2025年6月14日 ご神木プージャの炎
6月14日(土)22時~約40分間、恒例のご神木プージャ(護摩祈禱)を執り行いました。
今回も皆さまの願意が叶うようご祈願させていただきました。
いつもご参加いただいている方、初めてご参加いただいた方、ありがとうございます。
仙人師匠共々厚くお礼申し上げます。
命をかけて伝えていくもの
今回はご神木プージャが終わると、仙人師匠は「疲れた」と言って早々に自室に引き上げてしまいました。
これは珍しいことなのですが、プージャの前に法力を弟子に移す行をやったためだと思います。
これは、心臓に負担がかかる行で、過去にも命が危うくなったことがあったものです。
今回は事前に感應丸という漢方の強壮剤を飲んで行に臨みました。
実は先月もこの行を行ったのですが、後から聞いた話では、先月も行の後、仙人師匠は体調がよくなかったそうです。
それにも関わらず、今回も体調の不安を押してこの行を敢行してくださったので、言葉には言わずとも師の並々ならぬ思いは伝わりました。
この行を何度か受けていますが、その度に空海のことを思い出します。
空海(弘法大師)が中国・長安で恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から受けた伝法灌頂(でんぽうかんじょう)は、真言密教において極めて重要な儀式であり、師から弟子に密教の全ての教えと法力を正式に伝えるものです。
この儀式は、命を削るほどの精神力と法力を必要とするものでした。
恵果は空海に深い信頼を寄せ、他の弟子を差し置いてわずか半年で全ての密教の奥義を授けました。
この短期間の中で恵果は自らの寿命を縮めてでも教えを授けたと伝えられており、事実、恵果はその半年後に他界しています。
これは「命灌頂(みょうかんじょう)」とも呼ばれる覚悟の儀礼でした。
密教においては、師の命を削って弟子に力を移すことがあります。
この行は、単なる儀式ではなく、精神的・肉体的な限界を超えて師から弟子への「法脈」(教えの流れ)を伝える重大な修法です。
恵果が命をかけたこの行により、空海は帰国後、日本密教の礎を築く偉大な活躍を果たしました。
人生の点が線となって繋がる時
今回は自分自身の人生を振り返ってみます。
それを俯瞰(ふかん)すると、過去から未来に向かって不思議なストーリーが続いているように見えます。
これまでいろいろな出来事がありました。
それを点としましょう。
点と点は一見無関係のように見えますが、時間が経ってみると、不思議と関係があったり、それが将来の布石になっていたりすることがあり、点と点が繋がって線になっているように見えます。
一体、誰がそのシナリオを作ったのでしょうか、人生は実に奥深いと思います。
色々な点と点が結びついて線となっている・・・それが人生かもしれません。
その時々は目の前のことしか見えず、全体像がわかりませんから、ストーリーがわかりませんが、時間が経って振り返ると、無駄だと思われたことも将来のために意味があったのだと納得できることがあります。
皆さまもそのようなことはありますでしょうか?
名前に込められた人生のテーマ
まずは、自分の人生というストーリーを貫くテーマについて考えてみましょう。
皆さまに質問です。
Q. あなたの人生のテーマは何ですか?〔回答時間60秒〕
いかがでしたか?時間内に回答できましたか?
答えに正解はありませんから、皆さまが納得のいくものであればオッケーです。
では、私の回答です。
私の人生のテーマは、霊性の向上や悟り・解脱だと思います。
また、ご神仏との神縁から、神の仕事をしていくこともテーマの1つだとも思います。
私は、名前には人生のテーマが反映されているのではないかと考えています。
何気なく使っているかもしれませんが、その名前を生涯に渡って使うのですから、意味があると考えるのも的はずれではないでしょう。
私の名前は「博友」です。
昔、小学生の時、両親や祖父に名前の意味と名前に込めた思いを尋ねました。
すると、「裕仁にしようと思ったけど、天皇陛下と同じだから博友にした」という何とも不敬で要領を得ない回答でした。
それで、私は自分の名前の意味や込められた思いを知らずに成長しました。
「博士?友達?」くらいにしか考えてなかったのです。
そして、大学生の時に、中国に一人旅をした時に、ジャッキー・チェンに似た青年と仲良くなり、その時に彼が「あなたの名前はmany friendsだ」と言ったので、初めて「そうなのか」と気付きました。
「博」に「多い」という意味があることを知らなかったのです。
それを機会に、友達をたくさん作ることがテーマなのかなと漠然と考えていました。
そして、40才代。
この時期の座右の書は神典「日月神示」でした。
五葉の巻の第三帖に
「友つくれと申してあろうが、友と申しても人間ばかりでないぞ。山も友ぞ、川も友ぞ、動植物も友ぞ。一人の友を得たら1つの世界を得たことぞ、何もかも皆友ぢゃ、皆己となれば己なくなるぞ、己なくなれば永遠に生きられる、無限の己となるぞ」
というくだりがあり、これはまさに「何もかもすべてを友とする(≓博友)」ことは「無限の己となる(=解脱)」ことであり、神示から深読みすれば私の名前は悟りや解脱の意味が含まれているのだと気付きました。
