真理と魂の成長を求めて
年始にアップした水野氣功塾のブログ記事「2026年 新年のご挨拶と抱負」でもお伝えしましたが、私は2025年、「世の中(宇宙・人間・社会)の真理を見極めること」を最優先課題に掲げて歩んできました。
まだまだ道半ばではありますが、自分なりにこの1年で確かな進化を遂げられたという実感があります。
改めて問い直してみたいのですが、この世界における成功とは一体何でしょうか?
一般的には、多くの人気や支持を得ること、大金を稼ぐこと、高い地位や権力を手にすること、あるいは愛する人と結ばれること……これらが人生の成功だと考えられています。
私はそれらを否定するつもりはありません。
しかし、この地球という第三密度の世界に誕生した理由と、肉体を離れた後の生命形態を深く考察したとき、世俗的な成功だけでは真の成功とは呼べないのではないかと強く感じるようになりました。
仙人師匠は、よくこう言います。
「この世の常識は、神の世界の非常識」
この世界での一般的な見方と、神の見方はまったく異なります。
神の視点に近づけば近づくほど、これまでの当たり前という常識に違和感を覚えるようになってくるのです。
多くの人は、自分の肉体そのものを「私」だと認識して一生を終えます。
しかし、身体は「私」を構成する一部であっても、本体ではありません。
人間は多次元的な構造を持っており、真の「私」とは死後も存続する魂というエネルギー体です。
いわば、魂という操縦士が肉体という乗り物に入って、この世界で動いているのです。
霊的な視点に立てば、この魂を強く輝かせ、成長させることがこの星に生まれてきた真の目的です。
そう考えると、それ以外の世俗的な成功は、極論すれば些事(さじ)に過ぎません。
ですから、私の今年の目標も昨年と変わらず、 「世の中(宇宙・人間・社会)の真理を見極めること」 これに尽きます。
もう少し具体的に言えば、
「魂を浄化し、成長させること」
「解脱できる意識レベルに到達すること」
これが私の人生における最重要テーマです。
皆様にもそれぞれ夢や目標があるかと思いますが、私のこの目標を聞いて、「自分と同じだ!」と直感的に感じた方はいらっしゃるでしょうか。
「真理を見極める」「解脱する」といっても、雲を掴(つか)むような話に聞こえるかもしれません。 では、そのために具体的にどうすればよいのか?
俗世を断って深山幽谷に隠棲し、孤独に瞑想を続けなければならないのでしょうか。
私にとってそれは魅力的な選択肢にも見えますが、決して必須ではありません。
山に籠もって行う修行を「山の修行」
街中の市井(しせい)で行う修行を「里の修行」
と呼びます。
山に籠もらずとも、「里の修行」で魂を十分に成長させることができます。
では、その具体的な方法について、3つのポイントで詳しく見ていきましょう。
魂の成長のために① 人の何倍も仕事に励む(現実を観察する)
一つ目は、人の何倍も仕事に励むことです。
「あれ、さっき仕事の成功は重要じゃないって言わなかった?」
「それなのに、なぜ仕事を頑張るの?」
といぶかしく思われるかもしれません。
その違和感は正しいです。
私が言いたいのは、高い報酬や賞賛を得るために働くということではありません。
大事なのは、圧倒的な集中と没頭です。
なぜ、没頭が必要なのか。
それは、仕事に極限まで集中する中で、
「自分の精神状態によって、目の前の現実(現象)がどう変化するか」
を客観的に観察できるからです。
その観察を深めることで、この世界の本当の姿が浮き彫りになってきます。
多くの人は、自分を82億人(世界人口)の中の一人という、物語の登場人物の一人として捉えています。
世界という舞台で起こる出来事に翻弄される受け身の存在だと考えているのです。
しかし、極度の集中の中で「自分の内面が現象を創り出している」という実感を積み重ねていくと、現実は受け身のものから、能動的に操作できるものへと変わっていきます。
たとえば、大変な問題が次から次に波状的に起こる負の連鎖を経験したことはありませんか?
