてむくみがひどく、右膝痛が出ていました。
「多分シェディングだと思います。治療をしていると患者さんの身体からワクチンの悪臭が吹き出して来て、窓を開けていても吸ってしまうのです」
「むくみの原因は、多分右の腎臓でしょう」
と自己分析していました。
それから、兄弟子も私もソマチッドのパッドで治療をすることになりました。
このようにタイミングよく実験台になることが頻繁にあり、何か神によって仕組まれているのではないかと思うことがよくあります。
まるで神が作ったシナリオの役者になっている気分です。
まぁ、しかし、人生とは俯瞰(ふかん)するとそのようなものかもしれません。
自分の意思で主体的に生きているようで、実はそれすらも幻想で、あらかじめできていたシナリオを体験しているに過ぎないのかもしれません。
人生とは、実に不思議です。
今回は腰痛ですが、今年に入り体調が悪くなることが増えました。
「40才を過ぎると身体にガタが来て無理が効かなくなるよ」と若い頃はよく言われたものでしたが、本当でした。
痛みなどで体調が悪くなると本当に辛いです。
それでもそれを知ることで、お客様の苦しみを少しはわかるようになりますので、ありがたいことです。
腰痛で苦しむ私を師匠が先月開発したソマチッドパッドで懸命に治療をしてくれました。
ソマチッドパッドとは、ソマチッドの原石を粉砕したものに、ババクロス・金粉・高線量のラジウム・テラヘルツ鉱石粉・竹炭・ダイヤモンド・ブラックシリカ・謎(T?)の動物の乾燥血液粉末・大型ネコ科阪神の頭骨の粉・他秘密のものを配合しています。
これ以上ないくらいの貴重かつ希少な原料群です。
ゴッドヒーリングパッドもこれ以上ないくらい素晴らしいものですが、ソマチッドパッドはより力強いエネルギーが浸透してくる感じです。
また、ソマチッドの原石やテラヘルツ、アフリカの謎の動物の血液から成る新開発の「ソマチッドオイル」(ソマチッド鉱石粉・女神が宿る樹脂3種、他を配合)をふんだんに塗ってくれました。
私は修行中に体調が悪くなって、身体がままならないことがこれまで幾度となくありましたが、そのいずれも仙人師匠が献身的に施術をしてくれました。
「あぁ、いつもこうしてもらってきたなぁ」
今回も施術をしてもらっている時に、ありがたい思いで胸が溢れました。
プージャをする土曜日の朝は、痛みのあまり座った姿勢から立つことができず、
「明日さいたまに帰れるのだろうか?」
と空を見つめ、全治一ヶ月を覚悟しました。
仙人師匠に都合3回施術をしてもらい、またソマチッドパッドとソマチッドオイルを使い、翌日の日曜日には帰れるくらいまで快復しました。
さらにその翌日の月曜日の朝、浦和の店に行くのに荷物を持って6階の店舗まで階段で昇れるくらいまで快復しました。
さらに、その翌日の火曜日にはお陰様でほぼ腰痛を意識することがなくなりました。
予想以上の快復ぶりに、仙人師匠の施術の力も大きいでしょうが、ソマチッドパッドとソマチッドオイルの効果に助けられたのではないかと思っています。
弟子の体調が悪いから、師匠が治すというのは当たり前のことではありません。
非常に優しさと愛を感じる行為です。
いただいた愛は、自分のところで留めておかず、他の人に広げていかねばなりません。
私のできることは微力でありますが、世のため人のためになるよう菩薩行に努めなければならないと改めて強く思いました。
菩薩行を重ねて、人から「ありがとう」と感謝の気持ちをいただけると、「あぁ、生きていてよかったなぁ」「これまで頑張ってきた甲斐があったというものだなぁ」という気持ちが湧いて来て、人生の生きる力になります。
やはり、生きている以上は、人から求められるのはありがたく嬉しいものです。
「ありがとう」をたくさん人から貰うと、その感謝のエネルギーは徳となって天に貯金されます。
徳という天の貯金によって、天の負債であるカルマ(パッドカルマ)は相殺されていきます。
だから、社会や会社や家庭の中で、人に仕え、人に奉仕して、ありがとうという感謝のエネルギーを貰うと良いのです。