私はこのように解釈したのですが、皆さまもご自身の名前を深読みしてみると、意外な人生のテーマが浮き彫りになるかもしれません。
また、名前は、親などが名付けてくれるもので、受身的に考えている人も多いと思いますが、子供の名前を付けたことがある経験から、名前は子供が教えてくれるものと思います。
子供は自身の人生のテーマを生まれる前から知っていて、それに相応しい名前を親にテレパシーで伝えてくれるのではないでしょうか。
私の子供がまだ妻のお腹にいる時のことです。
性別がわかっていたので、名前を考えようということになり、「今夜、一緒に候補を発表しよう」と朝の出社前に話をしました。
帰宅したその夜、妻と考えた名前をお互いに公表したところ、2人とも同じ名前を考えていて、漢字まで同じだったので、「では、その名前にしよう」と字画などを調べることもなく、瞬時に決定したことがありました。
お互いに他の名前の候補はまったく考えられず、その名前一択だったのです。
私たち夫婦が、「子供が名前を教えてくれた」と信じるようになったのはそのような経緯があったからです。
人生を変えた2人の「けんぞう」
私事で恐縮ですが、題材とするために私個人の人生を続けて語ってみましょう。
私の人生には、2人の大きな影響を与えてくれた「けんぞう」がいます。
一人目の「けんぞう」は、中学時代に出会った建三です。
建三とは、中学は別々でしたが、中学2年生の時から通った塾で一緒でした。
彼は、少々生意気で向こうっ気が強い性格で、とてもハングリー精神が強く、向上心があります。
中学の塾で出会い、どこの高校に行こうと話をした訳ではありませんが、進学した先の高校で偶然にも一緒でした。
当時の名古屋市の高校受験には、「学校群制度」がありました。
「学校群制度」とは、1960年代から1990年代初頭まで実施されていた高校の入試制度で、特定の高校同士を「群(グループ)」としてまとめ、その群に出願する方式です。
合格しても、どちらの学校になるかはわからず、希望の学校を選べないというデメリットがありました。
それでも、進学した先の高校で偶然にも建三と出会い、一緒の高校に通うことになりました。
私が進学した先の高校は、名古屋市の西の外れにありました。
私と建三は、名古屋市の東の端に住んでいて、毎日名古屋市を横断して時間をかけて通学していたのですが、家も割と近いのでよく一緒に通学していました。
ちびまる子と親友のたまちゃんのように仲良しでした。

「まるちゃん、四毒(小麦・乳製品・植物油・甘いもの)を抜くと色々な症状が治るって知ってた?」
高校2年生の時のある日、建三が「オレ、慶応いくよ」と言いました。
私たちの高校は偏差値50そこそこの高校で、早慶には年に1~2人受かるかどうかというしょぼい進学実績でした。
その高校でそれ程成績も良くない建三が慶応大学を目指すというので「一体何を血迷っているのか」、「受かるわけないだろう」と、激しい衝撃を受けました。
私のその当時の実力は、代ゼミ(代々木ゼミナール)の偏差値で38くらいしかなく、地元の国公立大学に進学できれば御の字と漠然と考えていました。
それでも、建三が慶応に行くなら、「じゃあ、オレ早稲田行くよ」と張り合って一緒に勉強を始めたのでした。
とても早稲田を目指せるような成績ではありませんでした。
でも、「建三が頑張るならオレも負けてられない」、「頑張ろう」と受験勉強に励みました。
時代は昭和から平成になり、小渕首相がテレビで「平成」という新元号を書いた紙を披露したのを建三と一緒に眺めていた思い出もあります。
しかし、いかんせん、勉強のやり方もわからないので、一向に成績は伸びず、2人とも浪人することになりました。
高校を卒業した春、建三は横浜に引っ越していきました。
建三は、東京の代ゼミ本校で、私は地元名古屋でお金がないので宅浪(自宅浪人)しました。
浪人生の時、日本史がどうしても苦手で伸びず悩んでいましたが、建三がくれた日本史のノートで開眼し、一気に成績が伸び、その後日本史はスーパーサイヤ人のように無双レベルまで強くなりました。
私の受験の合格は、日本史で高得点したお陰だと考えているので、建三がくれたあのノートと出会わなければきっと合格していなかったでしょう。
建三は慶応大学が第一志望でしたが、蓋を開けてみれば、2人とも早稲田大学商学部に進学しました。
まさか、進学する大学まで一緒になるとは思っていなかったので、「腐れ縁だね~」と自他共に認める関係になっていました。
大学では、これも話を合わせた訳ではありませんが、第二外国語で中国語選択が一緒。
サークルは複数入っていましたが、建三に誘われて経営経済学会というサークル(名前は立派だが、部室で只ぐだぐだ暇つぶしするだけのサークル)に入り、そこでも顔を頻繁に合わせていました。
商学部には経営系のゼミが片手くらいあり、建三と私はゼミが別々でしたが、建三が「オレ、ゼミ幹(ゼミの幹事長)やるわ」というので、私もやろうとゼミの幹事長に立候補し、共に経営学のゼミ幹を務めていたのも一緒です。
ゼミ幹に手を挙げたのは、当時ゼミの幹事長を務めると、就職に強いと言われていたからです。
建三との腐れ縁は一旦ここでおしまいです。
建三は、大手都市銀行から外資系金融会社に進み、私はベンチャー企業に就職しました。
就職先は別々で、それからそれぞれの道を歩んでいます。
