「もれそう・・・」
皆さん、こんにちは。
今日は表題の通り大便のお話をします。
もし、お食事中の方がいましたらこのサイトから一旦離脱していただいた方が良いかもしれませんね。
私は、いつもという訳ではないのですが、聖地や修行場に行く前日、または直前に急にお腹が痛くなることがあります。
この場合の腹痛と言うのは便意を催し、腹を下すということです。
時として少々困ることもあるのですが、皆さまはこの様な経験はありませんか?
さて、一旦、大便について考えてみましょう。
大便の構成はほとんどが食べ物のカスだと考えている人も多いと思いますが、それは違います。
大便の構成は実はこの様になっています。
- 水分 約80%
- 古くなった腸粘膜 約6%
- 腸内細菌の死骸 約6%
- 食べかす 約6%
食べ物の未消化物というのは実に6%位しかないんですね。(少なっ!!)
昨晩食べた大量のごはんやおやつは一体どこに行ってしまうのでしょう??
それだけではなく氣(エネルギー)の診方を加えると、大便は食べカスや身体の老廃物と併せて体内の邪気を排出しています。
よく腹部に邪気が溜まるのですが、大便をすると腹部の邪気が出て行ってスッキリします。
大小便の水分やガスに邪気が含まれていて、排泄時に出て行くのです。
聖地や修行場など神気が多い場は不浄な身体では受け付けてもらえません。
そのため、昔から女性は生理中の期間は寺社仏閣に行ってはいけないと言われています。
例えば神社の神様から呼ばれている時、不浄な物(老廃物や邪気)をたくさん抱えては行けません。
神社などの聖地に呼ばれる場合は、行こうと決心した時点から気(エネルギー)が動きます。
その時期から既にそこの神様とつながっているのです。
次のケースは聖地訪問ではありませんが、私の斡旋する「五鈷杵(ごこしょ)」という法具(神気が入ったパワーアイテム)をご注文頂いたお客様からこの様なメールをもらいました。
「あと昨日の夜寝る前位からよくわからないんですが、今まで感じたのとは違う非常に心地よいエネルギーに包まれているのを感じています。
前回の独鈷杵(とっこしょ)の時も入手前からエネルギーは感じていたのでやはり今回も?と思いました。」
参考:(邪気祓い開運堂)
この様に気(エネルギー)というのは決心した時点から働いていることがあります。
このお客様の場合は、法具を注文してから法具に入魂されている神とつながり、法具が手に入る前段階から神気が既に届いているので、この様な感覚を受けているのです。
神縁があり聖地に呼ばれる場合は、行こうと決心した時点から神気が働き、その人が持つ不浄な邪気や老廃物が除去されます。
人によってその反応は様々で、あたかも気功治療を受けた後の好転反応の様ですが、下痢をしたり熱が出たりけだるくなったりするのが多いパターンです。
邪気も腹部に溜まりますが、神様の気(=神気)も頭の前方から腹部まで入ってきます。
私の場合は、聖地や修行場に行こうとするとその前に腹痛が起こることが多いのですが、それは不浄な気(エネルギー)や老廃物を排泄させて、より清浄な身体にするための神様からの恩恵であります。
邪気を排出した分、ご神気もたくさん受け取ることができるのです。
腹痛はちょっと苦しいけれど、心身が浄化されますので大変ありがたい現象なのです。
また、私は寝たきりのお婆さん(以下、Sさん)のところへ長く出張療法に出かけています。
Sさんは寝たきりの生活が長いので、気功をしても寝たきりの状態は変わらないのですが、身体に生じる様々な不調は気功治療で楽になります。
Sさんは別所沼の弁天様のご加護が強い方で、私はSさんのところに行こうとすると決まって便意をもよおします。
それが毎回の同じ時間に起こります。
その度に不浄なものを落としてから来る様にされているのだろうと考えています。
「水野気功療法院」の店舗も波動が高い場であり、私は普段からそこにいるので慣れてしまっていますが、お客様の中には到着すると毎回決まって「トイレ!」と駆け込む人も珍しくありません。
排便には食べ物の排泄だけではなく、浄化の反応のこともあるということがお分かりいただけたでしょうか。
浄化の反応は排便だけではないのですが、大きな浄化が起こる時はひどい下痢を伴うことが多くあります。
下痢をすると正露丸などの薬を飲む人がいますが、せっかく浄化の反応が起きているのにそれを止めてしまったらもったいないというか恐ろしい気もします。
浄化の排便の場合は、次の様な感じを受けます。
- 身体が軽くなる。
- 気分がスッキリする。
- 頭のモヤモヤがとれ頭がクリアになる。
- 視界が明るくなる。
- 呼吸が深くなる。
- 全身の気の巡りが良くなる。
特に③が多いでしょうか。
排便とは食べカスを出すだけではなく、腹部に溜まった邪気を出してくれますので、毎日お通じがあるというのは本当にありがたいことなのです。
私はこれまで末期がんで大便が1か月も出ず苦しんでいた方を何人か見て来ていますので、排便のありがたさを身に染みて感じています。
いつもあることだから当たり前になってしまっているかもしれませんが、その当たり前のことがありがたいのです。
実際、「生きている上でこの時程幸せな瞬間はない(笑)」と、便座に座りながらいつも思っているのです。