2025年 新年のご挨拶と抱負

新年あけましておめでとうございます。
旧年中はご愛顧いただき誠にありがとうございました。
本年も宜しくお願い致します。

31日はお店の大掃除を夕方までしました。
例年、年末年始は一人で過ごしています。
一年を振り返り、新しい年をどうするか思索するのに相応しい豊かな時間です。
大晦日や元旦の夜は街を歩く人波も消えて、静謐で穏やかな街並みになります。
夕暮れ時に家族連れやカップルが街を歩いている姿を見ると、平和で微笑ましく感じます。

目次

2024年を振り返って ~ミドルエイジクライシスに陥ったのか!?~

2024年は新しいことが始まって変化の大きな年でした。
それは水野気功療法院のホームページでもお知らせしましたが、2月にセミリタイアを発表したことが大きかったでしょう。
体力がもう続かないと限界を感じた末の苦渋の決断でした。
それに合わせて料金を改定させていただき、お客様の施術数は減少しました。
その分、身体の負担は軽減されます。
それでも、やはり私は気功治療をやってお客様の喜ぶ顔を見るのが何より好きです。
天職だと思います。

気力体力が続かないので、仕事をセーブすることにした理由の一つに、私のような手技療法家は早死にが多いということがあります。
それはなぜかというと、お客様の邪気を被ってしまうからに他なりません。
私のようにまだ自覚があれば邪気を浄化し対処できますが、それがわからない施術家も多いことでしょう。
施術家自身の体調不良が、施術の相手に由来すると自覚がなければ悲劇です。
私も親しい人や家族から、「もう治療をやらなくてもいいんじゃない」「もう止めたら」と何度も何度も言われました。
私の健康を気遣って助言してくれるので、大変ありがたいです。
気功治療は心身の負担がとても大きいので、確かにこれを続けていては長生きは望めないだろうとはっきりわかります。

しかし、私自身は長生きをしたいという欲求はありません。
食欲も性欲も物欲もたいしてありませんから、いつ亡くなっても悔いはないのです。
しかし、私が死ねば少なからず悲しみを覚える人がいます。
親しい人が亡くなった悲しみは人によっては癒えるのに数年時間を要します。
最近は、亡くなった人をかわいそうと思うより、残された人がかわいそうだと思うようになりました。
私は人を悲しませたくないので、親しい人たちを先に見送ってから自分が死ぬのが優しさかなと思うのです。

40代になると、気力体力が続かないということは話は聞いていましたが、自分自身がそうなるとは思いませんでした。
スポーツ選手が引退の時にそのような発言をしますが、それは何もスポーツ選手に限った話ではありません。
先日、中田敦彦さん(オリエンタルラジオ、YouTube大学)が42才の若年にもかかわらずミドルエイジクライシスになってヤル気が出ないということをYouTubeで語っていました。
ミドルエイジクライシス(中年の危機)とは、40〜50代を中心とした中年期に訪れる心理的な危機や葛藤を指します。
彼はチャンネル登録者数543万人というメガヒットのYouTube大学という番組を持っていて、まさに成功者としての人生を歩んでいるようにみえます。
ところが、ご自身では孤独感を感じている、もうやりきったという燃え尽き感を覚え迷っているということを話していました。
確かに、番組では陽気な振る舞いをしていますが、どこか無気力というか虚無感を漂わせる表情をしていて、それが印象的でした。
YouTube大学という番組は本当にわかりやすく面白い語り口なので、多くの人気を得ているのも頷けます。
あれだけ社会的に成功して、莫大な財産も築き、それでもミドルエイジクライシスになってしまうのです。
小泉今日子さん、宮崎駿さんもそうだったようです。
私は中田氏の語りを聞いて、私もそうなのかもしれないと考えました。