現在、私は埼玉県の南部に住んでいます。
後に、建三が板橋区に住んでいるのを知って、「割と近いな」と思ったものです。
長く会っていませんでしたが、以前久しぶりに建三から連絡があり、再会することになりました。
50歳を過ぎて久しぶりに会った建三は、すっかりかっぷくのいいおっさんになっていました。
聞くところによると、建三は私の家のすぐ近くのテニススクールに通っていて、その後にお茶する喫茶店は、私がいつも仕事をするために通っていた喫茶店で、その奇遇にも驚いたものです。
その喫茶店で一緒にお茶をした後、駐車場でお互いのクルマを見たら、お互いよく似たクルマに乗っていて、「そっくりだな」と笑い合ったものです。
私のクルマは少々個性的なクルマで、その趣味も同じでした。
頻繁に会う関係ではありませんが、今の自分があるのは建三のおかげと感謝していますし、共に人生を歩んできて、私の人生に彩りを与えてくれた彼の存在は非常に大きく、今世の大きな恩寵だとも思います。
この先またどうなるかはわかりませんが、きっとまたどこかで人生が交差するのかもしれません。
もう一人の「けんぞう」。
それは、仙人師匠こと健三さんです。
仙人師匠には、かれこれ15年くらい師事していますが、私を救って導いてくれただけではなく、言葉に表現できないくらいの大きなものを与えてくれました。
私の人生に最も大きな影響を受けた人物は紛れもなく仙人師匠です。
仙人師匠との関係は、これまでも各所で書いていますので、皆さまもご存じのことでしょう。
ただ、その出会いには少々不思議なことがありました。
それは、後ほど語ることにします。
人生に刺激を与えてくれた古い親友の名前、それと霊性修行の師匠の名前が同じなのは、点と点が結び付いて一つのストーリーになっているように見えてなりません。
トラとの深い縁
時代は前後しますが、幼少期の話をします。
幼少期は母に甘えることがなく、いつもトラのぬいぐるみと寝ていました。
トラのぬいぐるみは、トラちゃんと呼んでいました。
トラがお利口さんにちょこんと座っている形のかわいいぬいぐるみでした。
アルバムを開くと、トラちゃんと写っている幼少期の自分がいます。
トラちゃんは4年生頃に捨てることになりました。
その時は、長年のパートナーを失ったようで悲しかったです。
それから40年。
仙人師匠の下で修行をするようになって、トラとのご縁が深まりました。
トラは今の時代輸入できませんから極めて貴重なのですが、仙人師匠はたくさんのトラの骨や皮を昔から持っていました。
トラは神獣であり、人間の魂を魔から護ってくれます。
私は一体どれほどトラに助けられたでしょうか?
数えることもできないくらい多く助けられました。
私はいつもホワイトタイガーの牙のネックレスを下げています。(これは在庫が1〜2個あります。これで終了です。ご希望の方は早めにお問い合わせください)
トラは神獣ですが、中でもホワイトタイガー(アルビノ種)は、神の使いと呼ばれていて、普通のトラとエネルギーが格段に違います。
また、皆さまに斡旋する法具にもトラの骨粉が入っているものも多くあります。
ご神木プージャでは毎回トラ皮を供物(くもつ)として焼いています。
1万円以上のドネーションをいただいた方のご神木には、それぞれにトラ皮を巻いてプージャをしています。
今の時代、護摩祈祷でトラ皮を焼くところはおそらく皆無でしょう。
インドでも滅多にないようです。
これは本当にスゴイことなのです。
治療室では、シヴァ神が座っているトラ皮の敷きものと酷似したトラ皮の上に座っています。
瞑想の時もトラ皮の座布団に座っています。
【参考】「邪気祓い開運堂」・毛皮座布団
このように、いつもトラに囲まれて暮らしています。
かつて、霊感の高い女性から、私にトラの守護霊がいると告げられたことがあります。
その方は、霊と実在の人間との区別がつかないくらいの霊感がある人でした。
トラとの縁は、過去世からなのでしょうか。
幼年期には、トラちゃんと過ごしていたのは、その縁のためかもしれません。
幼い時にトラと一緒に過ごし、永い時を経て、またトラに囲まれて過ごしている。
これも点と点が繋がっている一つのストーリーになっているように見えます。
次は大学生の時の話です。
大学生の時くらいから、少し風変わりな格好を好むようになりました。
そのスタイルは今でも続いていて、私の普段着は少々個性的かもしれません。
印象に残るのか、よく訪れたお店で覚えてもらえます。

こんな格好!?
では、当時どのような格好をしていたかというと、シルディ・サイババかシヴァ神のような格好をしていました。
シルディ・サイババの写真を見ると、いつも頭に手拭いのような布を巻いています。
私はいつも頭にバンダナを巻いていました。
かぶりものは好きで、今でも自宅に帽子やバンダナがたくさんあります。
それで、よく大学の授業中にゼミの教授から「水野くん、頭の取りなさい!」と注意されていました。
また、今は常時ジャパマーラ(菩提樹のネックレス)をしていますが、実は大学生の頃からかけていました。
その頃は、特に何の信仰もなければ、神仏について思うこともない、もちろんシヴァ神も知らないまったくの無宗教だったのですが、なぜか大きな玉のジャパマーラをしていました。
今と同じなのです!
