邪気抜きヒーリングスティック療法認定講座・初級 11月14日開催決定。参加者募集中。

82億分の数十人。あなたのそばにいる人は、奇跡の縁で結ばれている

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「愛の反対は何でしょうか?」
マザー・テレサの言葉として広く知られているこの問いかけに、多くの人は「憎しみ」と答えるかもしれません。
けれども、その答えは「無関心」だといいます。

目次

路上で息絶えようとしていた人たち

インドのコルカタ。
マザー・テレサは、路上で誰にも看取られず死んでいこうとする人々を抱き上げ、自らが開いた「死を待つ人の家」へと運びました。
そこで彼女がしたことは、高度な治療ではありませんでした。
体を洗い、手を握り、名前を呼び、「あなたは大切な人なのですよ」と伝える。
ただそれだけです。
ある男性は、息を引き取る前にこう語ったといいます。
「自分はこれまで、通りで獣のように生きてきた。けれど最期は、天使のように、愛され、大切にされて死んでいける」
人生のほとんどを誰からも顧みられずに生きてきた人が、最期のわずかな時間に愛を受け取り、穏やかな顔で旅立っていく。
人を本当に苦しめるのは、貧しさや病そのものよりも、「誰からも必要とされていない」という孤独なのかもしれません。

愛のエネルギーが枯れるとき

憎しみは、まだ相手に心が向いている状態です。
怒りや恨みであっても、そこには相手とのつながりが残っています。
けれども無関心は、相手の存在そのものを、心の中から消してしまうこと。
誰からも必要とされず、誰からも相手にされない。
そうした日々が続くと、人は愛のエネルギーが枯渇し、少しずつ衰えて弱々しくなっていきます。
水を与えられない花が、音もなくしおれていくように。
やがて心は歪み、病んでいくことさえあります。

気功の観点から見ても、人は気の交流によって生かされています。
言葉を交わす、目を合わせる、微笑みかける。
そんな何気ないやりとりの中で、私たちはお互いに温かい命のエネルギーを送り合っているのです。
人が生きていく上で、何より欠かせないのが愛のエネルギーなのです。

愛は、待つものではなく、発するもの

「私だって愛がほしい。でも、愛してくれる人なんていない……」
そう感じて、ひとり夜を過ごしている人もいるでしょう。
その寂しさは、決して恥ずかしいものではありません。
人が愛を求めるのは、生きている証ですから。

けれども、知っておいてほしい大事なことがあります。
愛は、一方的にもらったり、奪ったりするものではありません。
誰かが愛してくれる日を待っている限り、心はいつまでも満たされないのです。

大切なのは、まず自分から、ほんの少しだけ愛を差し出してみること。
愛、感謝、思いやり・・・
そうした気持ちで人に接していると、不思議なことに、その相手から、あるいは思いもよらない別の人から、愛がかえってきます。
井戸の水は、汲めば汲むほど新しい水が湧いてきます。
愛もまた、出せば出すほど、自分の内側から湧き出てくるもの。
そして気づいたときには、誰よりもあなた自身が、その温かさに満たされているのです。
これが、この世界の法則です。

恋愛だけが愛ではない

愛というと、つい恋愛と結びつけて考えがちです。
けれども、恋愛ばかりが愛ではありません。
むしろ恋愛には、気を付けなければならない落とし穴があります。
「相手を自分のものにしたい」「思う通りに動いてほしい」
そんな我(エゴ)が、知らず知らずのうちに膨らんでいきやすいのです。
「愛しているから」と言いながら、いつの間にか相手を縛り、苦しめてしまう。
そうなれば、愛とは対極にある執着へと堕ちていきます。

仏教では、真の愛を慈悲と呼びます。
相手に安らぎを与えたいと願い、相手の苦しみを取り除きたいと願う心。
そこには見返りを求める気持ちも、相手を縛る気持ちもありません。
ただただ、相手の幸せを願う。
それが本当の愛のかたちです。

想像してみてください

少しだけ、目を閉じて想像してみてください。
毎朝、何気なく「行ってきます」と声をかける家族。
いつも同じ席で仕事をしている同僚。
レジで「ありがとうございました」と言ってくれる店員さん。
もし、その人たちと明日、二度と会えなくなるとしたら。
最後に交わした言葉は、どんな言葉だったでしょうか。
ちゃんと目を見て、「ありがとう」を伝えられていたでしょうか。
私たちはつい、身近な人がいつまでもそこにいてくれると思い込んでしまいます。
けれども、当たり前の毎日は、決して当たり前ではありません。
失ってから「もっと優しくしておけばよかった」と涙を流す人が、どれほど多いことでしょう。

愛を伝えるのに、特別なことは何もいりません。
朝の「おはよう」を、笑顔で言う。
「ありがとう」を、心を込めて伝える。
疲れていそうな人に、そっとひと言声をかける。
その小さな温もりが、もしかしたら誰かの一日を、さらには誰かの人生を救うことだってあるのです。

82億分の数十人という奇跡

今日は何人の人と出会い、会話をしましたか?
私たちが日頃触れ合うことができる人は、せいぜい数十人でしょう。
いま地球上には、約82億もの人々が暮らしています。
その中で、同じ時代に生まれ、同じ場所に居合わせ、言葉を交わす人は、ほんの数十人。
それはもう、奇跡としか言いようのない確率です。
あなたの隣にいるその人は、82億の中から、たまたまではなく、出会うべくして出会った人なのかもしれません。

袖振り合うも多生の縁

「袖振り合うも多生の縁」ということわざがあります。
道ですれ違い、見知らぬ人と袖が触れ合う。
そんなほんの一瞬の出来事にさえ、前世からの因縁がある、という意味です。
「多生」とは、幾度も生まれ変わりを繰り返すこと。
すれ違うだけの人とさえ、そうなのです。

であるならば、毎日顔を合わせる家族とは、共に汗を流す仲間とは、何度も言葉を交わしてきた友とは・・・いったい、どれほど深いご縁で結ばれているのでしょうか。
もしかしたら、何度も生まれ変わる中で、親子だったこともあったかもしれない。
助け合った仲間だったこともあったかもしれない。
そして今生、また巡り会うことを約束して、この世に生まれてきたのかもしれません。
苦手だと感じる人や、ぶつかり合ってしまう相手でさえ、魂が何かを学ぶために、互いに選び合った縁なのだと思えば、心にゆとりができて、少しだけ優しい気持ちになれるのではないでしょうか。

今日、縁ある人に愛を

愛の反対が無関心であるならば、愛の第一歩は関心を向けることです。
目の前の人に、心を向ける。
その人がそこにいてくれることに、感謝する。

たったそれだけで、あなたの中から愛のエネルギーが流れ出します。
その流れはやがて巡り巡って、必ずあなた自身のもとへと還ってきます。

マザー・テレサが路上の人々に注いだ愛は、決して特別な人にしかできないものではありません。
あなたの「おはよう」にも、あなたの「ありがとう」にも、同じ愛が宿っています。
今日出会う人は、何度も生まれ変わり、ようやく巡り会えた、かけがえのない人かもしれません。

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