私自身を内観すれば、2021年に家内を亡くし、それを助けてあげられなかったという無力感や絶望がエネルギーを奪っているように感じます。
土曜日の夜、救急で戸田総合病院にかけこんだ時、「もう治りかけだから大丈夫です。念のため木曜日に次回来てください」と言われ安心しましたが、完全な誤診でした。
その翌日に家内は亡くなってしまいました。
医師の診断を容易に信じてしまったため、家内の危機的状況を見逃してしまい、取り返しのつかないことになってしまいました。
一番そばにいながら、助けることができず、私が殺したようなものです。
私の不覚で、家族や両親まで悲しみのどん底に突き落としてしまいました。
施術家として、まったくの無能っぷり、施術家失格で職業を変えた方がいいアホレベルです。
それから私は自信を完全に喪失し、無力感に苛まれる日々が続いています。
いつまで経っても、どんな成功体験を得ても、それは消えることはないでしょう。

「もう施術はいいのかもしれない・・・」

そのような気持ちが心を占める一方、神が与えた困難だからこれを乗り越えなければならないとも思う自分がいます。
しかし、なぜかエネルギーが出てこない。
自分はどうしたら良いのかわからない、天は自分に何を望んでいるのだろうか、何度も数え切れないくらい自問自答しました。

「自分の天命はなんだろう?」

「もう気功治療は無理」という自分が心を占める一方、施術後にお客様の笑顔を見ると「やはり自分の生きていく道はこれしかない」と気持ちが揺れます。
どちらが正解ということはないので、今は流れに身を任せている状況です。
長い人生の中で、このような雌伏の時期があっても良いのではないか。
このまま朽ち果てるのか、またはいずれかの機会にまた活躍する時が来るのか、今はまったくわかりません。

私の天命は一体何なのか?

人はそれぞれ天から与えられた使命という仕事があります。
それが天命です。
それは容易にわかることではないし、辿り着けないまま生涯を終える人もいます。
天命を得た人は幸せでしょう。
天命を得ていないと、自分は他にやることがあるのではないかと、隣の青い芝を求めそれがよく見え羨ましくなったりします。

私は余人に代えがたい仕事をしたいという気持ちが強いです。
他の人ができない仕事をして、それで人から感謝されたり、賞賛されたりすれば最高でしょう。
それこそが生きがいに感じるものです。

自分の天命を得て、それを続ける中で人から愛され評価されている人は、自然に自信を得て良い顔ができていきます。

では、私の天命は何だろうか?
私の気功治療という仕事は、余人に代えがたい仕事であると思うし、さらに言えば、遠隔気功は多分腕が立つ方だと思います。
人と比べるのは難しいですが、私に遠隔気功の依頼をしてくれたお客様の理由が、それ以前に他の施術家の遠隔気功を受けたが効果が出なかったからということは、ままあります。
そのようなお客様でも結果を出すことは珍しくないので、そう考えるのです。

遠隔気功というのは実に不思議です。
やっている私でさえ、その原理がいまいちわかりません。
原理がわからないから、世間ではオカルトのように思われるのでしょう。
気功という目に見えない分野自体への偏見もあると思います。

12月に入って、ある時、「狂う」という言葉が頭に浮かびました。
「あぁ、以前は気功治療の仕事に朝から晩まで狂うように打ち込んでいたな」と振り返り、今はその狂う対象が目の前にないことに気付きました。
どのような分野でも、功成り名を挙げるには、その分野に寝食を忘れるくらい熱狂して打ち込む必要があります。

「私は気功治療をしたいのではないんだ」

最近、それに気付きました。
気功治療は、好きなのです。
それをやっていきたいのです。

しかし、本当に自分が今世でやりたいことは、

世の中(宇宙・人間・社会)の真理を見極めること

だと改めて気付きました。

真理なのです。
それはいわば悟りを得ることと言うこともできます。
真理を知りたいのだ、真理を得たいのだ、それが明確にわかりました。
そのために気功治療をしたり、瞑想をすることが不可欠なのだ、だから私はそれをやってきているのだと気付きました。
これまで目的だと思っていたものが、手段だったのです。

この世界がどのようにできているのか?
この世界は夢ではなく実在するのか?
神とは何か?
魂とは何か?
意識とは何か?
人間とはどこから来てどこへ向かうのか?
人は何のためにこの世に生まれてきたのか?
人はなぜ病気になるのか?そして死ぬのか?

