実川上人の最期

実川上人との修行も3年の月日が経ったある時、実川上人が熊蔵を呼んでこう言いました。

「これからお前に極意を授ける。お前に最初に会った時に渡した巻物一巻を持ってまいれ」

貴重だと聞いていたその巻物は開くことなく、ずっと大事に保管していました。
それを「持って来い」と言われ、熊蔵は「何が始まるんだろう?」とワクワクし、巻物を取りに向かいました。

巻物を取りに向かっている道中、背後から実川上人が呼んだ気がして振り返ると誰もいません。
それで、師のいるところまで引き返すと、実川上人はたたずまいを正し謹厳な面持ちで次の様に話し始めました。

「小僧、これが極意だ」

「お前を呼んだ声はこれ経文、手を揚げて招いたのはこれ九字を切り印を結ぶの所作、お前を呼ぼうとした意(こころ)は即ち行(ぎょう)なのだぞ。三密は旦暮(あけくれ)の立居動作にも備わっており、真言の秘密はここに芥子粒(けしつぶ)のように小さく潜んでいる。
それを開けば三千大世界に拡大しいつまでも終わることがないのだ。」

そして、更に次の様に続けました。

「ワシの娑婆での人生はこれを持って終わりとすることにする。ワシの心魂は五大(※この世界の元になっている地・火・空・水・風のエネルギー)に帰するのだ」

それは最期の言葉でありましたが、子供の熊蔵には内容がよくわかりませんでした。

「お前に最後に名前をくれてやろう。熊蔵の熊に、山の嶽で熊嶽という名はどうじゃ。」

修行の課程で名前を授けられるのは、一つのステージを超えたことを意味し、重要な儀式に相当します。
インドの修行でも修行が進めばホーリーネーム(聖なる名前)を授けられます。

「熊嶽・・・お前はこれからどうする?」

「師匠がいるなら山にいます。師匠がいないのなら里に戻ります。」

「そうか・・・そうか・・・、それで里に帰ったら坊主になるか?」

「いえ、なりません。」

「では、肉を食うか?」

「はい」

「では、いずれ妻を(めと)るか?」

熊嶽は恥ずかしそうに「はい」と答えました。

「そうか・・・そうか・・・、いずれにしても衆生済度を忘れるなよ。」

実川上人は満足げな表情をたたえ、それから瞑目しはじめ、しばらく経を唱えました。
一通り読経が終わると、おもむろに立ち上がり振り返ることなく那智の滝に身を投げ、あっという間に姿が見えなくなりました。

「お師匠様ぁぁぁ!!!」

熊蔵が駆け寄った時には、既に実川上人の姿は滝に吸い込まれた後で、滝つぼに懸命に目をやると、波しぶきの中、実川上人の身体がうつ伏せに浮かんで揺れているのが小さく見えました。

熊嶽は慌てて滝の横に垂れている(つた)にしがみついて降りて行きましたが、気が動転していたのか、途中ですべり落ちて身体を強く岩盤に打ち付けました。

「やってしまったっ!!」

強い衝撃を身に覚え、身体を一通り確認すると、片足の膝下が割れて、折れたところが出血しているのが目に入りました。
そして()き出しになった傷口を認識すると、途端に激烈な痛みが襲ってきました。

「グッ、しまった!!」

怪我のダメージを思いながらも師匠の下に行かなければという切迫した思いで、

「エイッツ!!!」

と足に向かって九字を切ると、あれほど強烈だった痛みがスーと消えて、すぐにその足で立てる様になりました。
後にその気合術でたくさんの人を救済する熊嶽は、その時に初めて人体に気合を掛け、その効果を実感したのでした。

熊嶽は既に魂が抜けた実川上人の遺体を回収し、丁重に洞窟の(そば)の土に葬りました。

実川上人、94才での見事な大往生でした。

その後、熊嶽は3年ぶりに独り里に降りたのでした。