私は治療家の中でも遠隔療法が多いと自負しているのですが、自分でやっていながらどのような仕組みでそれが効くのか明確なことはわかりません。
私のかつての師匠は、遠隔療法の達人でしたが、気がビームのように空間をビーと飛んで行っていると語っていました。
私はそうではないのではと考えています。
人は深層意識が繋がっているのです。
そして、魂は個々の身体に入っていますが、魂は深層意識レベルで繋がっており、私が遠隔療法の時に治るように祈ると、その気(エネルギー)はその人の魂から湧くのです。
いわば、竹林で竹が個々に孤立しているように見えながら、根っこが繋がっているのと似ています。
ご神木プージャ(護摩祈祷)も同じような仕組みですが、少し違います。
ご神木は一本一本が書いた人に繋がっているように感じます。
その人の気(エネルギー)が転写されているようです。
そこに書かれている諸願をプリースト(司祭の仙人師匠)や私も読みませんが、それが叶うというとは、神が介在しているという確たる証左に思えます。
魂同士の繋がりは、親子・夫婦、恋人同士の場合はより濃いものがあります。
同様に霊性修行の師弟も相当濃いのです。
師匠と私は同時期に同じような考え方をしていることがよくあります。
同じような着想を得ることも珍しくありません。
同じような現象を体験することも珍しくありません。
霊性修行の師は弟子のカルマを取ります。
それは取り除いて軽減できるエネルギーもありますが、そのように単純・簡単にいかず、師が我が身を犠牲にして引き受けるものもあります。
それは相当過酷な修行ともいえます。
誰だって、他人のために自分が苦しみたいとは思いません。
自分自身のカルマでさえ、それから発生する様々な苦しみや困難があり、それだけでも精一杯なのに、他人のものまで背負いたくはないでしょう。
私の師匠は弱いところを見せませんし、弱音を吐くこともありませんが、毎月の修行の後は寝込むことが多いようです。
ご神木プージャは、ただの焚き火とは違うのです。
私もご神木プージャのときは、具合が悪くなることがほとんどです。
以前はそれでぶっ倒れて寝込むこともありましたが、大分邪気への抵抗力も強くなって来たため、最近は「気分が悪い〜」と、う~う~苦しむ程度です。
でも、できればそんな思いもしたくありません。
師匠は弟子のカルマを引き受けますので、本物の師匠は弟子を多く取りません。
魂の浄化をコップの水に例えるならば、師自身が修行をして墨のように黒かった水がだいぶ澄(す)んでできた、「よし、もう一息だ!」という段階で、また墨汁を投入されるようなものです。
浄化してきたものも、また穢れてしまいます。
だから、本物の師匠はせいぜい2、3人しか弟子を取らないのです。
仏陀が十大弟子、ジーザスが12使徒と言われる所以(ゆえん)です。
かように歴史に名を残す偉大な聖者でもせいぜい10人程度なのです。
弟子や生徒の数を誇る大きな組織での師弟の繋がりは、果たしてどうなのかと思います。
私は生徒さんのことを弟子とは呼んでいませんが、実質的には弟子と同じで、生徒さんのカルマを引き受けていると感じることが多くなっています。
邪気で苦しむ機会は度々ありますが、「あぁ、これはあの人のだろう」と推測がつくこともあります。
生徒さんの日常を聞いてみると、災難や苦難の肩代わりを私がやっていたのだと気付くこともあります。
ある生徒さんの場合は、病気・人間関係・家族問題など様々な困難が私の体験と酷似しています。
生徒さんに起きる諸問題が、ほぼ同時期に、ほぼ同じストーリーで私にも起こるのです。
起きる現象のキツさは、生徒さんの方が酷いのです。
あまりにも似ているので、どうやらそれは私が身代わりになって肩代わりしていると気付きました。
私が肩代わりすることで、生徒さんに起きる問題が、大難が小難になっているのだと思います。
師弟の繋がりにはこのような不思議なこともあります。
厳密に観察してみると、このような仕組みで私の困難が現実化しているものが他にも多くあるのでしょう。
シルディ・サイババも生前はわけもわからず怒鳴ったりして傍目には頭がおかしい人にしか見えないことがあったといわれています。
それはおそらく信者の心の叫びを引き受けていたのです。
信者を襲う見えないエネルギー体を撃退していたこともあったでしょう。
また、訪れてきた信者の病気を取って、信者を助け、我が身にその病気を移して救ったことも数多くありました。
シルディ・サイババはそのようにしてたくさんの信者を助けていました。
いくら神の化身(アバター)とはいえ、相当過酷な人生だったと思います。
私はシルディ・サイババほどの活躍は到底できませんが、微力でも同じような体験をしているのだと感じる日々を過ごしています。
自分の苦しみや問題は、自分だけのせいではないことも多くあります。
先祖のカルマが現れていることも少なくありません。
前世で自身が作ってしまったものもあるでしょう。
このように苦難や困難は、魂同士のつながりによって深いレベルから起こってきているものと考え、観察してみるとよいでしょう。
そして、来世や子孫に持ち越さないよう自分の代で解消するべく、強い気持ちで奮闘努力し乗り切りましょう。