たくさんの先生から習った方が良いのか?一人の先生に就いて習った方が良いのか?

技量を取得する上で、先生を選ぶのはとても大切なことです。
先生の技量や人格によって、自身の成長がある程度規定されるからです。
素晴らしい先生に就けば、その先生の如く限りなく成長できるかもしれませんし、見掛け倒しの先生に就けば、余り成長が望めないかもしれません。

そのため、技量を学ぶよりも師を選ぶのに時間をかけた方が良いという考えもあります。
さっさと学びをスタートするよりも、3年じっくり師を選べと言われます。
師をしっかり見極めてからスタートした方が、開始時期は遅れてもその後の成長が期待できるのでその方が賢明なのです。

気功を学ぶのもそうです。
気功は他の技能よりも目に見えない力を扱いますから、尚のこと師を選ぶのは重要でしょう。
有名だから、繁盛しているから、という見かけだけで選ぶと、余り良い気(エネルギー)を受けられないかもしれません。
エゴが強く執着・欲望が強い人の気(エネルギー)はやはりそれなりの質です。
「実るほど頭が下がる稲穂かな」という言葉の通り、素晴らしい人程腰が低く、サバサバとしているものです。
「能ある鷹は爪を隠す」ように、余り自身の実力を吹聴しません。

初見の人に、自身の力や継承されている秘密を話したりしませんから、生徒側から見ると師が暗愚に見えるかもしれません。
私もそうですが、付き合いが長くなり、関係が深くならないと大事なことは伝えません。

密教は、文字通り秘密の教えなので、口が固いことが必須です。
生徒さんが秘密を漏らせば、生徒さん本人のみならず、その師までカルマの影響が及びます。
「この人は信用できる人物かどうか」というのを師はじっと長く観察しています。

私も今の師(仙人師匠)についてかれこれ12年になります。
霊性修行は12年が一つの区切りとなりますから、そこまではようやく辿り着いたという訳です。
仙人師匠に師事する前は色々な気功師に学びました。
それはそれで得ることもありましたが、本格的な修行は仙人師匠に就いてからです。

気功は気を学ぶものです。
私が仙人師匠に師事しながら、他所であれこれ学んでいたら、他所で受けた気が混合し、今の気の質と違ったものになっていたことでしょう。
それが良い方に向かえばいいのですが、おそらく雑な気の質になっていたのではないかと思います。
他の技能では、様々な師から学ぶのも良いかもしれませんが、気功はそうしない方が良いです。

プロ野球のピッチャーは一流になればなる程決め球を持っています。
これを投げさえすればバッターは手も足も出ないという決め手の球です。
カーブ、スライダー、スプリット、フォークなど様々な球種がありますから、ピッチャーはうまくなろうとして色々な球種を学び採り入れようとします。
それでうまく習得できれば実力が上がるのでしょうが、新しい球種を学ぶと新しい球種の投げ方に影響され、それまで持っていた決め球の威力が落ちたり、下手をすると決め球が使えなくなったりするということもあるそうです。

本当に多くの球種をマスターして活躍しているのはダルビッシュ有くらいで、その他の超一流のピッチャーでも球種は2~3程度です。
横浜の大魔神佐々木の球は打つのが非常に難しかったと聞きますが、氏の球種はストレートとフォークだけです。

上達を目指すにもひたすら新しい技術を学べば良いというものではないというは奥深い真理です。
深く掘り下げていくのが大事ということです。
目移りしてしまう「隣の芝生は青く見える」というのも自分の弱さではないでしょうか。
派手さはなく愚直にひたむきに精進することが高所に至る道かと思い、私はゆっくり歩んでいます。

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