それが魂を磨く修行になります。
商売をしている人は、相手から直接ありがとうの言葉を貰えるのが望ましいです。
組織で仕事をしていてサービスや販売をする相手から直接ありがとうの言葉をもらえる立場にない人は、その職場で一緒に仕事をする仲間に奉仕してたくさんありがとうの言葉をもらえるように努めたら良いでしょう。
そうすれば、その職場で光る存在になり、やがて絶対に必要な人財として重宝されるようになります。
人を蹴落として権謀術数で出世してきた人には人望がありませんが、周りの人に奉仕して押し上げられるように出世をした人には、部下は命を賭(と)してでもこの人のために働きたいと思うものです。
修行には様々なものがあります。
山寺に入山し、そこで読経三昧(ざんまい)をするのも一つの修行です。
修行というとそのようなものや、滝に打たれたり、瞑想を長時間したりするのを連想するかもしれません。
それは確かにそうですが、修行はそれだけではありません。
娑婆(しゃば)の修行というものがあります。
それは里の修行とも言いますが、社会の中でそれぞれが与えられた役割を果たす中で、他者や社会のために貢献する修行です。
そこでは、経済的な問題や人間関係など、眠れなくなるような悩み苦しみがあります。
里の修行はある意味、山の修行より厳しいと言えます。
会社や家庭の中で自身を磨くのです。
食っちゃ寝、食っちゃ寝、と漫然と年を重ねているだけでは修行になりません。
それでは単なるうんこ製造機でしかありません。
人がこの世に生を授かった理由は、そのようなためではありません。
仏教の修行の中でも最も厳しいと言われる千日回峰行を2回達成し、生き仏と尊崇された故・酒井雄哉(ゆうさい)大阿闍梨は、荒行を満行し人々が賞賛する中、
「私はこれしかできないから、やっていただけだ。里の修行も同様に厳しい。修行に貴賎はない」
という発言をされていました。
千日回峰行もラーメン屋を長年やっていくのも同じように大変で、魂を磨くことになるというのです。
「まさに悟りに近い人の発言だなぁ」と感心したものです。
仏に近づくために深山幽谷を毎日歩くのも修行です。
ラーメン屋をやって、食べる人に喜んでもらうのも修行です。
修行にはいろいろな形があります。
里に住む私たちがやるべき修行は、人の役に立って人に喜んでもらうことです。
そうして人のありがとうの気持ちをたくさん貰うと、やがてその人は光を放つようになります。
特に何もしなくても、何も話さなくても、「なんとなく偉い人だなぁ」、「尊いなぁ」と周りの人が自然に思うようになります。
- 苦しみを重ねて光る人になる
人生にはたくさんの苦難があります。
順風満帆で何も苦悩がなければいいのにと思いますが、いつも何かしらの問題が現れます。
人生はそのようにできているようです。
人間が成長するのは、そのような苦難を経験し乗り越える時です。
偉大な人物は、例外なくその人に与えられた苦難を経験し乗り越えています。
その苦しみの最中で、自分と向き合い、さまざまなことを思索し、解なき解を求めることで、魂が磨かれ偉大な精神へと成長できるのです。
何も苦難のない人生では成長がありません。
そのような人は、ペランペランの薄っぺらで中身がありません。
肩書きやお金を持っていても、そのような人はたくさんいます。
対面して、「この人は尊いな」「おろそかにできないな」とその精神の高貴さや気品や威厳を感じるのは、そのような経験を幾多の人生でしてきた魂に触れるからでしょう。
そのような人は、一介のおばちゃんであったり、万年の平社員であったりすることもあります。
年齢や肩書きや性別に関係ありません。
学歴も関係ありません。
東大だろうが、バカ田大学だろうが、Fラン大学だろうが、神の目から見たら関係ないのです。
知識の量ではなく、魂に刻まれた経験が物を言うのです。
だから、長年の難病で社会的には活躍できなくても立派な人はいます。
病気になれば、それ自体の痛み・苦しみもありますが、体調が良くないことで思うことややりたいことができない葛藤もあります。