最初のトラブルにイライラして投げやりに対処すると、さらに面倒な問題が追い打ちをかけてくる。
これは、負の精神状態がそれに見合うネガティブな現実を引き寄せているのです。
それがわかれば、問題が起きても冷静沈着に対処することがトラブル収束のためには賢明だとわかります。
さらには愛を持って包み込むような対応ができるようになれば尚良い結果になります。
すると「災い転じて福となす」という言葉通り、不思議と却って良い結果に結びつくことが増えていきます。
つまり、仕事を通じた没頭を通して、自分自身の精神状態によって体験する現実が変わるという現象を感じ、この世界の一人の登場人物から、現実の創造者へと視点を引き上げていくことが大事だということです。
そのためには、趣味のような気楽な集中ではなく、仕事やスポーツなどに没頭するまで集中するという思考の高重力状態を作り出さなければならないのです。
この没頭するという熱狂感が必要で、それは趣味に没頭するというのではなかなかそうなりません。
仕事をするということは、この世の中や社会を良くしようとする一端を担うことであり、その過程でどうしても問題や障害が生じます。
それは世界が生成発展を志向する以上は不可避なことで、どのような仕事であっても必ず直面するのです。
大企業の社長から、フリーランサーまで、あらゆる仕事の従事者それぞれが問題に直面し、それをクリアするゲームをしています。
仕事で直面する問題をクリアするプロセスは、世の中の本質を見極めるための最高のゲームなのです。
なお、仕事に取り組む際は、「仕事を通して神に仕える」という意識を持つとさらに深まります。
なぜなら、「仕」も「事」もどちらも「つかえる」という意味の漢字だからです。
もう少し掘り下げると、
仕=仕(つか)える=「人」に仕える(サービス・貢献)
事=事(つか)える=「神事・公務」を成し遂げる、神や国などの大きな存在のために、自分の役割(任務)を果たす
という言葉の成り立ちであり、仕事とは本来、高邁な行為なのです。
魂の成長のために② 魂の穢れを浄化する(引き算の成長)
魂は、本来、愛と神性のエネルギーでできた光り輝く存在です。
しかし、ほとんどの人の魂は、カルマによる穢れで曇ってしまっています。
厚い雲に覆われて、太陽の光が見えなくなっているような状態です。
この穢れを浄化し、本来の輝きを取り戻すことが引き算の修行です。
その有効な手段として、古今東西の宗教では瞑想やマントラ、炎を使った浄化(ファイヤープージャ・護摩祈祷)が推奨されてきました。
私も日々瞑想を欠かしませんが、毎回の瞑想でマントラを唱え、神仏と繋がりそのエネルギーを受け続けていると、不肖の身であっても段々と穢れが取れてくるものです。
ご神木プージャや護摩祈祷の炎でも同じように強力に穢れを祓うことができます。
即効性は感じにくいかもしれませんが、継続することで、魂の透明度は確実に増していきます。
これらは穢れというカルマを浄化することになりますので、魂の成長に欠かすことができません。
魂の成長のために、穢れを取るという引き算の発想です。
魂の成長のために③ 奉仕をする(足し算の成長)
三つ目は、奉仕(セバ)です。
インドの霊的な伝統では、奉仕は大変な功徳があるとされ、時には出家者の修行以上に価値があると言われます。
奉仕とは、見返りを期待せずに相手に尽くすことです。
損得勘定を抜きにして誰かに貢献する行為は、エゴ(自我)を超え、魂の成長を強力に促します。
師匠の修行場でもセバをしてくれる年配の女性が数人います。
彼女たちは会社にお勤めをしているため、兄弟子や私ほどは熱心に修行をしていませんが、長年セバ活動をしている内にやはり神との繋がりが濃くなっているのが見て取れます。
奉仕とは、経済的な見返りを期待しないで相手に尽くすことをいいます。
一般的な経済活動は、お金という対価を得るものですが、セバには経済的な恩恵はありません。
損得勘定抜きで、修行者に奉仕することは、いわば神に仕えることであり、自己のエゴを超えて他者の幸福を願う行為そのものが、魂の成長を促します。
霊性の修行においては、「自他一如(じたいちにょ)」という考え方が重要です。
これは、自分と他者を分け隔てず、他者の苦しみや喜びを自分のものとして受け止めるという智慧です。
この境地に近づくためには、まず実際に行動として他者に尽くすという実践が不可欠です。
ここで大事なのは実際に行動に移すということです。
奉仕を通じて、自己中心的な思考から離れ、自分のために生きるのではなく、他者とともに生きることを学んでいきます。
そうして自然と心の利己心が浄化され、より高次の自己へと変容していくのです。
仏教では「自利利他円満(じりりたえんまん)」という言葉があります。
これは、自分の悟り(自利)と他者への慈悲の行為(利他)とは切り離せないものであり、
両方が満たされることで霊的な完成がなされるという教えです。
つまり、奉仕はただ他者を助けるというだけでなく、同時に自分の魂を清め、深めてくれる尊い修行でもあるのです。
たとえば、日々の中で困っている人に手を差し伸べる、目の前の人の話を心から聴く、地域社会の中で役に立つことを自主的に行う――これらはすべて霊的な奉仕であり、どれほど小さな行為であっても、魂に深い影響を与えます。
それらの行為は経済的な恩恵はなくとも、愛という感謝のエネルギーをもらうことができ、それは魂の愛のエネルギーを弥増(いやま)すことになり輝きを強くします。
魂の成長のために、愛のエネルギーを増やしていくという、足し算の修行です。
また、奉仕の行為は自我(エゴ)を手放す訓練にもなります。
人は誰しも「見返りを求めたい」「認められたい」という欲望を抱えていますが、それを超えて純粋に他者の幸せを願って動くことができたとき、内面には静けさと満足感が満ちてきます。
そのような状態は、魂の成長が進んでいる証でもあるのです。
このように、奉仕とは単なる善行ではなく、神性に近づくための霊性修行の一環として、大きな意義を持つものです。
「仕事での観察」「瞑想による浄化」「純粋な奉仕」。
これらはすべて、里の修行として日々の生活の中で実践できるものです。
魂を確実に成長させ、より調和と愛に満ちた人生へと導いてくれるはずです。
私も今年は「奉仕」を重要テーマの一つに置き、実践していきます。
これから歩む道が、愛の光に満ちた豊かなものとなりますよう共に精進してまいりましょう。

