生活即修行

生活即修行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(※下記記事は2011年7月19日の「ヒーリングクァンイン」のサイト記事に加筆修正を加えたものです。)

 

「人のためになりたい」・・・そんな気持ちで気功治療を習いたいという人は多いと思う。

いや、ほとんどの人がそうかもしれない。

 

確かに気功治療の力があれば家族・親戚や友人などに施術をしてあげられる。

病気で困っている人を助けてあげられる。

力がついてくればそれで独立開業もできるかもしれない。

自分自身にも自己治療もできる。

とても便利で貴重な技術だと思う。

 

 

 

でも、よく考えなければならないのは、果たして気功治療の力がないと人の役に立つことはできないのかということだ。

人の役に立つという意識は、気功治療の技術を身につけたことで初めて出てくるものでもあるまい。

本当に人の役に立ちたいという人は気功治療の技術の有無に関わらず、その様なことを既に生活の中で実践しているものだ。

 

ダースベイダー

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、力のみを求めてくるとやがて力に溺れてしまう。

弊塾の力は正当・正道の力であるが、力のみを渇望すればダークサイドに落ちブラックなエネルギーに導かれる可能性がある。

魂を売って力を手に入れると、それは来世以降気の遠くなる程の時間拘束されることになる。

映画「スターウォーズ」でアナキンが力を渇望する余りにダークサイドに堕ち、悪のダースベイダーと化したのと同じ道を辿ることになる。

世の中にはブラックな力が結構多い。

力の誘惑に負けないようくれぐれも気を付けなければならない。

 

 

そもそも、気功治療ができるできないというのは、人の霊性とはまったく関係がない。

気功治療ができない人でも霊性の高い人はたくさんいる。

 

弊院のクライアントさんの中にも、笑顔を絶やさず人に元気を与えることを心掛けていたり、安い給料にもかかわらず介護の仕事を生きがいとしていたり…お会いすると私は「先生」と呼ばれながらも頭が下がる思いがするような霊性の高い方々がいる。

その様な人達は、生活を修行の場とし、永く人間を磨いてきたに違いない。

 

気功治療家も霊性を高めて行こうとすれば生活そのものを修行とみなし、身口意(=身体・発言・意思)を律していかなければならない。

神はすべてをお見通しであり、一切のごまかしは効かない。

 

  • 愚痴をこぼしてはいないか
  • 良心に恥じる行動をしてはいないか
  • 言葉と行動に嘘はないか
  • 悪口を言ってはいないか、人を悪く思ってはいないか
  • 未来の余計な心配をしてはいないか
  • 常に感謝を持つようにしているか
  • 相手の気持ちに立って考えているか
  • 人と自分を比べて落ち込んではいないか
  • 笑顔を絶やさないようにしているか
  • 親孝行をしているか
  • 貪欲になっていないか

 

まだまだ心掛けることは山ほどある、

 

いくら気功治療をしようと、瞑想をしようと、マントラを唱え魂を浄化しようと、人間ができていなければ霊性の向上は限定される。

かつてある聖者に信者がこう質問をした。

 

「毎日1日の大半の時間を瞑想している人と、瞑想をする時間はわずかしかないけれど奉仕を生活としている人とどちらが霊性は向上するのでしょうか?」と。

 

その答えは大方の予想に反し後者の方であった。

つまり、奉仕という生活そのものが瞑想であり、霊性の向上につながるということがこのことからもわかる。

 

 

 

霊性修行は生活の場が第一であるということを忘れてはならない。

座って瞑想することだけが修行であるという考えは誤っていると言える。

 

人間ができていないのに力だけ持ってもいびつでバランスを欠いているに過ぎず、その様な人間になっても他人から信頼されないし、求められることも余りないことは明白だ。

人間形成こそが基礎となり、その上でその他の瞑想やマントラ(真言)が初めて活きてくる。

それを忘れず日常生活の困難を修行の場とし、勇猛果敢に邁進していけばやがて大輪の花を咲かせることだろう。

 

 

 

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