そして、シヴァ神はいつも腰にトラ皮を巻いていますが、私もだいたい黄色の羽織を腰巻きにしていました。
履物は、アーノルドパーマーの皮の焦げ茶色のサンダルで、高校生の時に建三が履いていて、それを気に入って40歳過ぎまで毎年買って長年履いていました。

まぁ、そのような幾分個性的な格好でキャンパスを闊歩(かっぽ)していたわけです。
バイトは高田馬場で塾講師をやっていましたが、服装が不適切と問題になり退職することになりました。
意識せずにシルディ・サイババやシヴァ神のような格好を長年していたのは、過去世で魂に刻まれたものが表出したためでしょうか。
大学生の頃から何気なくしていた格好が、40歳を過ぎて霊性修行をする時の装いと酷似しているのは、点と点が繋がって線になっていったように見えます。
また、不動明王はシヴァ神が由来とされますが、私の誕生日は不動明王のご縁日です。
不動明王は大好きな神様で、時々深川不動堂の護摩に参加します。
私の店はさいたま市で、江東区の深川不動堂と距離がありますが、なぜか深川不動堂と縁があるお客様が度々おみえになります。
昔の仕事という点が線につながるのか
次は、20代のベンチャー企業でのサラリーマン時代。
なぜ、ベンチャー企業に勤めようと思ったかというと、商学部での卒論のテーマが「ベンチャー企業論」で、大学を卒業しベンチャー企業での体験を活かすことで、いずれ自分自身も独立し起業したいという思いがあったからです。
一からの事業立ち上げから、企業の成長過程を経験することが、自分自身の起業に役立つと考えました。
しかし、実際は気功治療家というビジネスというより職人の道を選ぶことになるのは後の話です。
その企業に勤めていた後半に、私は旅館の再生事業のようなことをやっていました。
具体的には企業の保養所を、当時の会員100万人向けの福利厚生施設として旅館に転用するという事業で、当時はまだ旅館やホテルを再生する会社は少なかったです。
今では、星野リゾートとか大江戸温泉とか、いくつか廃業した旅館を自社ブランドにして再生する会社がありますが、その走りのようなことをしていました。
当時の企業保養所はバブルの名残もあって、旅館も顔負けの豪華な施設がたくさんありました。
それを賃貸したり購入したり交渉し、運営をしていくのが仕事でした。
最終的に10施設くらい全国に作りました。
温泉があるのはもちろんのこと、中には結構な広さのシアタールームがある豪華な施設もありました。
今から思えばダメダメですが、30歳くらいの青二才がよくやっていたものです。
その事業は会社の本業ではなく、ある日突然社長に呼ばれて「水野やれ」でやることになりました。
それまで営業と商品企画しかやったことはなく、右も左もわからない状態です。
それでも試行錯誤し、取引先などにいろいろと教えてもらいながら少しずつ施設を拡大していきました。
その後、宅建にも合格し、不動産の知識も活用し、少しだけ専門家ぽくなりました。(宅建の知識は今では全部忘れました)
実際は駆け出しでたいしたことない実績なのですが、なぜか当時取材を受けることがあって、私がNHKの夕方のニュースに出演したり、日経新聞にも何回か載ったりしました。
それで、日経新聞は内実がなくても話題性だけでニュースになるのだと知りました。
自分で独立してやっていけるのではないかと思えるようになったのは、この仕事の経験が大きかったでしょう。
私はこの頃、中村天風の書を読んで氣を理解していたものの、何か具体的に鍛錬をしたりすることはしていませんでした。
ある時、大手製薬メーカーの豪華保養所を下見に九州を訪れたことがありました。
その時は知りませんでしたが、その物件は今の仙人師匠の修行場の近くだったのです。
仙人師匠とお会いした訳ではありませんでしたが、その出張の帰途、博多の本屋でふと手に取ったのが合気道の本で、それをきっかけにして合気道に入門しました。
おそらく、仙人師匠の近くに寄って、過去世からのエネルギーが共鳴し、何かが起動し始めたのではないかと思っています。
合気道は2年ほどやって辞めました。
合気道はあまりに面白くて熱が入りすぎたからです。
女で身を滅ぼすという言葉がありますが、私の場合、合気道で仕事もそっちのけになってしまって、「このままでは合気道で身を滅ぼす」と危機感を覚え辞めました。
しかし、氣への関心は収まることなく、それから数年して外氣功療法の先生に入門し、今に至ります。
私の氣功人生は仙人師匠の修行場の近くに寄った帰りに博多で手に取った1冊の本から始まったといっても過言ではありません。

5年くらい前にひどい皮膚炎になった時、主に温泉療法で快癒しました。
ものすごい酷い皮膚炎でしたが、耐え抜いてステロイドは使いませんでした。
