高級霊は、あなたの祈りをすべて聞いてくれるわけではない
ご神木プージャ(インド式護摩祈禱、護摩祈禱のルーツ)は、プリースト(司祭)の仙人師匠や弟子の私たちが、神に参加者の祈りを届けるインドの儀式です。
毎月続けて参加してくださる方は、その願いが叶ったという奇跡的な体験をされた方も少なくありません。
そのようなケースを体験した方は、時に私にその嬉しいご報告を送ってくれます。
それを拝読する度に、「あぁ、よかったなぁ」と自分のことのように嬉しくなります。

今回は、祈りによって願いが叶うという現象について深掘りしていきましょう。
ここで題材にするのは、「シルバーバーチの霊言」です。
20年近く前に、日本を代表するスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんが度々推薦していた本です。
読んだことがある人もいることでしょう。
日々の生活で、「なぜ自分だけがこんなに苦しいのか」「死んだらどうなるのか」という問いは生きていれば度々直面するテーマです。
そのような普遍的な疑問に対し、最も論理的で慈愛に満ちた答えを提示してくれるのが、今回ご紹介する「シルバーバーチの霊言」です。
世界中のスピリチュアルな探究者から最高峰のバイブルと称されるこの本の魅力について解説していきます。
シルバーバーチとは?
シルバーバーチ(Silver Birch)とは、20世紀のイギリスで活動した霊的存在の名前です。
実際には、モーリス・バーバネル(Maurice Barbanell, 1902〜1981)というイギリス人ジャーナリストが霊媒(チャネラー)として機能し、シルバーバーチと名乗る高次の霊的存在が語る言葉を伝えたとされています。
シルバーバーチ自身は、かつて地球上で生きていたとも語っており、北アメリカの先住民族の霊であるとも言われています。
ただし、その正確な素性よりも、彼が伝えたメッセージの内容こそが長年にわたって世界中の人々に注目されてきた理由です。
「シルバーバーチの霊言」は、交霊会(スピリチュアリスト・サークル)での記録をまとめたもので、以下のようなテーマが中心となっています。
◆ 死後の世界の実在
肉体の死は終わりではなく、魂は霊的な世界で継続して存在すると説きます。
◆ 愛と奉仕の法則
人生の目的は、他者への愛と奉仕にあるとされます。
◆ カルマと魂の成長
地上での経験は魂の進化・成長のためにあると語られます。
◆ 神と宇宙の法則
宇宙を貫く法則こそが神の意志の表れであると説明されます。
語り口は穏やかで慈愛に満ちており、難解な教義ではなく、普通の言葉で深い真理を伝えようとしている点が特徴的です。
この本が長く愛読される理由のひとつは、その内容が特定の宗教や宗派に縛られていない点です。
シルバーバーチは宗教の壁を超えた普遍的な真理を語ると主張しており、仏教・キリスト教・神道など様々な背景を持つ読者が共感できるメッセージが含まれています。
また、死への恐怖、喪失の悲しみ、生きる意味への問いといった、誰もが直面しうるテーマに真摯に答えようとしている点も、多くの読者の心をつかんでいます。
「シルバーバーチの霊言」は、スピリチュアルな世界の扉を初めて開く人にも、深く探求したい人にも対応した、普遍的なメッセージの書です。
死後の世界、魂の成長、愛と奉仕——これらのテーマに関心があるなら、ぜひ一度手に取って読んでみることをお勧めします。
交霊について
交霊会は余り耳にしない言葉かもしれません。
霊媒を仲介役にして、故人やその他の自然霊と対話する方法が昔から伝えられています。
「シルバーバーチの霊言」は、まさにその交霊会でシルバーバーチが語った言葉をまとめた本です。
私もだいぶ昔に心霊の修行をしていた時、交霊会に参加したことがあります。
そこには、故人を降ろすとなる霊媒と、クライアントである奥様と2人のお子様がいました。
一家の中心であるお父様(ご主人様)が他界してしまって、その癒えない悲しみに堪えきれず、故人とのコミュニケーションを依頼したケースでした。
会が始まり静寂がその薄暗い部屋を包み込むと、しばらく経った時に亡くなったお父様の霊が霊媒に乗り移りました。
すると、家族しか知らない情報をいろいろと話し始めたのです。