心身の調子が良くない時に、どう振る舞えるか、そこでその人の真価が試されます。
私などは未熟で弱虫なので、体調が悪いとどこが痛いだの苦しいだの不満をかこち同情を得たくなります。
体調が良くないのに、それを人に漏らさない、人からわからないよう耐え忍んでいる、またはその苦しみの中でも笑顔になれる人は立派です。
60歳代半ばの兄弟子はたくさんの不調があるにも関わらず、痛いとか苦しいとか何の愚痴も言わずに受け入れて耐え忍んでいます。
その姿勢は実に立派だと頭が下がります。
今回も、兄弟子が九州のとある島に出張療法に行った時、その島で歩けなくなっていたお婆さんの施術をしたところ、その場で歩けるようになって島の人々が驚いて施術を求められたのだそうです。
それを瞬く間に次々に結果を出していく兄弟子の技量は優れたものだと思いますが、その一連の施術で、シェディングを受けて左右の前腕部に酷い皮膚炎が生じてしまい、今になっても後遺症に苦しんでいると言うのです。
確かに両方の前腕部を見せて貰うと、皮膚が変質しています。
「いつからか?」と師匠が問うと、
「5月からです」
と、平然と答えるので、私は「よくもそんなに長く耐えているなぁ」と驚嘆しました。
去年も兄弟子は患者さんの邪気かシェディングを受けて3ヶ月寝られないくらい咳が続いていました。
私は兄弟子に「調子はどうですか?」と体調を尋ねるので、話してくれますが、師匠には自分からは言わないのです。
兄弟子の患者さんはご年配の方が多いので、シェディングを受けるのも私の比ではありません。
施術中に患者さんが吐く息から臭いにおいが出て、立てなくなったとか、動けなくなったとか、満身創痍で施術をしています。
とても私には真似ができません。
さらに、私は患者さんの好悪がありますが、兄弟子にはそれがありません。
兄弟子はどのような患者さんであっても、施術を求められれば全力で当たります。
それで、自分の体調が悪くなっても仕方がないと考えています。
実際、兄弟子の身体は本当にボロボロです。
私は自分が好きな人のために自己犠牲になってもそれでもいいと思いますが、嫌いな人のために自分が苦しむのはまっぴらごめんです。
そこは私の未熟で至らないところで、兄弟子にはかなわないと思う点です。
兄弟子はおよそ学がありませんが、会話の端々に精神の気高さと強さを感じることがよくあります。
人の価値は、学問でも知識量でもお金でもありません。
やはり魂であり、精神なのです。
そのような人は、ただたたずんでいるだけでも光っているのです。
辛い病気になっていながらも、病気を恨まず感謝していたり、ニコニコと笑顔でいたりする人は、まさに偉人だと思います。
また、私のお客様の中には、自分が病気でとても苦しい身でありながら、施術をする私の身体を気遣ってくれる人がたくさんいます。
お金を払って自分の病気や苦しみを除いてほしいと来院するのにもかかわらず、施術者である私の身体を心配してくれるので、「なんて素晴らしい人なのだろう」と心にジーンと響き、涙が目の裏を流れます。
そのような人は、その辺に転がっていそうな只のおばちゃんだったりします。
人の真価は、見た目や所有物や肩書きでは測り得ないのです。
執着を手放して逝く
こう考えると辛くて辛くて仕方がない病気も自分の魂を磨く絶好の機会と捉えることもできます。
病気になると、罹(かか)った当初は「どうして自分だけこんな目に遭うのだろう?」と被害者意識で世を恨みたくもなります。
その気持ちも十分わかります。
病気でこれまでやってきたことができなくなって、泣く泣く手放さなければならないこともあるでしょう。
何とか治らないかと、いろいろな治療法を試して、やがてそれらも効かないとわかった時は、その境遇を受容しなければなりません。
がんの終末期ともなると、否応なくそうならざるを得ません。
今の時代3人に1人はがんで死にますので、他人事と思っているのはお気楽な人だと思います。
いざなった時にあたふたしないよう、自分もいつかその時が来ると考えてはどうでしょうか?