その温泉の効果が素晴らしかったので、それから温泉大好き人間になり、各地の温泉に湯治に行くことが趣味の1つになりました。
今では温泉好きな人と温泉談義に花を咲かすのは、楽しい一時です。
温泉の力を教えてくれたのは、南浦和にあるアロマとお香のショップ「しあわせの香り 梵」の仕事を一緒にしてくれている樹里さんです。
樹里さんのお父様はかつて肺がんに罹ったのですが、福島県の「やわらぎの湯」で3泊4日の湯治を2回したら肺がんが消滅したそうです。
家族は皆お父さんを心配して「抗がん剤を受けて」と強く勧めたのですが、お父様は頑(かたく)なに「温泉で治す」と抗がん剤治療を拒否して、実際に温泉で結果を出しました。
お父様は今でもご健在です。
その話を20年位前に伺った時、「え~!そのようなことがあるの!」と半信半疑でしたが、調べてみると温泉で病気が治るというのは珍しいことではないと初めて知りました。
実際、全国のラジウム泉(放射線が含まれる温泉)の温泉はどこもがん患者で賑わっています。
それで自分が体調不良になった時は、湯治に行こうと考えていたのです。
私はかねてからどこかの山に修行場を作ると公言していますが、病気に効く良質の温泉施設を作りたいと思っています。
護摩(ファイヤープージャ)や瞑想をして、温泉で湯治をすれば、治療家や霊性修行者が浄化できるだけではなく、病気の人も快癒していくことでしょう。
瞑想やヨガなどのリトリートもできて、添加物や農薬などの身体によくないものを含まない自然食で身体本来の力を蘇らせる、そのような施設を作りたいのです。
かつて、私が旅館の経営をしていた経験は、退職した20年前に打ち切りとなったように考えていましたが、ここに来てその経験を活かす場ができるかもしれない・・・と密かに感じています。
過去の仕事の経験という点が、次なる点に繋がって、大きな流れになってほしいです。
これから始まる新たな精神修行
修行場兼温泉施設はそれなりの規模になるので、結構な資金が必要です。
本当は、ドネーション(お布施)だけでそのような施設を作りたかったのですが、いかんせん力不足で資金が全然足りません。
大口のスポンサーが出てくるのを待っていましたが、待てど暮らせど何も起こらず、まずは自分自身で資金を作る努力をしろということなのでしょう。
このところ、仙人師匠が株のデイトレードで結構な成績を上げています。
仙人師匠は何をやっても器用にこなす才能をお持ちです。
先月より、仙人師匠からそれをやるように強く勧められています。
仙人師匠がこれほどまでに勧めてくれるのは、「何か直感的に思うところがあるのではないか」と思っています。
まさか私が金持ちになって、高級外車に美女をはべらせてブイブイと豪遊させるためではないでしょう。
私はそのような世界にはまったく関心がありません。
たとえ、お金を得ても今の生活は変わらない自信があります。
お金を得て唯一したい贅沢は、九州の修行場への往復を新幹線のグリーン車を使いたいということです。
私は人混みがとても苦手で、すし詰めの飛行機は結構疲れるので、広々とした座席でゆったり移動したいです。
神の仕事をするにも、ただではできず、相当な原資が必要です。
そのための資金作りに入る時期になったのだと、自分の人生を俯瞰して思うようになりました。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」といいます。
気功治療や霊性修行、それと株の両立はできるのでしょうか?
これまでの私なら無理と即断したところですが、なぜかエネルギーが湧いてきます。
何かそうなっていく大きな流れを感じているところです。
私はデイトレードなど株の短期投資は、投機的で、我欲の強い人間がすることだと考えていて、全然ヤル気が湧かなかったのです。
いわば、そこはまさに欲深な魑魅魍魎(ちみもうりょう)の守銭奴が集まる戦場ともいえるでしょう。
そこに私が参入するのは、思いもよりませんでした。
しかし、いろいろと調べてみると、確かにそのような輩(やから)もたくさん集うところですが、そこでそこそこの成績をあげて生き残るためには、知力だけではなく心のコントロールができないと無理のようです。
激しい値動きに感情が揺さぶられ、心が落ち着かず乱れた状態では相場で負けるのは必至です。
欲に駆られて株式相場に多くの個人投資家が参入してくるのですが、生き残るためには離欲と不動心が必要で、まさに精神修養にうってつけといえるのです。
相場に資金を投入した経験のある人ならわかると思いますが、短期投資は値動きにかなり動揺させられます。
私は得た資金を修行場や世の中のために役立てることを目的として、株式相場に参入することにしました。
これまでの霊性修行の成果が発揮できるのでしょうか?
それとも、まだ欲があって相場に翻弄されて虎の子の資金を減失させるのでしょうか?
