※下記記事は2011年8月5日の「ヒーリングクァンイン 」の記事に加筆修正したものです。

 

 

元来人付き合いが悪いというか、無闇に他人に迎合するのを厭う性格からか、私は人生の大きな選択の場面で人が行かない道を選んできた様に思う。

 

進学する大学を決める時

就職の時

配属の時

会社での業務内容

そして、転職して気功治療(ヒーリング)の仕事に就いた時

 

常に私は人に流されず自分の頭で自分の人生にとって最適な道を選択してきたつもりだ。

多くの人が進まない道を歩まなかったのは、価値観が独特だったからなのだろう。

幾度か周りの人から「前例がない」というアドバイスをもらった時もあったが、道は自分で切り拓くものと考えていた。

こんな調子だからマイペースな奴だと思われていただろう。

 

 

これまで選択の時、目先の損得に左右されず積極的に苦難の道や厳しい道を選んだ時もあった。

そのお陰か何かと大変な人生だったと思うが、その代償か得るものも大きかったと自負している。

 

 

 

今私がこの道を進もうと思っているのは「阿呆の道」だ。

「阿呆」とは文字通りアホのこと。

皆できれば賢くなりたいと思っていて頑張っているのだと思うが、誰も阿呆になろうとは思わないだろう。人と違う道とはこのことだ。

周りを見渡せば社会の常識で頭がカチカチになっているお利口さんだらけだ。

 

マスコミが流している情報や学校教育で教わった内容などが必ずしも真実であるとは言えないというのに。

私の思想哲学が常識的なものとかけ離れていることは、サットサンガ(真理の集い)に参加してくれている方々はよくご存じのことだろう。

 

阿呆は人と考えることが全く違うから阿呆なのであり、損得勘定なんてないし、行動は予測できずつかみどころがない。

自分の頭の中の世界で社会の一般常識とはかけ離れた大きな事を考えている。

阿呆は誰にも縛られない、拘束されない、真の自由を持っている。

そう、こだわりや執着が少ないのだ。

 

お得なことがあっても自分より人をたてて自分は引っ込んでしまう。

心優しく愛に溢れ、尚且つ人間の器が大きくないと阿呆にはなれない。

阿呆の頭の中は余人には窺い知れないのだ。

一歩間違えると危ない人と見られてしまう。

 

 

私は気功治療の力をあげるため、より神仏とつながるために阿呆になろうと決心した。

瞑想をしていた時も「本を余り読まないように」と本ジャンキーで情報メタボの私にメッセージが降りてきたばかりだ。

悟った人に学者なし、小利口では神に近づけないのではと思っている。

 

 

私がこう思うようになったのは過去に超絶的な癒しの能力を持っている人の共通点を考えたところ阿呆に鍵があるのではないかと思うようになったからだ。

その一人、黒住宗忠は自身を「阿呆の修行をしてきた」と現に言っている。

黒住宗忠

黒住宗忠は黒住教を開いた幕末の神道家。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は男も女も阿呆な奴が大好きだ。

私の人相は今のところ阿呆にはほど遠いのだが・・・阿呆みたいにいつもほんわかニコニコしていることを心掛けよう。

そして、同じ阿呆な奴に好かれる人物になりたいと思う。

これからそう修行していこう。

きっとワクワクして人生が愉しくなるだろう。