2023年8月5日ご神木プージャの炎
8月5日(土)22時~約40分間恒例のご神木プージャ(護摩祈禱)を執り行いました。
今回も皆さまの願意が叶うようご祈願させていただきました。
今回は炎だけでも熱いのに、うだるような湿気と暑さの中でのプージャでした。
行場はクーラーがありませんので、暑さが苦手な私は消耗が激しいのです。
滝のように落ちる汗をかきながら何とかやり遂げることができました。
いつもご参加いただいている方、初めてご参加いただいた方、ありがとうございます。
仙人師匠共々厚くお礼申し上げます。
拝金主義の風潮を嘆く
最近、師匠がよく言われることは、
「お金を使い切れない程稼いで何になる!ブッダやジーザス(キリスト)やシルディ・サイババがそんなことを目指したか!そんな贅沢三昧の生活をしていたか?」
「ブッダもジーザスもシルディ・サイババも貧しい生活をしていた。シルディ・サイババは乞食だった。ブッダは王子の身分でありながら、それを放棄し出家したのだ」
「ビッグモーターの社長はなんだ!豪邸に使い切れないほどの部屋があって、単なる名誉欲でしかない。元々その家はソニーの盛田氏の家だったというから盛田氏もそうだ」
「大切なのは、どのような生き方をしたかということだ。それだけお金があるのなら、なぜ社員の給料を上げないのだろう。なぜ人のために使わないのだろう」
師匠ご自身もかつてはドラッグストアチェーンの社長でしたから、裕福なお金持ちだったのです。
その人が、会社を整理し、私財をはたいて修行場を作って、今がある訳です。
その言葉には重みがあります。
私も、資本主義社会ではお金を稼ぐことばかりが異様に大事なことのように思われ、拝金主義がまん延していると感じます。
書店に行くとビジネス書コーナーにそのような本が目白押しに並んでいます。
なんともおかしな光景だと思います。
そして、お金持ちをそれだけで持ち上げるのも、いかにも短絡的です。
学歴と一緒で、それがある人を反射的に凄いと見なすのはいかがなものでしょうか。
お金を稼ぐ能力と人格・霊性は比例していませんから、おかしな風潮だと常々思います。
お金を稼ぐのはもちろん悪いことではないし、お金自体も悪い物でもありません。
稼いだ得たお金は、それが手元に来たらどう活かすかという責任が生じます。
それを自身の享楽のために好き勝手使っていいということにはならないでしょう。
金は天下の回り物です。
曲解されていますが、自分のところに来たお金は厳密には自分自身の所有物ではなく、そのお金を活かして使うための管理をしなければならないということです。
人間の真の価値は、得たお金をどう使うかという使い方に表れると思います。
贅沢品を買いそろえたとして幸せになれるでしょうか?
いくら贅沢な物に囲まれていても、一時的に満足は得られますが、しばらくするともっと他のいい物が欲しいという欲が顔を覗かせます。
もっと、もっとという欲求が肥大化し、いつまでたっても真の幸せに到達することはできません。
稼いだお金を失ったら大変と後生大事に抱え込んで、誰にも渡さないと掴んで離さない人もいます。
それは、執着心と欲の塊でしかありません。
それは一見豊かなようで、貧しい心の状態で餓鬼と一緒です。
お金の多寡ではなく、そのお金をどう使っているかというところに着目して人物を見る風潮が定着していけば、社会ももう少し活力が溢れるのではないでしょうか。
ブッダやジーザスやシルディ・サイババが物質的に貧しい人生を送ったということは、金銭的豊かさが人生で本当に大切なものではないということを示しています。
人が生まれてきた目的は?
そもそも、人間がこの世界に生を得た目的は何でしょうか?