そのような根源的なことを知りたいのです。
それも知識ではなく、はっきり体験として腑に落ちる形で。
死んで肉体を離れれば、違う次元に進む訳ですから、肉体に入っている時にはわからないことがわかることも多いでしょうが、肉体に入っている間にある程度霊性を向上させておかないと、死後のコースが違うと思います。
何も悟らずに死んでしまうと、自動的に輪廻して、いつまで経っても謎を抱えたまま夢見の状態が進んでしまうことになります。

私にはあと人生が何年残っているのかわかりません。
もうカウントダウンに入っているかもしれませんし、意外に長生きするかもしれません。
もし、あと1〜2年の時間しか残されていないとすれば、不必要なことをする余裕はありません。
本当にしなければならないことに時間とお金を全振りして没頭しないと、掴めないのは明白です。
無駄なことをしている余裕はないし、無駄なお付き合いはもうしなくてもいいでしょう。

「出せば入る」という言葉があります。
これは、何かを得たいと思ったら、まずは何かを出したり捨てたりする必要があるという意味の言葉で、宇宙の法則です。
その言葉通り、私が気功治療をセーブした人生の余白に新しい出来事がいろいろと入ってきて、人生の彩りを加えました。
その意味で、2024年は自分自身が大きく進化した年であったといえます。

今は真理に向かって「やらなければならない」というエネルギーが湧いてきています。
今まで枯渇して、乾いた雑巾を絞るようにしてエネルギーを得ていたのが、今は気力が湧いてくるのを感じます。
今年は何か新しいことが始まる予感がします。
2025年は狂うように人生をばく進し成長していくことでしょう。

宇宙も人も進化向上を志向する存在かもしれない!?

人生には成長という実感が不可欠なのです。
成長、または進化と言っても良いでしょう。

近年の自分を振り返ってみても、少しは成長をしているものの、同じステージをぐるぐる回っているようで、あまり飛躍していない感じがしていました。
サットサンガの説法でも話しているように、それなりにエネルギーが変化していたり、魂も変わって来ている実感はあります。
しかし、大きな成長が感じられなかったので、それで充足感が乏しかったのでしょう。

私にとって成長・進化はとても重要な要素です。
なぜなら、宇宙そのものが進化向上を志向している巨大な意識体で、個々の魂も宇宙の法則に則れば、進化向上することがプログラムされており、それが宇宙の意思に適うことだからです。
私たちは魂の成長を志向する存在であり、魂は死んで肉体を抜けた後に宇宙の太源に吸収され大きな意識の一部になります。
だから、成長が進んでいないということは魂が「それではダメだ」と警告を発するので、満たされないモヤモヤ感のある人生になります。
大事なのは魂の成長であり、それはいわゆる社会での地位や名誉やお金という成功ではありません。
社会で成功するプロセスで魂が成長するということはありますが、お金をたくさん稼いだ人がすなわち魂が成熟しているということには一概には言えないのです。
マタイによる福音書(19:24)には、「金持ちが天の御国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」という言葉があります。
それだけお金を増やすことに執心してきた人は、霊性を上げるのが難しいといえます。
だから、地位とお金を得て社会的に成功している企業のトップが意外にも「自分の人生は不幸だ」と嘆いたりすることもあり、霊性的には目を見張るものがなかったりします。

人生を精神的成長で分けるヒンドゥーの四住期

インドには、人生を4つのステージに分けて考える「四住期(しじゅうき)」という概念があります。
これは古代インドのヒンドゥー教の教えに基づくもので、人生を4つの段階に分け、それぞれの段階で果たすべき役割や生き方を示しています。

四住期は、人がより良く生き、最終的には解脱(輪廻からの解放)を目指すための道しるべとされています。

以下に、四住期の4つのステージを詳しく解説しましょう。

  1. 学生期(がくしょうき、Brahmacharya)

時期: 幼少期から青年期、一般的には25歳くらいまで。
役割: ヴェーダ(聖典)の学習や師への奉仕を通じて知識や教養を身につける時期。禁欲的な生活を送り、心身を鍛錬し、将来家住期を迎えるための準備をする期間です。
特徴:
師(グル)のもとで共同生活を送り、規律正しい生活を送ります。
性的な禁欲(ブラフマチャリヤ)が重視されます。
知識の獲得、道徳心の育成、人格形成が中心となります。