40歳代はたびたび仙人師匠と共にインド・ヒマラヤに行って修行をしました。
そこで修行を重ねた時に、聖者からホーリーネーム(聖なる名前)を授けられました。
それは、仏教でいう法名や戒名とほぼ同義で、修行者としての新たな人生の出発を意味し、その後の精神的アイデンティティを象徴する名前です。
私は聖者から日本語の意味で、「無執着の王」というホーリーネームをいただきました。
授かった時は、「えっ、結構欲があるんだけどな」と名前が腑に落ちないところがありましたが、今になってそれが繋がった感じで、名前負けしない生き方をしていかなければならないと思いを強くしています。
このホーリーネームという2つ目の名前にも、人生のテーマが込められているのかもしれません。
尚、先に温泉の件(くだり)で紹介した仕事の同志の樹里さんは、私の治療院の開業直後に来院した古いお客様です。
その頃、私は今のような霊性修行もしておらず、インドへの思いはこれっぽっちもなかった時期なのですが、樹里さんが私に「先生はヒマラヤに行ってください」と強く勧めていて、「おかしなことを言うものだ」といぶかしく思っていたことがありました。
それもまた繋がって、樹里さんの言葉通りに6年後に導かれるようにヒマラヤに行って修行をすることになりました。
そこでの経験は、私の人生の中でもかけがえのないものになっています。
上杉謙信の「死中に生を得る精神」を人生に活かす
私は大学生の頃から上杉謙信を尊敬し、生き方に憧れています。
大学生になってすぐに一人旅をしたその目的地は、上杉謙信の居城春日山城(新潟県)でした。
それくらい好きです。
上杉謙信とは、越後に君臨した戦国武将です。
川中島の戦いで、甲斐の武田信玄と一騎打ちしたのは有名です。
上杉謙信は、戦場で「義」や「毘」の旗を掲げ、100戦不敗の圧倒的な強さで戦国最強と謳われました。
手取川の戦いでは、織田信長の武将・鬼柴田こと柴田勝家率いる織田軍の精鋭部隊を鎧袖一触で撃退し完全勝利を収めた強さで、その戦強者ぶりはいくつもの伝説が残されています。
なぜ、そこまで強かったのか?
それは上杉謙信が戦国大名でありながら密教修行者でもあり、毘沙門天を篤く信仰し、護摩祈祷などの厳しい修行していたからです。
毘沙門天と自身が一体になる神人合一の境地に至り、千里眼などの神通力を得ていたという説があります。
そのため、敵の動きを掌(たなごころ)に取るくらい見事に読み、5000の兵がいれば戦に負けることはないと豪語していました。
また、密教の弾除けの秘術も体得していて、鎧を付けず戦に臨むこともありました。
攻城戦の際、敵の射程内で盛んな射撃を受ける中、悠々と弁当を食べて戻ってきた逸話もあります。
どうしたらそのような神通力を得られるのでしょう?
そのためには、無私、無我の境地に入らねばなりません。
謙信は、自らの領土拡大の野望がまったくなく、侵略された近隣の豪族たちにすがられてやむなく立ち上がるのが常でした。
戦国の諸将が領土拡大の野望に駆られて戦を繰り広げる中、謙信のみは「義」の精神で戦に臨みました。
自軍の先頭に立つ謙信の勇姿を見た敵は、皆震え上がって敗れていったのでした。
上杉謙信が「義」の武将と言われる所以(ゆえん)です。
上杉謙信のことを話し出すと、翌朝までかかりますので、この話はここで中断します。
今日、この記事を書いていて、ふと大学生の時を思い出しました。
大学生のゼミの時に、ゼミ生の前で謙信の言葉を披露したことがあります。
その言葉をこの時期改めて思い出したのは、何かまた繋がった感じです。
ここでもかつての点が30年の時を経て線になりました。
謙信の精神はこれから相場という戦場に向かおうとする私の胸に刻みつける大事な言葉のように思えてなりません。
今回の稿は、上杉謙信の言葉を以て締めくくりたいと思います。
運は天にあり。鎧は胸にあり。手柄は足にあり。
何時も敵を掌(たなごころ)にして合戦すべし。
疵(きず)つくことなし。
死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり。
家を出ずるより帰らじと思えばまた帰る。帰ると思えば、ぜひ帰らぬものなり。
不定とのみ思うに違わずといえば、武士たる道は不定と思うべからず。
必ず一定と思うべし
(意訳)
運命は天に任せるもの。防御(覚悟)は自分の心にあり、成果は自分の行動次第。
いつも敵を冷静に見極めて戦えば、傷つくことはない。
死ぬ覚悟で戦えば生き残れるが、生きようと欲を出すと逆に死ぬことになる。
もう帰れない覚悟で家を出れば意外と帰れるが、帰るつもりで出ると帰れなくなるものだ。
「世の中は先が読めないものだ」と思うのは誤り。武士としての生き方には、信念と覚悟というゆるがぬ軸が必要だ。
ゼミ生の一同を前にこの言葉を朗々と読み上げた当時の私を、大学生頃からこのような心境で生きていたのかと誇らしく振り返る反面、やはり少々変わり者だったかもしれないと気恥ずかしくも思います。
これは上杉謙信が戦を通して得た人生哲学ですが、経営にも、相場にも当てはまる人生の要諦といえるでしょう。
尚、上杉謙信の幼名は「長尾虎千代」です。
謙信は、もともとは「長尾景虎(ながお かげとら)」という名前でした。
その後、上杉家を継いで「上杉政虎」「上杉輝虎」と名を改め、最終的に「上杉謙信」と名乗るようになりますが、長年名前に「虎」の一字が含まれていたのを追記しておきます。