突然死の場合は別として、私たちの人生はこれまで持っていた執着を手放していく時期が訪れます。
人はすべての執着を手放して、この世界を去って行きます。
それが望ましい亡くなり方です。
今際(いまわ)の際(きわ)まで、未練や執着を抱えていると、その重いエネルギーで浮かばれなくなって、長く幽霊となりこの世界とあちらの世界の狭間を彷徨(さまよ)うことになります。
そうなりたくはないでしょう。
老化は、死に向かい徐々に執着を手放していく過程でもあります。
私なども老境の入り口にいますが、段々とこれまでできていたことができなくなっていく、そうした情け無い自分を受け入れていっています。
肉体は年を重ねるに連れて衰えていきますが、精神は何歳になろうが鍛えて成長できます。
人生の集大成が死です。
いつか訪れる自らの死に際して、見苦しくないよう美しく立派に逝(い)きたいものです。
最後に「人生百年時代の生き方の教科書」(藤尾秀昭)という本の一節を紹介して本稿を終えたいと思います。
私は藤尾秀昭氏の本が好きで、できるだけ寝る前に毎日読むことを心掛けています。
この本も人を成長させる滋養に富む素晴らしい内容なので、先月友人の誕生日にプレゼントしました。
実に立派だと感じ入った話がありましたので、以下に転載します。
おふくろのおしめ ~現代版「おしん」~
平成17年、大庄(だいしょう)社長・平辰(たいらたつ)さんのお母さんが天寿を全(まっと)うされてこの世を去られた。この時のご挨拶をありのままにお伝えする。「私たち兄弟は佐渡に生まれ、島で育ち、18歳の頃上京しました。亡くなった母は現代版『おしん』かもしれません。祖父に子供がなかったので、末弟(私の父)が世継ぎとされ、父は海軍の軍人でしたので、船に乗っており、婿殿不在の平家に嫁いだのが母の八重でした。(中略)
母は、子供たちのおしめ(おむつ)を古着の布の切れ端で縫い、汚れたおしめは、凍りつく川に運び、洗ってくれました。
冬の雪の降る日でした。母のその手は、あかぎれで割れ、腫れ上がっていました。血の出てくる割れ口には、ご飯粒を詰めることで耐えていました。そんな手であっても、『子供には少しでも温かいおしめを…』と赤ん坊が汚したおしめを洗ってコタツで温めておいてくれました。
食事をしながら、子供におっぱいを飲ませている時など、ビリビリと下痢のうんちをし、抱っこしている母の腿(もも)が熱くなってくると、食事を中断して、そのおしめをはずし、下痢でただれたお尻を、母は舌で舐(な)め取っては吐き出し、吐き出しながらコタツで温めてあったおしめを取り換えるのでした。いまのように柔らかい紙はなく、紙といえば新聞紙くらいのものでした。また、柔らかい布もなく、おしめも布を縫い合わせているので、それで拭けば赤ん坊のお尻はさらに赤く腫れ上がってしまいます。母は、「子供が痛かろう」と自分の舌で、その下痢のうんちを舐めて拭き取り、その口で再び食事を摂ることも度々ありました。母は毎朝4時に起き、12人の家族の朝食を作りました。そのまな板のトントンという音で私は目を覚ます毎日でした。偉大なる母の死に方
朝食が済むと肥料の糞尿を大きな細長い肥桶に入れ、天秤棒で担ぎ、1時間もかかる蛇の多い山道を、山の田や畑に運んでいきました。足をすべらせ肥桶ごと倒れ、うんちだらけになった思い出もあります。
野良仕事は、夜8時、9時に終わることも多く、常に星を見なければ家に帰ることはありませんでした。母が上京する時には、足が悪いのを忘れたかのように、米だ芋だと重いのにもかかわらず持ってきてもくれました。昭和57年、やる気地蔵を祀(まつ)った「やる気茶屋」を始めた時、50キロもある石の地蔵さんを背負って佐渡からやってきてくれて、びっくりしました。
母が死を覚悟した時だと思われますが、私に話しかけてきたことがありました。