  1. 家住期(かじゅうき、Grihastha)

時期: 結婚してから、子供が成人するくらいまで。
役割: 結婚して家庭を築き、子孫を繁栄させ、社会的な義務を果たす時期。職業を持ち、経済活動を行い、家族を養い、社会に貢献することが求められます。
特徴:
結婚生活、子育て、家事などが中心となります。
五つの大いなる供犠(パンチャ・マハー・ヤジュニャ)と呼ばれる、神々、祖先、人間、動物、自然への供養を行うことが推奨されます。
ダルマ(法)、アルタ(富)、カーマ(愛)という人生の3つの目的を追求する時期でもあります。

  1. 林住期(りんじゅうき、Vanaprastha)

時期: 子どもが成人し、家庭の責任から解放された後。50歳代から70歳代くらい
役割: 社会的な責任から徐々に離れ、静かな環境で瞑想や修行に励む時期。世俗的な欲望を減らし、精神的な成長を追求します。
特徴:
家族や社会との関わりを減らし、自然の中で質素な生活を送ります。
瞑想、祈り、聖典の研究などに時間を費やします。
次の遊行期への準備期間とも言えます。

目的: 世俗的な責任から徐々に離れ、精神的な成長のための準備段階。内省、瞑想、聖典の研究などを通して、自己と向き合い、執着を減らしていくこと。
生活様式: 家族や社会との繋がりをある程度保ちながらも、静かな環境で質素な生活を送ります。完全に世俗を捨てるわけではなく、家族の助けを受けたり、アドバイスを与えたりすることもあります。
精神的な成長の焦点: 自己の内面を深く見つめ、過去の経験を振り返り、人生の意味を問い直すこと。世俗的な執着を減らし、精神的な自由への準備をすること。
自己の内面と向き合い、過去を振り返り、人生の意味を問い直すことで、精神的な成熟を深めます。

  1. 遊行期(ゆぎょうき、Sannyasa)

時期: 林住期を終えた後、人生の最終段階。70歳代以降
役割: 全ての世俗的な繋がりを断ち、解脱(輪廻からの解放)を目指す時期。財産や家族、社会的地位など、一切の所有を放棄し、放浪の生活を送ります。
特徴:
一切の執着を捨て、自由な生活を送ります。
瞑想や修行に専念し、真理の探求に励みます。
死を迎える準備をする時期でもあります。

目的: 全ての世俗的な繋がりを断ち、解脱(輪廻からの解放)を目指す最終段階。一切の執着を捨て、真理の探求に専念すること。
生活様式: 全ての所有物、家族、社会的地位などを放棄し、放浪の生活を送ります。住む場所も定めず、托鉢などによって生活を維持します。
精神的な成長の焦点: 自己と宇宙の根源との一体性を悟り、完全に自我を消滅させること。この世の苦しみから完全に解放されること。

一切の執着を捨て、真理の探求に専念することで、究極の精神的な自由、つまり解脱を目指します。
完全に世俗から離れているため、自己の内面と向き合うことに集中できます。
精神的な成長は、自我の消滅、宇宙との一体性の悟りという形で、劇的に進む可能性があります。

こうして考えると、私は林住期にどっぷり入っているのかもしれません。
そのため、世俗との関わりを減らし、その分精神的な成長をするため真理の追究を深めていきたくなったのでしょう。
正直、真理の扉が開いていくこと以上の喜びがこの世にあるのかと今は思います。
本当に遊行期に入るのは、修行場を作り、そこに移住する頃になるのでしょう。

2025年は本格的な真理探究元年になる!

私はこれから気功治療を減らしてでも真理を探究していかなければならないと決意を固めています。

気功治療を放棄して、人助けができるのか?
菩薩行はどうなったのか?