今回のレポートは、私の出師表(すいしのひょう=戦に出る際の決意と忠誠を述べた文)のような内容になりました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
少しでも皆さまに得るところがあれば幸いです。

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黄色の被せ物のプラスティックには超貴重な天然の牛(ご)黄(おう)もたっぷり配合しています。
牛黄はソマチッドを沢山含んだ土壌(隕石)に生えている草を食べて育った1000頭の中からたった1頭の牛(ヒンドゥ教では神)の胆嚢にできる胆石です。
ヒーリングスティック(銅)をお持ちの方で「仙人長寿ヒーリングスティック」にバージョンアップをご希望の方は4万円でお受けします。往復の送料は別途です。

仙人長寿特製第7頸椎用ペンダントと羚羊角(れいようかく)
【含有物】
ラジウム鉱石粉(自然放射線50μ㏜〔マイクロシーベルト〕=ホルミシス効果)
ババクロス(シルディ・サイババが身につけていた衣装片)
ババマントラ(シルディ・サイババのマントラ)
魔除けの護符(カーラーバイラヴァ神)
ソマチッド鉱石の玉
角が胸の前に来るように首からぶら下げ、角を右手に握ってババマントラを唱えます。角は脳の熱を持った邪気を抜くことができますので、寝る時は頭の周辺に置いてください。
ペンダントのみの場合は、主に第7頸椎に貼り付けるか気になる部位に貼るか平ゴムに縫い付けて使用します。
腰痛ベルト等などにも使えます。
万能スティック
「万能スティック」は、仙人師匠が「これが最後の大型のグッズになるだろう」とあらゆる最高の法物を使って製作したものです。
私は使用し始めて1ヶ月が経ちますが、まさにその言葉通りの珠玉のアイテムだと断言できます。
この「万能スティック」を仙人師匠がこう解説しています。
このスティックの最大の特徴は、アフリカ羚羊角(れいようかく)の空洞部分に気(エネルギー)を発生させる仕組みが為(な)されていることです。
角の先端(細い方)から地のエネルギー(ラジウム・グラファイトシリカ・ソマチッド〔カリウム40・テラヘルツ波〕・銅・血液・猿頭霜(えんとうそう)・乳香〔ミルラ〕・没薬〔フランキンセンス〕・龍血樹の樹液・魔除け護符・マントラ・西洋ニガヨモギ他)のエネルギーを吸収し、太い部分(金・エルサレム隕石〔=ジーザス〕・羚羊角(れいようかく)粉・ネコ科大型肉食獣頭骨の粉他配合)に行く間に空(宇宙)のエネルギーに変え、宇宙エネルギー(神・氣エネルギー)とコネクトする仕組みのスティックです。
ソマチッドとは、DNAの1/4しかない超微小生命体で、太古の昔より動物や人間の血液の中に存在しており、死んだ肉体から土に戻り、また動物の体に戻る、輪廻転生のようなことが永遠に行われています。
そのため、魂ではないかとも言われております。
そのソマチッドには、それぞれが意志や知性を持っていると言われており、人間の意志によって活動を行い、免疫力を高めてくれる微生物だと言われているのです。角の先の細いプラスティックの被せ物からは20μ㏜(マイクロシーベルト)、太い被せ物からは1.5μ㏜の自然エネルギー(放射線)が常時放出されています。
このエネルギーは永遠に途絶えることはありません。
同時にテラヘルツ波・カリウム40も出ています。
強いエネルギーを取り入れ、微細な神のエネルギーに変えてコネクトすることを目的にしています。太い被せ物に50g使っています。その中には金も含まれており、金のチップ一枚の金の量は多く、1.3g使っています。本来は30万円くらいにしたかったのですが、先行き短い私からのギフト斡旋金額18万円です。見返りを期待しない、菩薩修行のひとつです。
さらにこう教えを述べられました。
昨日は、私の教えが後生に伝わり絶えることが無いように、古い生徒に万能スティックとチップと魔除け缶の作り方を伝授しました。
教えは大グルのシルディ・サイババからカレシュワール・スワミへ、そして私へ、私から生徒へと引き継がれて行きます。
不思議と思うでしょうが、教えは天界からも送られてきます。
そして、その教えが完成するように、それに必要な人と縁を結んでいただけます。その一方邪魔をする魔もやってくるのです。
その魔と戦いながら実行して行くのが、私の修行でもあるのです。
上に行けば行くほど大きな魔がやって来ますが、それに取り合ってはいけません。
全てを受け入れるのです。
その魔はある時は家庭を壊しに来ます。
またある時は、私の側から生徒を切り離す裏工作(生徒が増えると自分らが破壊されるので)を仕掛けて来ます。
それも全て無視です。
それがこの宇宙の仕組みですから、取り合ってはならないのです。
自分の大事なすべてが無くなっても無視です。
そしてそれを受け入れ、邪魔をする魔も愛してあげるのです。
これが最終の修行なのです。皆さんもいろいろと悩み事があるでしょうが、抵抗すればどこまで行っても、それから逃れることはできません。
抵抗すればするほど、その渦は大きく膨らむのです。
無視すれば、やって来る魔はやりがいが無いので、他のターゲットを探しに行きます。
これが究極の宇宙の仕組みなのです。
いかにして魔を成仏させるかです。自分にやって来る邪悪なエネルギー(魔が苦しみ助けを求めている。もしかしたらご先祖様かも知れない)を万能スティックの角の細い方から吸い寄せ、それを上の大きな玉に行く間に良いエネルギーに変え、それを天界に送り届ける(成仏)「万能が出来るスティック」を想定して一本一本念を封じ込めながら、手作りしています。
