修行の要諦

熊嶽が里に降りてからは密教寺院で僧侶の資格を取得したりと、二転三転はありましたが、気合術師としての活躍は先述の通りです。

先に熊嶽が三重県の3名士として顕彰されていると書きましたが、その理由は地域の発展のために多額の寄付金を納めたからです。

熊嶽の1回の施術料は3円で、現在の金額に換算するとおそらく15,000円位に相当すると思われます。
気合一閃が15,000円。
ものの1分もかからないでしょうから、高いのか安いのか?
それはやはり結果次第なのでしょう。
結果を継続して出していれば高いということにはならないでしょう。

熊嶽は1日にたくさんの人を施術しましたので、1日の売り上げが現在価値で500万円を超えることもありました。

三重長島のさびれた漁村の坊主は、有り余る程のお金を手にし、長島に大豪邸を建てるまでに成長したのです。

大豪邸に愛人を複数囲い、毎夜飲めや歌えの宴会をしていて、聖人とは程遠い生活の一面もありましたが、それも豪放磊落(らいらく)な熊嶽の個性と言えましょう。

西洋でもそうですが、エクソシストの様な悪魔祓いをする僧は、聖人君主というよりも呑む・打つ・買うを実践する破戒僧の様な人物なのです。

まだまだ余るお金は地域に寄付され、そのお金で橋梁を作ったりして地域社会の発展のために多大な貢献しました。
寄付金額は現在価値で10億円を超えると言われています。
その功績から、3名士として賞されたのです。

今時の治療家で売上から10億円も寄付をすることができる人物はまずいないでしょう。
その金額だけみても、いかに熊嶽が各所で活躍していたかがわかるものです。

ほうぼうの施術所で熊嶽がくり出す技とその奇跡を多くの人が目にしましたが、どうしてそうなるのか、その解明をすることはできません。

熊嶽はそれを問われる度に、「三密が大切じゃ」と答えていました。
今でいう三密というと、コロナの感染対策の言葉としてすっかり普及してしまいましたが、元々は仏教の用語です。

三密とは広辞苑に下記の様に説明がされています。

「三密」とは「密教で、仏の身・口(く)・意のはたらきをいう。人間の意の及ばないところを密という。また、人間の身・口・意の三業(さんごう)も、そのまま絶対なる仏のはたらきに通ずるところから三密という」

広辞苑

三密とは、(しん)()()の働きです。

身とは、身体または行動。密教では手に諸尊の印契を結ぶこと。
口とは、言葉。密教では口に真言を読誦すること。
意とは、心・意思。密教では心に曼荼羅の諸尊を観想すること。

を表します。

熊嶽は三密を一致させることで奇跡の力が発現すると言っていました。
また実川上人が最期に熊嶽に伝えたことは、三密についてでした。

三密とは、身体(行動)と言葉と心です。
世の中の多くの人は三密が一致しない生き方をしています。

何かをしながらも他所(よそ)事を考えていたりして三密が一つのところに定まっていません。
それでは力が発現しないのです。

営業マンがお客様に商品説明をしていても、「帰ったら〇〇しなきゃ」とか「明日引き落としがあるから入金しておかなきゃ」とか、他所(よそ)事を考えていたりします。

口からは商品説明の言葉が出ているのかもしれませんが、意(心)はあっち行ったりこっち行ったりしている訳で、それではお客様に商品の魅力は伝わりませんし、契約は成約しないでしょう。

心はあっち向いたりこっち向いたり落ち着きがなく、インドではそれを「モンキーマインド」と言って、猿の様に落ち着きがないと例えます。

物事を実現するためには三密(身口意)を一致させることが大切で、そうでなければ本当の力は発揮されません。

私が気功治療をしながら、「終わったら〇〇行こうかな」とか「この人本当に治るのかな?」とか考えながら気を送っていては、その気(エネルギー)が思い通りに働くはずもありません。

特に、「治らなかったらどうしよう・・・」という疑いを抱くと必ずと言っていい程上手くいきません。
偉い人が施術を受けに来て、「絶対結果出さなきゃ、カッコつかない・・・」なんて思った時にはまず失敗します。

それは雑念に心が乱されている状態で平常心ではありません。
熊嶽がいう三密の不一致だから成就しないのです。

熊嶽が気合を掛けて、一瞬で病気を治す時、その様な他所事や不安を抱えていたはずはありません。
熊嶽は「常住坐臥一切すべて三密三昧である」「金剛不壊の三密」と言い、「一生懸命一心不乱で二事に心を散らしたことはない」と常に対象に精神を打ち込んでいることを明らかにしています。
施術の時には絶対治るという確信と自信を持って、施術に当たっていたのです。

その統一状態が施術の時だけではなく、日常生活のいかなる場におけるすべての所作で持続されていたから、一瞬の施術時間で術が奏功したのでしょう。

強く思えば物事は成就すると、ビジネスの哲学でもその様に語られます。

確かにその通りで、強い意志が鋳型(いがた)となって物事は現実化するのです。

熊嶽の場合、その集中度が一般の人々と大きく違っていたのでしょう。

では、どのようにしたら意志が強くなるのでしょうか?

熊嶽は、那智山中の滝行を始め、生涯に渡って水垢離(みずごり)を続け意志を強くする手段としていました。

水垢離(みずごり)は健康増進に寄与するだけではなく、意志力が強くなるのです。

それもそのはず、衣類を着こんでいても寒さが()みる日に、一糸まとわぬ姿になって冷水をかぶるのですから。
やったことのある人はいかにそれが気持ち的に辛いかわかるはずです。

熊嶽は水垢離を霊力の発現の原動力とも考え、冬の厳しい寒さであっても水垢離をとることを怠ることはありませんでした。