では、誰でも懸命に訓練すれば三密を習得し、熊嶽の様な技を使える様になるのでしょうか?
私はそれはそうはならないのではないかと考えています。
なぜなら、熊嶽が三密を体得する過程で師の実川上人による法の伝法があり、その秘密の法によって三密を最大強化する力がもたらされたと考えるからです。
法というのは、仏の力を手中にして奇跡を起こす特別な力のことをいいます。
そして、それは師から弟子に直接伝授されなければならないものです。
法を持つことができれば、誰もが到達することができない特別な境地に到達できますので、密教などの修行者はきっと喉から手が出る位法を求めていることでしょう。
しかし、現代は末法といって、法が廃れた時代ですので、法を探し求めるのは極めて困難です。
インドでは「法に当たるのは、ガンジス川で一粒の砂金を探し見つけるのに等しい」と言われ、その難度の高さを表現しています。
つまり、法を探し求めるのは努力でどうなる問題ではなく、まず不可能ということです。
しかし、唯一、縁があれば法に辿り着くことができます。
熊嶽の場合は、実川上人によって伝法されましたが、実川上人は初めて熊嶽に会った時「7年間山と里を探し後継者を探したが見つからなかった」と言っています。
7年の長い年月の末に熊嶽と縁ができて3年の修行の後に秘中の法を渡すことができたのです。
実川上人の言葉より分かることは、誰でも法を継承できるわけではなく、受け継ぐ者の器が問われるということです。
それが故に、実川上人は7年間も後継者を探し求めたのでしょう。
実川上人は運よく後継者にめぐり会いましたが、この奇縁が結びつかず一代限りで断絶してしまい消え去った法もたくさんあることでしょう。
仏法を求めるなら、真言や天台などの密教寺院を探し求めれば良いかと考えますが、なかなかそうはいかないようです。
法の世界では「金襴緞子を纏った者に法者はいない」と言われます。
つまり、立派な寺院で豪華な僧衣を来ているお坊さんには法はないということです。
だから、金の草鞋が擦り切れる位、足で在野の人物を探せと言われるのです。
そして、有名な諺「犬も歩けば棒に当たる」の真意は、「擦り切れる位足で法者を探せば棒(法)に巡り合える」という意味になります。
この様に、法という物は立派な寺院を探し求めるのではなく、在野の野良仕事をしている様な人のところに密かに伝承されていると考えるのが妥当なのです。
それは簡単には見つからないでしょうし、たとえ見つけることができたとしても伝承できるかは別問題です。
要は、縁それだけが法をつないでいるということができます。
熊嶽の場合は、実川上人との奇縁によって特別な法が伝授され、その力によってあの時代に一世を風靡したのでしょう。
熊嶽は65才の時、故郷の長島で肝臓の病によってこの世を去りました。
熊嶽には数人の直弟子がいたと言われていますが、熊嶽と同等の力を持っている人の話はその後聞きません。
おそらく、熊嶽からは法は受け継がれず、その代で終わってしまったのではないかと思います。
法の伝授は神が決めることとは言え、貴重な法が消えてしまったのは返す返すも残念なことです。
熊嶽の人生はまるで大きな打ち上げ花火が闇夜に照らした一瞬の光だった様に思えてなりません。
【参考文献】
『奔流 浜口熊岳の生涯』北村博司(紀州ジャーナル社)
『熊嶽術真髄』(八幡書店)
『熊嶽人心自由術秘法』(八幡書店)
『摩訶不思議』(天命学院濱口熊嶽事務所:昭和8年100版)
『霊術家の黄金時代』井村宏次(BNP)
『新・霊術家の饗宴』井村宏次(心交社)