霊媒はもちろんお父様の姿形ではありませんが、そこで話す内容はお父様とご家族だけで共有されている情報で、外部の人が知る由もないものでした。
残された家族にとって対話の相手がお父様であることは疑いようもなく、容易に信じるにことができました。
交霊会はあまり長い時間はできません。
故人のいる次元はこの世界の波動と異なりますので、霊媒を介在しても長時間のコミュニケーションはできないのです。
参加していた家族3名は、もうの涙で「お父さん、ありがとう、ありがとう」と何度も言葉に言い尽くせない感謝の思いを伝え、その霊媒の方と3人が抱き合っていて、それはとても感動的な光景でありました。
交霊というと、何やらオカルト的な印象を持たれるかもしれませんが、本物の交霊会はそのような怪しげな雰囲気ではありません。
故人が亡くなった後も存在していることがわかり、また生前に伝えきれなかったことを霊媒を通して伝えることができ、会が終わった後はご家族全員が涙をぬぐい皆満足して温かい愛の雰囲気に満たされていました。
人の死は亡くなった人本人が辛いというよりも、残された人が辛いものです。
死は解放であって、まったく悲しむべきことではないというのが私の信条ですが、この世界の常識では、死は悲しみの最たる体験であるため、別離の悲しみを癒すのにとても長い時間を要します。
私は家内が亡くなった時に、この世の真理を肚の底から理解していたので、多くの人のように悲しい思いはしませんでした。
しかし、家内の両親や子どもたちは、言いようのないくらいの深い悲しみのどん底につきおとされてしまったのです。
特に、義母と義妹は毎日泣き通しなくらい悲しみが深いものでした。
その状況を聞いていても私は非常に胸が痛みました。
しばらくして、義母と義妹の2人は家内の霊と会うために、青森の恐山のイタコを遙々訪ねました。
イタコを通して、家内の霊と交流したのですが、たまたま担当になった人がよくなかったのか、話す内容が通り一遍の内容であまり腑に落ちない印象で感動もなく終わったということでした。
なかなか今時は本当に交霊できる霊能者は少ないのでしょう。
私はかつて亡くなった身内の状況を、弊院専属の霊能者のレイナさんに相談したことがありました。
彼女は降霊するタイプの霊能者ではありませんが、納得できる的確な情報を貰うことができました。
その時はとてもありがたかったです。
しかし、だからといって家内の霊と交流しようという気には全然ならないので、普通の供養をする他は特別なことはしていません。

高級霊が語る祈りについて
さて、「シルバーバーチの霊言」には、祈りについて語った章があります。
それを読むと、祈りにも霊界からの視点や基準があることが明白にわかります。
何でもお祈りして頼めばいいという訳ではないようです。
【Q】 祈れば、聞き届けてもらえるのでしょうか?
祈れば、聞き届けてもらえることもありますが、それは祈りの中身と動機によります。人間はよく、中身の性質上、聞いてあげるわけにはいかないものを要求します。要求どおりにしてあげたら霊性の進化を妨げ、あるいは人生観を狂わせてしまうからです。
祈りというものを、人間の側からの要求を聞いて霊界で審議会を開き、「よかろう」とか「それはならぬ」といった返事をするような図を想像してはいけません。祈ることによって波動を高め、より次元の高い階層と通じることによって、然るべき回答が届けられる条件を整えるのです。
本当の祈りとご利益信仰との違いを述べれば、祈りが本来どうあるべきかがおわかりいただけると思います。ご利益信仰は利己的な要求ですから、これを祈りと呼ぶわけにはいきません。ああしてほしい、こうしてほしい、お金がほしい、家がほしいといった物的欲望には、霊界の神霊はまるで関心がありません。そんな欲求を聞いてあげても、当人の霊性の開発、精神的成長にとって何のプラスにもならないからです。
一方、魂のやむにやまれぬ叫び、霊的活動としての祈り、万物の背後にひかえる霊力との融合を求める祈りといった、真実の祈りがあります。こうした祈りには魂の内省があります。つまり、自己の不完全さと欠点を自覚するがゆえに、真摯に祈ります。それが内在する霊的エネルギーを発現することになり、その姿勢そのものが祈りの回答を受け入れる態勢となるのです。
【Q】 祈りの機能は何でしょうか?