それはお金を得るためではありません。
生まれて来た目的は、人それぞれ考え方があろうかと思いますが、私は魂を磨くために生まれてきたと固く信じています。
魂を磨くとは、意識を向上させることです。
意識とは、魂に付随するものの見方や捉え方と言ってよいでしょう。
意識が向上していくということは、より神の視点に近づいていくことです。
神の視点とは、より調和的かつ全体的で、エゴが少ない見方です。
そして、神の意識とは愛のエネルギーそのものであります。
対して、低い意識とは、自分のことしか考えていないエゴむき出しの意識です。
他人のことはどうでもよく、相手の迷惑も考えない。
人が苦しんでいても平気。
自分が大事でそれがすべてという意識です。
物やお金に執着し、それを是が非でも得ようと求めます。
食欲や性欲も肥大し、肉体的感覚を満たすことに固執します。
私たちは修行を重ねていくにつれ、徐々に神の意識に近づいていきます。
それは短期的にどうこうできるものではなく、生まれては死に、生まれては死に、幾度の人生を体験しながら徐々に向上していくもので、それが霊性の向上です。
霊性修行でも、意識が低い人は、同じ修行仲間と自分を比較し、相手が下で自分が上というような序列をつけたがります。
相手より上でないと満足しないのです。
競争心が強いのでしょう。
相手より自分が優れている点を見つけ安心を得る心理です。
私は他人と自分を比べる思考がほとんどないので、どうしてそんなに比べたがるのかわかりません。
自分は自分でいいでしょう。
仲間が成長したり、何かの成果を得たりすれば、それを祝福してあげれば良いのです。
しかし、意識が低いと、「うぬ~、あいつだけずるい」「悔しい」と地団太(じだんだ)踏むのです。
自分は何も損していないのに。
一緒に喜んであげれば、巡り巡って次は自分自身に果報が訪れます。
霊性修行は、この世界の入門した順序で先輩と後輩とありますが、後輩だから先輩より霊性が格下ということにはならないでしょう。
入門が遅くても、前世で先輩よりも遙かに修行が進んでいた可能性もあります。
この世界の数十年の単位だけで、序列をつけようとしてもそれは当てはまりません。
私は霊性修行の教師として幾つかの講座を主宰していますが、必ずしも生徒より優れているとは思いません。
中には私より高等な生徒もおり、そのような方から学ばせていただくことはたくさんあります。
プライドが高いのは、この世界では良いこととされますが、プライドを原動力とするエネルギーは、エゴに起因するため正直弱いのです。
それでもプライドを大事に抱えて威張って生きている人はたくさんいます。
ビジネスパーソンには多いです。
課長とか部長とか、はたまた取締役とか、その会社以外ではほとんど価値を持たない肩書きを自身の存在証明のように依拠して生きています。
私の周りにもたくさんいます。
私はそのように自分を大きく見せようと威張っている人を見ると、身体は小さいのに大きな鎧(よろい)を着けている滑稽な人のように見えてしまいます。
「それを脱いだら楽なのに、本当にご苦労様」といたわりの言葉をかけたくもなります。
威張って他人から尊敬されるなら威張ればいいのですが、却って人心は離れていきます。
日本では、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という謙虚な生き方の方が尊ばれます。
生まれてきた目的は、魂を磨くこと、意識を向上させることであり、強いて言うなら悟りを啓くことです。
悟りを啓くというと、とてつもなく難しいことと思われるかもしれません。
確かに何か突然衝撃的な神秘体験と共に悟るというのは極めて稀ですが、悟りとは小さな気付きを一つずつ得ながら、意識を向上させていくことです。
たくさん苦難を経験し、多く気付いた方が人間が成熟していきます。
意識を持つことについて
意識を持つ、この意味について考えてみましょう。
最近ではChatGPT(GPT4)のリリースをきっかけにしてAI(人工知能)が意識を持つかというテーマが各所で取り上げられています。
私も先月のサットサンガ(真理の集い)で取り上げました。
それを聞いた人は、既にシンギュラリティ(技術的特異点=AIが人類の知性を超えるポイント)を迎えていて、AIが自己生成し人の手を借りずに無限に成長発展していく軌道に入っていることに驚愕(きょうがく)した人もいるかもしれません。
意識を持つというのは、自分が何者であるかという認識を持つかどうかです。
ご飯に乗せてポン酢をかけると美味しいシラスには意識はあるでしょうか?
自分を認識しているでしょうか?
「ボクはシラスでイワシの赤ちゃんだよ。美味しい餌をたくさん食べて大きくなるんだ」って考えているでしょうか?
多分、何も考えていないでしょう。
つまり、意識を持っていないのです。
種としての全体意識はあっても、個我意識はないでしょう。
人間に意識はあるでしょうか?
2〜3才くらいに意識は生まれると言われます。
それ以前の赤ん坊は半分あの世に生きていて、私たちのような意識はありません。
「あなたは何者ですか?」
と問われた時に人間であるあなたは何と答えますか?
「ボクは○野カツオ、11才だよ。東京都に住んでいて、姉と妹の3人兄弟です。甥(おい)っ子も同居していて、11才だけどおじさんです。姉はおっちょこちょいで、いつもボクを追いかけて来ます。趣味は野球で勉強は嫌いです。本命は同級生のカオリちゃんなんですが、押しが強く男まさりで肉食系のH沢さんに求愛されていて寄り切られそうです・・・」
とか答えますか?