『私はもう畑にも出られん。田圃(たんぼ)にも行けん。仕事が出来なければ、人のためにならん。たとえ我が子であっても迷惑はかけたくない』と言い、その後自らの食を細めて“水”のみとし、大樹が枯れるが如く心臓を静かに止めていったのだと思います。美しい 死にかた求め 自らの 食を細めて 枯れていく
偉大なる母に、無償の愛の尊さと大将の道をお教えいただきました」(原文まま)
並居る参列者の悉く(ことごとく)は感電した如く感動の坩堝(るつぼ)に浸った。
このお母様の生き方は実に見事だと感服しました。
一歩でも近づきたいものです。
極小物質ソマチッドの不思議
雲の上には無数の化仏化佛(けぶつけぼとけ)様がいます。
それは何かというと自在に動き回る極小のエネルギー体で、ミジンコや精子のようなものと言えば近いかもしれません。
地上でも空を見るとそれがたくさん動き回っているのが見えます。
これは誰でも見えるのかと思っていましたが、以前サットサンガで生徒さんたちに聞いたら、見える人の方が少数派だとわかりました。
外をボ~と眺めて見てください。
焦点をぼやかすようにすると見えやすいです。
密教ではこの化仏化佛様を見て、それを自身に取り込む行があります。
その化仏化佛様は地上よりも雲の上にたくさん溢れるように存在しています。
死んだら天に還(かえ)ると言われますが、化仏化佛様のようになるのかもしれません。
化仏化佛様は一体何でしょうか?
魂の構成要素であるとも、気が具現化したものだとも言われます。
極小の小粒の生命体のようなものが、あっちにこっちに自在に動き回っています。
奇(く)しくも今回の修行で仙人師匠はソマチッドを取り上げました。
ソマチッドも知る人ぞ知るもので、存在ははっきりわかっているものの、科学的には認められていません。
ソマチッドとは、フランスの研究者であるガストン・ネサンらによって提唱された微小の物質で、生物のように動き回っています。
どことなく化仏化佛様に似ています。
ソマチッドは非常に小さく、通常の顕微鏡では観察できないほどの大きさです。
ネサンによると、このソマチッドは生命の基本的な要素であり、健康状態や病気の発症に関与するとされています。
ガストン・ネサンは、1950年代に自身で開発した「超顕微鏡」と呼ばれる装置でソマチッドを発見したと主張しました。
彼の説によると、ソマチッドは以下のような特徴を持つとされています。
- 極めて小さい
ソマチッドは非常に小さく、通常の光学顕微鏡では見ることができず、ナノサイズで存在しているとされています。
- 生命の根源:
ソマチッドは、すべての生命の基本的な単位であり、体内のあらゆる生物や細胞に存在しているとされます。
- 形態変化
ネサンは、ソマチッドがいくつかの異なる形態を取り、それが健康状態や病気の進行と関係していると主張しました。ソマチッドは環境や体内の条件に応じて変化することができるとされ、その形態が病気の発症に関連しているとされています。
- 不死性:
ソマチッドは、通常の生物のように死ぬことがない「不死の粒子」であり、増殖も行わずに形を変えて存在するとされます。
ガストン・ネサンは、ソマチッドが特定の形態を取り、特定の病気(特に癌など)と関連があると考え、これに基づいて独自の治療法を提唱しました。
それは、「714-X」と呼ばれる免疫療法で、癌の治療に用いられました。
ガストン・ネサンが作ったソマチッドをベースとした免疫製剤「714-X」はがん患者に驚異的な効果をもたらし、1000人に投与して50%が3週間以内に完治、残り25%も緩和や延命効果が見られたというのです。
抗がん剤は奏功率が10%というのも珍しくありませんから、それと比べたら格段に効きます。
ガストン・ネサンより先にソマチッドを発見していたアメリカのロイヤル・レイモンド・ライフ博士はがん患者16人中16人を完治させたという記録があります。
これはとんでもないことです。
抗がん剤マーケットは製薬会社のドル箱ですから、それが広がれば屋台骨を揺るがす事態になるでしょう。