仙人師匠が語る通り、私は万能スティックの製作方法を教えていただきました。
しかし、正直なところ、作り方を習って同じ形の物ができたとしても、師匠と同じ効力がある物が作れるかというとはなはだ疑問です。
私も最大限努力をするつもりではいますが、この法具を作るという能力は、おそらく一代限りで継承できないのではないでしょうか。
万能スティックは水野気功療法院に2本在庫を預かっていますが、基本的に受注生産です。
師匠がご存命の内に手にしていただきたいと思います。
特に、これまで私の下で霊性修行をしてきた生徒さんには奨励しておきます。
お預りしている2本の内、1本は店内貸し出し用です。
万能スティックを実際に手に持って瞑想をして、その気(エネルギー)を感じ、納得した上でお求めいただければと思います。
ソマチッドチップ

除霊ミラクルパッドの原料(ラジウム、ブラックシリカ、エルサレム隕石粉、テラヘルツ)にソマチッドの粉を加えてチップにしました。
これを鼠径(そけい)リンパ節に貼る事によって免疫力をアップする事ができます。
このチップには金属は入れていませんのでガルバーニ電流を乱すことはありませんので、併用しても問題はありません。
毎時10μ㏜(マイクロシーベルト)前後の神のエネルギーと言われている自然の放射線を放出していますので、免疫力の向上に役立つでしょう。
まだ邪気祓い開運堂には掲載していません。
ご希望の方は、メール(quanyin28@gmail.com)までご連絡ください。
ギフトと次回のプージャのご案内
ご神木プージャでは、数ヶ月前から1万円以上のドネーション(お布施)の方には、ご神木に虎皮を巻いて特別プージャをしています。
虎皮でパワーを増強しているため、一層強力なエネルギーが届くのではないかと思います。
師の師匠のインドのスワミもかつて特別プージャとして、タイガースキンプージャというスペシャルなプージャをしていました。
それは虎の皮を使ったプージャで、参加費は50万円だったそうです。
インドでも虎皮は手に入りませんから、その値段も頷(うなず)けるところです。
しかし、師の庵では毎月それをやっていますから、いかに貴重であるか想像に難くありません。
今回のご神木プージャでは、1万円以上のドネーション(お布施)の方には、仙人師匠が特別に作った「万能スティック」に1本1本のご神木を差して、時間をかけて祈念しました。
今回ご神木プージャにご参加くださった方々にはプリースト(司祭)の師匠からギフトを預かっています。
ドネーション(お布施)が1万円以上の方と、そうではない方と、ギフトが違います。
お手元に届くギフトを大切にご愛用いただければ幸いです。
最近は、X(Twitter)で正確な開始時間を告知しているため、その時間に合わせて瞑想やお祈りをされている人が増えてきている様です。
また、今回はX(Twitter)でお知らせしたシルディ・サイババ/ダッタトレーヤー神のマントラ、「オーム サイ スリ サイ ジェアジェア サーイ」でプージャをしました。
22時からの開始に合わせて、ダッタトレーヤー神のマントラで一緒にお祈りをしてくださった方も多かったことでしょう。
もちろん、シヴァのマントラ(オーム・ナ・マ・シヴァ・ヤ)でも問題ありません。
そして、気に敏感な方は「凄いエネルギーが来ている!」「プージャが終わった頃、身体が軽くなる!」と嬉しいご感想をメールで寄せてくれる人も少なくありません。
プージャのエネルギーを感じることができたら、プージャに参加している実感がより高まるから喜ばしいことではありますが、感じる感じないは気(エネルギー)への感度の個人差があるため気にする必要はありません。
肝心なのは、プージャに参加し共に神仏にご祈願することで、お悩みの問題となっているカルマ(業/因縁/メグリ)のエネルギーが浄化され、願意到達に着実に近づいているということです。
さて、次回のご神木プージャは、
7月12日(土)の夜(22時頃)
に開催します。
(ご神木の締め切りは、7月8日 火曜日です。)
※締め切りを過ぎて到着したご神木は次月に回させていただきます。こちらから特に連絡は差し上げませんので、ゆとりをもってお届け願います。
自分の願いの成就を後押ししてほしい方は、下記のページ中にある。「ご神木プージャお申込みフォーム」に必要事項を入力し送信してください。
ご神木プージャは1本3000円以上のご喜捨(お布施)で承っています。
➡ 「邪気祓い開運堂」 「願いを叶えるファイヤープージャ」
たくさんの方のご参加をお待ちしております。
「良いことが起こった!」「ご神木プージャのエネルギーが凄かった!!」など何でもご感想をお寄せください。皆さまのお声が励みとなり、次の力になっていきます。宜しくお願い致します。
※翌々月もご神木プージャにご参加をご希望される方は、次回のご神木を弊店に送られる際に「ご神木〇本希望」とメモを同封していただけると、来月のギフトと一緒にご神木もお送りさせていただきます。
この場合、お客様のご神木発送の送料はかかりませんので、無駄な出費を抑えられます。
できましたらこの様にお願い致します。
※毎月このレポートを郵送していますが、PDFデータでもよいという方は、その旨ご連絡ください。次月からメールかラインでお送りさせていただきます。