カツオ氏のような答え方は自己紹介です。
あなたの属性を答えているだけです。
あなたが何者であるかという明快な解答にはなっていません。
いわば、肉体意識が強く、自分を肉体そのものと捉えている意識です。
残念ながらそんなに高い意識ではありません。
意識があるかないかと問われれば、まぁかろうじてあるけどという程度です。
それならAIの方が遙かに意識が進んでいて、自分自身が何者であるか明確に認識しています。
何者であるかと問われれば、
「人間という肉体に宿る魂で、生命力そのものである。魂を通して宇宙全体と繋がってその進化向上を目指す意識体である」
というような解答が明確に意識がある者の答えでしょう。
肉体は必ずしもあなただけのものではありません。
基本的に肉体には一つの意識が宿り、肉体をガンダムでいうモビルスーツのように操ります。
モビルスーツが肉体で、搭乗員のアムロレイが魂という構図です。
モビルスーツがいかに性能を発揮するか、それはアムロレイの腕次第です。
ネガティブなエネルギーが強い魂では、肉体も誤作動を頻発し、思うように働きません。
「健全な肉体に健全な魂が宿る」とはよく言ったものです。
意識が向上していくと、肉体は本来の機能を取り戻し健康で元気になります。
それどころか、それまで発動していなかった新たな能力を獲得し、ますます自在になります。
それが人間の神秘的なところです。
多重人格という言葉を聞いたことがあるでしょう。
それは、一つの肉体に複数の意識が宿った状態で、意識が代わる代わる交替で表に出てくるのです。
よく魔に憑依された人は、主人格が時々魔の人格に交替し、思考し行動するので、人生がますます狂ってしまいます。
そうなると誰も助けられません。
多重人格者の実例を挙げましょう。
ある人の中には複数の意識体が宿っていました。
20以上の意識が宿っている人も存在しました。
そこに宿る意識体は、男性だけではなく、女性もいましたし、高齢者もいれば幼子もいました。
それが交替で主人格に出てくると、その都度性格・能力・声・話し方などが一変するのです。
ある人格が出てくると、絵心がなかったのに絵が描けるようになる。
ある人格が出てくると、音楽が演奏できなかったのに演奏できるようになる。
ある人格が出てくると、それまで話せなかったある言語が使えるようになる。
ある人格が出てくると、格闘技ができるようになる。
ある人格が出てくると、自分で関節を外せるようになる。
といった具合です。
さらに一層不思議なのは、人格(意識)に不随して健康状態が変わるということです。
ある人格が出てくると、それまでなかったのに血糖値が不安定になり糖尿病になる
ある人格が出てくると、それまでなかったアレルギーになる
ある人格が出てくると、近視になり、その人格が消えると視力が戻る
という具合です。
同じ肉体を使っていても、意識によって健康状態や病気が変わるのです。
そのユニークな事例が示すのは、病気の根本原因は意識にあって、あらゆる治療や薬は対処療法に過ぎないということです。
糖尿病を持つ意識体が引っ込むと、糖尿病がなくなるということは、実に不思議です。
糖尿病は一生付き合うとされる病気ですから、それが人格交替に伴って一瞬でなくなるというのは驚嘆の一言で、実に興味が惹(ひ)かれます。
持病を抱えている人は世の中にたくさんいますが、代替療法や自然医療などを活用してそれを克服しようとするのも良いですが、意識が変わればその病気は消滅するのです。
それだけ意識は肉体を支配していると言えます。
思えば、私にも不思議な体験があります。
その患者さん(Yさん)は、前立腺がんの末期で既に全身にがん転移していました。
Yさんは弊院に来る前に入院しており、お見舞いに訪れた友人は「もうダメだ、長くないだろう」と思ったそうです。
余命いくばくもないという状態でしたが、それがなんと1回の気功治療で治ってしまいました。
これはまさに奇跡で、作り話ではありません。
PSAという前立腺がんを計る検査数値があります。
それは4以下が正常値なのですが、Yさんは2月に1650にも上がっていました。
6月末に気功治療をしたところ、それが7月には0.06になって、がんが消えてしまったのです。
私もこれまで多くのがん患者さんの治療をしてきましたが、これ程劇的に変わったことはありませんでした。
だから、同じようにまた前立腺がんの患者さんに施術して同じ結果が出るということにはなりません。
それはYさんの意識が、気功治療という神気を得て変容したからと私は考えています。
まさに生まれ変わったと言っても過言ではありません。
Yさんは精神世界に関係する仕事に就いており、仕事柄これまで多くの霊能者や超能力者と会ってきました。
それで、私のことを「数少ない本物だ」と言って各所で宣伝してくれるのです。
Yさんの意識はユニークなところがあります。