ライフ博士はこの成果を発表したものの、その後に医師会・保健業界・行政から圧力をかけられて迫害を受け、自宅は放火され、高精度の顕微鏡も破壊され、刑務所に収監されました。
そして、最後は廃人になって亡くなりました。
精神薬か何か薬を大量に盛られたのかもしれません。
ネサンも同様に、フランスの医師会から追放されて、カナダに移住。
カナダでも医師会に嵌(は)められて、収監、起訴されました。
それが1987年のネサン裁判ですが、ネサンの場合は治ったがん患者さんたちが団結して支援し、長い戦いの末に無罪を勝ち取りました。
いつの時代もそうですが、現代西洋医学に脅威となる療法は偽物として弾劾され、活動できなくされます。
そのような権力構造を知った上で、自分の身体を守る医療を、自分で十分熟慮し選択した方が良いです。
今回、ソマチッドを提供してくれた仙人師匠に、
「ソマチッドは化仏化佛様ですか?」
と尋ねたら「それは違うだろう」と言っていました。
私はこれまでのサットサンガでソマチッドは化仏化佛様ではないかと説いていましたので、その点は仙人師匠と考えが異なるところです。
今回の修行からしばらくソマチッドがテーマになり修行が進んで行くことでしょう。
今回の修行では、ソマチッドとラジウムを含有する鉱石を持って瞑想したり、鉱物を砕いた粉を服用したりしました。
ラジウム鉱石の高線量の物はかつて斡旋していただき所持していますが、またそれとは異なる極めて強力なパワーを感じ、今後の修行が楽しみになりました。
だいぶ前にソマチッドのサプリなるものを見たことがありますが、それはエネルギーが良いとは言えない物でした。
ソマチッドは、その効果に目をつけたソマチッドビジネスが横行しているので気をつけねばなりません。
また今後、皆さまにご提供できるソマチッド関連製品を仙人師匠が開発してくれるのではないかと思います。
今回は1万円以上のドネーションを納めてくださった方々には、ソマチッド粉含有のヒーリングオイルを進呈します。
それ以外の方々には、アフリカ原産材料の邪気抜き用脳活性オイルです。
眉間やこめかみ、鼻の下に塗ったりしてご活用ください。
私たちのやるべきことは一つ
このご神木プージャのご報告のレポートでは、読者の皆さまが健康で幸せに生きられるよう、霊性が向上するよう、毎回思案し、心を込めて執筆してお送りしています。
先月の遺伝子の問題にせよ、今回のワクチンの問題にせよ、この現代社会は問題が山のようにあります。
個別の問題に対して、具体的な対応策をお伝えしていますので、それを理解して行動に移すのがまずは肝要かと思います。
しかし、より根本的には、サンカルパで世の中を変える、サンカルパでよりよい世の中にするということが大事なのです。
サンカルパとは意思の力、現実化の力です。
それは修行をした瞑想者、霊性が高い人ほど強いとされています。
つまり、そのような人たちが思ったことは実際に現実化しやすいのです。
社会的な問題に対して、デモに参加したり、SNSやブログなどで警鐘を鳴らしたりするのも良いのですが、瞑想や祈りを通して良い社会を潜在意識レベルから作っていくことの方がより大きな原動力となります。
その最高レベルの司祭が天皇陛下で、毎日国民の無事と安寧を祈願しています。
私たちも微力ですが、良い世の中を作る一助にならねばなりません。
私も日々の瞑想を通して、愛に満ちた平穏で幸せな社会ができるようお祈りしています。
日本人が、世界の人たちが健康被害に遭わないよう無事をお祈りしていきましょう。
皆さまが日々の瞑想でお祈りしてくださってもよいし、ご神木プージャでお祈りを捧げてくださっても結構です。
最近はシルディ・サイババのマントラを使ってプージャをしています。
それは皆さまにもご案内していますからご存じの方も多いでしょう。
そのマントラに含まれているフレーズの「サンカルパ」とは意思の力、現実化の力のことです。
