作家・津本陽氏の遺作となった「深淵の色は 佐川幸義伝」には、気功治療上達のために役立つ示唆に富む言葉が並んでいます。
津本陽氏は、歴史作家や剣豪作家として著名で、非常に多くの作品を世に出しました。
大学に入学し、初めて読んだ本が津本陽氏の作品「下天は夢か」(※織田信長の小説)であり、それだけに津本陽氏の作品には深い感慨があります。
それから氏の数多くの作品を浴びるように読み、多大な影響を受けました。
津本陽氏の最後の作品になったのは、大東流合気柔術の武道家・佐川幸義氏の話です。
大東流合気柔術とは、平たく言えば合気道のような武道です。
90才を超えても誰も太刀打ちできなかったという伝説の人物です。
私も合気道はかじった程度ですが、体験したことがあります。
大東流合気柔術の達人ともなると、物理現象を超えた力で敵を制圧します。
佐川幸義氏のセーターに触れただけで、その相手が数メートルも後方にふっとばされるというエピソードなど、驚愕する不思議な話が残っています。
佐川幸義氏は老境に入り、最後はビンの蓋も開けられないくらい筋力が弱っていましたが、それでも弟子との稽古になると、弟子達は激しく叩き付けられ、一歩間違うと大怪我をしてしまうくらい激しいものだったという話も載っています。
この作品は、愛弟子の木村達雄氏のインタビューを基に書かれています。
長年師の薫陶を受けた木村達雄氏も、武道家として非常に高い境地にいるのだと思います。
その木村達雄氏が易の大家である中根光龍師に診てもらった時の話を、同著から引用しここに紹介します。
肉体的にも精神的にも鍛え上げられた木村達雄氏を診たIさんという易家が木村達雄氏を診た時、印象通りの強い卦ばかり出たというのですが、一方Iさんの師である易の大家の中根師は真逆で「随分弱い人だ」と辛辣な評価を下しました。
「弱いから、自分の出来ることを全部出して見せたいのです。この先生(※木村達雄氏のこと)は見せすぎです。自分の力は出来るだけ見せてはいけない。自然にしていて出るものが良いものです。これだけ出来ますと言ってみせるのは、自分が弱いのです」
「目立とう、強くなろうと思ってはいけないのです。これは意識の武術です。意識の武術は、焦り、自己顕示、勝とうと思うこと、世界一とか誰よりも勝ちたいとか、そういう思いを持っていてはだめになってしまいます。自然な心で淡々とやっていく。それが出来ることが上達の道です。自分の邪心が自分をだめにします。天真で自然な心でやるべきです」
大東流合気柔術という武道で更なる高い境地を目指し修行をするのに、強くなろうと思ってはいけないとは禅問答のようなものです。
強さや能力を誇示すること自体が、弱さの表れであると易の大家は言います。
世の中で大衆の尊崇を集めるために、自分がいかにすごい人物であるかを、胸を張ったり腕を組んだりして鼻高々に誇示する人たちはどの分野にもたくさんいます。
私などは、鼻持ちならない安っぽい人物だなと顔を背けたくなりますが、そのような人物を安直にすごい人だと鵜呑みにして追従する人が後を絶ちません。
もう少しよく見極めればいいのにと思いますが、人間が未熟で眼力がないので仕方ありません。
本当にすごい人物はそのオーラを消していますし、自身の能力を吹聴しませんから、なかなかそうであることがわかりません。
そのような人と縁が結ばれるのは、それはその人の人徳がある所以(ゆえん)でしょう。
一方、求道者も強くなろうとか思ってはいけないし、強くなったと慢心してはいけません。
慢心したところで、成長の終わりが来ます。
また当然ながら、誰々よりも上か下かと序列を付けるような思考を持ってはいけないということです。
私も仙人師匠の下で長年修行をしていますが、修行仲間にはこのような序列を付けたがる人がいて閉口しました。
私は弟子中でビリっけつでも全然いいのです。
向き合う相手は神仏であり、修行仲間ではないはずです。
人間界に生きていると、自己顕示欲、自己承認欲求がなかなか抜けません。
嫉妬心にもだえ苦しむ人も少なくありません。
少なくとも求道者であれば、そのようなエゴは捨て去らないと余人が到達し得ない境地にたどり着くことはできないでしょう。
この鑑定をした易の大家の中根師は、易の道でそのような名人と言われる境地に入っていたからこそ、他の技芸や武道における進歩について語ることができたのでしょう。
求道者には示唆に富む言葉です。
武道家のことを語っていますが、気功治療の道を歩む者にも同様に当てはまるものです。
肚に入れて、自己を反省するよすがとしたいものです。