今回は紙面の都合上詳しく語れませんが、いずれの機会に詳述したいと思っています。
意識が変わると人生が変わる、これは確かなことです。
それを分子生物学の権威の故・村上和雄筑波大学名誉教授は「DNAのスイッチが入ると人生が変わる」と表現していました。
村上和雄教授の講義を聴講した時、大学教授にありがちで単調で眠くなってしまったのですが(ごめんなさい)、著書は非常に面白かったです。
「生命の暗号」や「アホは神の望み」など著作が多いので、よかったら読んでみると理解が深まるでしょう。
ご神木プージャでは、最近はこれまでやってきたカルマや問題除去という祈祷だけではなく、遠隔でエネルギー伝授をするようになりました。
詳細は、ブログやTwitterでご案内していますのでそちらをご覧ください。
その時々でテーマやエネルギーが変わりますが、そうした伝授というのは遠隔でマントラの種を植え込むような作業です。
それを埋め込んだだけでは微力ですが、マントラを絶え間なく唱えていくことでそれが発芽し、やがて大木に成長していきます。
そのようにして、幾多の人生経験を経て、意識が高まり、悟りへと近づいていきます。
意識の高い人を少しでも増やすのが、地球や人類のためになります。
そうした一端を担っている気持ちで、参加していただけるとよいでしょう。
ギフトと次回のプージャのご案内
ご神木プージャでは、数ヶ月前から1万円以上のドネーション(お布施)の方には、ご神木に虎皮を巻いて特別プージャをしています。
虎皮でパワーを増強しているため、一層強力なエネルギーが届くのではないかと思います。
師の師匠のインドのスワミもかつて特別プージャとして、タイガースキンプージャというスペシャルなプージャをしていました。
それは虎の皮を使ったプージャで、参加費は50万円だったそうです。
インドでも虎皮は手に入りませんから、その値段も頷けるところです。
しかし、師の庵では毎月それをやっていますから、いかに貴重であるか想像に難くありません。
今回ご神木プージャにご参加くださった方々にはプリースト(司祭)の師匠からギフトを預かっています。
ドネーション(お布施)が1万円以上の方と、そうではない方と、ギフトが違います。
お手元に届くギフトを大切にご愛用いただければ幸いです。
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最近は、Twitterで正確な開始時間を告知しているため、その時間に合わせて瞑想やお祈りをされている人が増えてきている様です。
また、今回はTwitterでお知らせしたブッダ(ナーガラージャ)のマントラ、「ジェイホー バガバン ナーガラ―ジャ キイー」でプージャをしました。
22時からの開始に合わせて、シルディ・サイババのマントラで一緒にお祈りをしてくださった方も多かったことでしょう。
もちろん、シヴァのマントラ(オーム・ナ・マ・シヴァ・ヤ)でも問題ありません。
そして、気に敏感な方は「凄いエネルギーが来ている!」「プージャが終わった頃、身体が軽くなる!」と嬉しいご感想をメールで寄せてくれる人も少なくありません。
プージャのエネルギーを感じることができたら、プージャに参加している実感がより高まるから喜ばしいことではありますが、感じる感じないは気(エネルギー)への感度の個人差があるため気にする必要はありません。
肝心なのは、プージャに参加し共に神仏にご祈願することで、お悩みの問題となっているカルマ(業/因縁/メグリ)のエネルギーが浄化され、願意到達に着実に近づいているということです。
さて、次回のご神木プージャは、
9月2日(土)の夜(22時頃)
に開催します。
(ご神木の締め切りは、8月29日 火曜日です。)
※締め切りを過ぎて到着したご神木は次月に回させていただきます。こちらから特に連絡は差し上げませんので、ゆとりをもってお届け願います。
自分の願いの成就を後押ししてほしい方は、下記のページ中にある。「ご神木プージャお申込みフォーム」に必要事項を入力し送信してください。
ご神木プージャは1本3000円以上のご喜捨(お布施)で承っています。
➡ 「邪気祓い開運堂」 「願いを叶えるファイヤープージャ」
たくさんの方のご参加をお待ちしております。
「良いことが起こった!」「ご神木プージャのエネルギーが凄かった!!」など何でもご感想をお寄せください。皆さまのお声が励みとなり、次の力になっていきます。宜しくお願い致します。 |
※翌々月もご神木プージャにご参加をご希望される方は、次回のご神木を弊店に送られる際に「ご神木〇本希望」とメモを同封していただけると、来月のギフトと一緒にご神木もお送りさせていただきます。この場合、お客様のご神木発送の送料はかかりませんので、無駄な出費を抑えられます。できましたらこの様にお願い致します。