これまで何度か述べたように、人間の祈りのなかには、それを完全に無視することが最高の回答であるものがたくさんあります。言うとおりにしてあげることが、かえって当人にとってプラスにならないとの判断があるのです。
しかし、魂の奥底からの欲求、より多くの知識、より深い悟り、より強い力を求める願望は、自動的に成就されます。つまり、その願望が霊的に一種のバイブレーションを巻き起こし、そのバイブレーションによって、当人の霊的成長に応じた分だけの援助が、次のステップのために引き寄せられます。危険のなかにあっての祈りであれば、保護のためのエネルギーが引き寄せられ、同時に救急のための霊団が派遣されます。そのなかには血縁関係によってつながっている霊もいれば、愛の絆によって結ばれている類魂もいます。そうした霊たちはみな、かつて地上時代に、自分も同じようにして救われた体験があるので、その要領を心得ています。
ここでは、シルバーバーチが霊に対して祈りを捧げるという行為について語っています。
ご神木プージャは、シルディ・サイババをはじめ、様々な神仏に祈りを捧げますので、厳密にいうと祈る対象が異なりますが、原理は同じと考えて差し支えありません。
私は自分の子供や生徒さんに向き合う姿勢として、「ああせい」「こうせい」と管理し事細かに指示を出して導くということはしません。
「自分ことは自分でやる」「自分自身で気付く」のが、その人の自覚と成長を促すことになると考えますので、こうしたら失敗するだろうと予測できる場合でも「やめなさい」と忠告しないのです。
痛い目を経験して自分で学びなさい、というスタンスでいます。
この姿勢は、私たちの守護霊と同じです。
守護霊は人が一生をこの世界で過ごし、死後の幽界でも一緒にいてくれる極めて縁深い霊体ですが、守護霊は私たちの人生にほとんど手を貸したり干渉したりしません。困難な場面でも手助けすることはなく、ほとんどの場合で見守っているだけです。
人が、この世界における現世的な成功をするためではなく、その人の霊性が向上するように守り導いているのです。
そのため、祈りが捧げられたとしても、それが本人のためにならないなら黙殺し、叶えないという行動をとります。
私利私欲を満たす願いをいくら熱心に祈られたとしても、それが本人のためにならないなら、それを叶えないのが愛情というものです。
ご神木プージャは、お布施を出すから、その代わりに何でも願いを叶えてくれという取引ではありません。
神は便利屋ではないのです。
本当に真摯に祈られたもので、その人の霊性の成長につながるというものであれば、速やかに叶えてくれることでしょう。
また、良い方に導いてくれることでしょう。
基本的にご神木プージャは、人を傷つける内容でなければ何をお祈りしていただいても一向に構わないのですが、霊性が向上するにつれ、祈りの内容も変わってくるのが本来の成長の姿です。
仙人師匠が語る祈りを実現するエネルギーとは?
仙人師匠は願いが叶う叶わないという、いわばサンカルパの力(現実化の力)の源泉について次のように考えています。
この世界は、自分が与えたものがそれが大きくなって自分に還ってくる、これが真理で法則だと考えます。
つまり、人を助けたり人から感謝されるような行為を積み重ねてきた人は、その見えない感謝のエネルギーが、グッドカルマという徳になって天に貯金される。
一方、人を苦しめたり人から悪く思われたりするような自分勝手な行為を重ねてきた人は、それが倍増されて自分に還ってくるから、人生は益々悪くなっていく。
人から還ってくる悪いエネルギーはバッドカルマという業になって天の負債となる。
現代風に例えれば、カルマとはポイント制のようなものです。
自分の願望の実現には、そのポイントを使用します。
人助けをして徳を積んでポイントを貯めてきた人が願う内容は、それは割と速やかにポイントを使って実現されます。
運の良い人は、一時的ではなく、長い人生に渡って徳というポイントを積む行為を続けてきた人とも言えます。
一方、そうではなくカルマ(業)が多い人が何かを祈った場合、神はこう答えます。
「おいおい、そんなに熱心に祈ってくれても、あなたにはもうポイントがないよ」
宝くじの一等が当選した人のその後の人生が、高い確率で散々なものになるのは、一等当選にポイントのすべて使ってしまって、その後の人生のポイントが枯渇してしまったためかもしれません。
師匠のこの表現は、面白くもありながら、真理をついていると感じます。
だから自分の人生をこうしたい、また叶えたい願望があるとするなら、まずはポイントを貯めるための行動をとることから始めることです。
それにはまずは人助けをして徳を積むことが大事です。
それが天の貯金となり、ポイントが貯まっていきます。
私が奉仕を盛んに説いているのは、奉仕活動がこのポイントを貯めるよい機会になるからです。
俗っぽい表現をすれば「ポイント2倍セール」のようなものです。
また、ヒーリングスティック療法など邪気抜きなどの業を祓う術を受ければ、カルマという天の負債は少しずつ返済されて少なくなっていきます。
自分自身の悩みや問題を解決し、人生をより良い方向に向けるためにご神木プージャを大いにご活用いただきたいと思いますが、願望の実現にはそのための条件が揃っていなければならないということです。
人を助けるという行動、実践が大切なのです。
また、このポイントは輪廻転生後の次の人生にも持ち越し可能です。
なるべく多く徳を積んでポイントたっぷりの状態で来世に移行するか。
もしくは、エゴを貫く生き方で業をたくさん積んで、ポイントの負債を増やして来世に移行するか。
また次の人生があるとするならば、運の良い明るい人生を送りたいものです。
人生を幾世にも渡る超長期的なスパンで捉えて、人生で本当に大切なことは何なのかという指針を持って生きることが大切なのではないかと思います。