私はかねがね人助けや奉仕の重要性を説いてきましたので、それはどうなったのかと思う人もいることでしょう。
確かに、施術を減らしてしまえば、個々の人を救済する機会は減ります。

しかし、真理を探究し、意識のレベルを上げていくことは、人類全体への奉仕になります。
誰かの意識のレベルが飛躍的に向上すれば、そのエネルギーが他人の意識に波及し、人類という種全体の意識のレベルも吊られるように上がっていきます。
「人はつながっている」と私が説いている通りです。

これは例えるなら医学部教授の存在意義のようにも思えます。
医学部教授には基礎研究ばかりして、全然手術をしない医師がいます。
手術をしないというか、できないのです。
笑えるエピソードで、教授が患者のお腹をメスで軽く開腹して、後の手術は部下に任せ自分は手術室からそそくさと退出してしまうというものです。
そのような手術もできない教授を揶揄する向きもありますが、その教授は基礎研究に従事して新薬を開発し、その薬で何千人という人の助けになっています。
手術をして人助けをするのは、たかだか年間数十〜数百人といったところでしょう。
手術は医師による肉体労働だからやれる数もしれています。
しかし、例えばパーキンソン病などの特効薬が開発されれば、その病気の患者全員に恩恵が行き渡ります。
メスも握れない情けない医学部教授は、ベースとなる研究に人生を捧げることで、広く人類の役に立っているのです。

私も自分がやっていこうとすることが、そのようなものではないかと感じています。
もちろん、気功治療は続けていくのですが、私自身の天命はもっと違った形なのかもしれません。

修行場についてご報告

お陰様でたくさんの人からドネーション(お布施)をいただいていますが、今のところ良い物件は出てきていません。
縁だと思っているので、むやみやたらと物件を物色したりはしていません。
昨年は、人に知られていないとても素晴らしいパワースポットと巡り会いました。
しかし、いかんせん遠い。
移住ではなく2拠点生活を考えている段階では、遠すぎて実現困難と断念しました。

「今年は火を焚く(護摩祈祷)場所がほしいね」と生徒さんたちと話しますが、どうなることしょう。

ドネーションは預かっているお金ですので、一切手を付けていません。
厳重に保管してあります。
使い込んだりしていませんから、安心してください。
修行場を造らないという選択肢は今のところありません。
いつまで経っても実行しないと、首がきりんさんのように伸びてしまったかもしれませんが、諦めている訳ではないのでどうか気長にお待ちください。

2025年1月のサットサンガ(真理の集い)のご案内

次回のサットサンガ(真理の集い)は1月25日(土)15時〜17時です。
今回の説法は、

『人はつながっている3 遠隔気功の原理を量子力学から考える』

をテーマにお伝えします。

12月のサットサンガ(真理の集い)では、「人はつながっている2」と題し50分間説法をしました。
遠隔気功はなぜ効果が出るのか?
遠方の人を気(エネルギー)で癒やすというのは、その原理がわかりません。
人と人の魂がつながっているからという説明を霊的観点からしてみましたが、理解できましたでしょうか。

前回で触れようとしていた、量子力学の話を次回はしてみたいと思います。
奇しくも、12月28日(土)のサットサンガの夜、NHKスペシャルで「量子もつれ〜アインシュタイン最後の謎~」を放映していました。
量子物理学の世界では、量子もつれという現象があり、2つの粒子が、物理的に離れていても、お互いに影響し合う不思議なことが起きます。
また、量子状態の「重ね合わせ」というものがあり、量子力学では、粒子の状態は確定しておらず、波状と粒子の複数の状態が同時に存在する状態になります。

なぜ、距離的に離れた量子が同時に同じ振る舞いをするのか?
また観測者が観測するまで粒子と波の2つの状態が重なっており、観測することで確定するのはなぜか?

この量子力学の原理には、なぜ遠隔気功が効果を発揮するのかという答えになることがありそうです。

量子物理学の先端の科学者も、この世界がどのように成り立っているのかという真理を科学的なアプローチで解き明かそうとしています。
私は皆目物理が分かりませんが、いわば気功家・宗教家の立場からアプローチし、真理の解明を目指します。
これはアプローチは違いますが、宇宙(神)を解明するという目的地は同じになるはずです。

ショップ「しあわせの香り 梵」開店しました

詳しくはこちらをご覧ください。

本年も宜しくお願い致します。
皆々様の健康とご多幸を祈念しております。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次