その力を高めて、ご自身の諸問題を解決するのに活用したり、社会や世界が平和であるよう公益のために活用してもらったりしたら嬉しく思います。
エゴを満たすために使うこともできますが、それではご自身の魂は満足しないでしょう。
人々のために自身の生命を使って、より平和で笑顔が満ちあふれる社会にしていくのが、人間として魂が喜ぶのではないかと思う次第です。
これからも魂を磨いて、サンカルパの力を高め、よい世の中を作って参りましょう。
ギフトと次回のプージャのご案内
ご神木プージャでは、数ヶ月前から1万円以上のドネーション(お布施)の方には、ご神木に虎皮を巻いて特別プージャをしています。
虎皮でパワーを増強しているため、一層強力なエネルギーが届くのではないかと思います。
師の師匠のインドのスワミもかつて特別プージャとして、タイガースキンプージャというスペシャルなプージャをしていました。
それは虎の皮を使ったプージャで、参加費は50万円だったそうです。
インドでも虎皮は手に入りませんから、その値段も頷(うなず)けるところです。
しかし、師の庵では毎月それをやっていますから、いかに貴重であるか想像に難くありません。
今回ご神木プージャにご参加くださった方々にはプリースト(司祭)の師匠からギフトを預かっています。
ドネーション(お布施)が1万円以上の方と、そうではない方と、サイズが違います。
お手元に届くギフトを大切にご愛用いただければ幸いです。
最近は、Twitterで正確な開始時間を告知しているため、その時間に合わせて瞑想やお祈りをされている人が増えてきている様です。
また、今回はTwitterでお知らせしたシルディ・サイババ/ダッタトレーヤー神のマントラ、「オーム サイ スリー サーイ グルダッタトレーヤ パーフィ パーフィ サンカルパ ラクシャ ラクシャ ラクシャマーン」でプージャをしました。
22時からの開始に合わせて、ダッタトレーヤー神のマントラで一緒にお祈りをしてくださった方も多かったことでしょう。
もちろん、シヴァのマントラ(オーム・ナ・マ・シヴァ・ヤ)でも問題ありません。
そして、気に敏感な方は「凄いエネルギーが来ている!」「プージャが終わった頃、身体が軽くなる!」と嬉しいご感想をメールで寄せてくれる人も少なくありません。
プージャのエネルギーを感じることができたら、プージャに参加している実感がより高まるから喜ばしいことではありますが、感じる感じないは気(エネルギー)への感度の個人差があるため気にする必要はありません。
肝心なのは、プージャに参加し共に神仏にご祈願することで、お悩みの問題となっているカルマ(業/因縁/メグリ)のエネルギーが浄化され、願意到達に着実に近づいているということです。
さて、次回のご神木プージャは、
11月16日(土)の夜(22時頃)
に開催します。
(ご神木の締め切りは、11月12日 火曜日です。)
※締め切りを過ぎて到着したご神木は次月に回させていただきます。こちらから特に連絡は差し上げませんので、ゆとりをもってお届け願います。
自分の願いの成就を後押ししてほしい方は、下記のページ中にある。「ご神木プージャお申込みフォーム」に必要事項を入力し送信してください。
ご神木プージャは1本3000円以上のご喜捨(お布施)で承っています。
➡ 「邪気祓い開運堂」 「願いを叶えるファイヤープージャ」
たくさんの方のご参加をお待ちしております。
「良いことが起こった!」「ご神木プージャのエネルギーが凄かった!!」など何でもご感想をお寄せください。皆さまのお声が励みとなり、次の力になっていきます。宜しくお願い致します。
※翌々月もご神木プージャにご参加をご希望される方は、次回のご神木を弊店に送られる際に「ご神木〇本希望」とメモを同封していただけると、来月のギフトと一緒にご神木もお送りさせていただきます。
この場合、お客様のご神木発送の送料はかかりませんので、無駄な出費を抑えられます。
できましたらこの様にお願い致します。