現代に生きる人は、ほとんどすべて時間に縛られて、時間に追われて、生きています。
過去・現在・未来と時間が移り行く中で、人生の約80年の生を与えられて、その中で燃える炎の様に生き、そして炎が燃え尽きる様にして死んでいきます。
時が経てばやがて消える。
それが人生であり、人生という時間です。
時間というものは、考えてみればみる程わかりません。
というか、ほとんどの人は時間を当然あるものとして、その本質について深く考えることもなく人生を終えるでしょう。
時間という大きな謎に挑んできたのは、物理学者・哲学者・心理学者、そして宗教家です。
それぞれの知識・背景・体験を武器に、人類の最後に残された時間の謎というフロンティアに挑戦してきました。
しかし、今のところ時間というものの本質について解き明かされていません。
世界最高の頭脳であっても、先端の物理学であっても、この謎を解き明かすことはできないのです。
イギリスのグリニッジ天文台の時間を世界の標準時として、日本でも国立研究開発法人・情報通信研究機構が日本標準時を決定・維持しています。
標準となる時間があり、誰もがそれに則って生きています。
特に日本人は時間を厳守する慣習がありますから、尚の事そうで、時間に遅れることに対して憤りを感じることも少なくありません。
しかし、よく考えてみると、時計のない時代もあったのです。
例えば江戸時代の人達は、当然ながら腕時計も持っていませんでした。
その時代の人々はどのようにして時間を計測し認識していたのでしょうか?
結論を言えば、かなり時間にアバウトだったのです(笑)
というか、時計がないので人々が共通の指標とできる時間はありません。
だから当然と言えば当然です。
例えば待ち合わせをするとしても、「亥の刻に待ち合わせしようぜ」という感じで、大まかに把握していたに違いありません。
さぞデートの約束も大変だったことでしょう。
おそらく1時間待たせてしまうという輩も珍しくなかったかもしれません(笑)
当時はそれで腹を立てたりもしないのでしょう。
そもそも、電話もメールもLINEもありませんから、どのようにしてデートの約束をとりつけていたのでしょうか?
一応、日時計を基準に定期的に時を知らせる鐘を突く職業の人達がいたということですので、だいたいの時間はわかった様ですが、今とは時間の精度や感覚が違いすぎます。
時計は16世紀にガリレオ・ガリレイが振り子の原理を発見したことで、時を計測する精度が格段に進歩しました。
振り子の大きさに関わらず、振り子の振りが2秒で一定であるということを発見したのです。
それから、17世紀にアイザック・ニュートンが万有引力の法則を発見。
誰がどこで何をしていようが関係なく流れる「絶対時間」という概念を発見し、それが科学の分野で定着しました。
今でもほとんどの人達は、時間の概念を「絶対時間」のごとく認識して生きています。
つまり、世界中の人々が、どこで何をしていても共通する時間軸に存在するという認識です。
それはQさんとBさんが違う時間軸にいるとは想像もしない、地球上のすべての人間が共通の「標準時間」という基準となる時間の流れの中にいるということです。
しかし、その後革新的な発見がされ、現代の物理学に大きな影響を与えました。
それが、アルバート・アインシュタインの発見した「特殊相対性理論」です。
相対性理論はとかく難解と言われていますが、数式で検証するのは一般人には無理としても概念はだいたい理解できます。
「特殊相対性理論」は、運動する者の時計の進みはゆっくりになる。
光の速さに近づく程、時間の遅れは強まるという概念です。
20世紀になり、宇宙時代が幕を開けるその前にこの特殊相対性理論が発見されました。
その時アインシュタイン博士はまだ26才という若さでした。
その約10年後にアインシュタイン博士はそれを発展させた理論を発見します。
それが「一般相対性理論」で、重力場によっても時間の流れは変わるという概念です。
それは、重力の強い平地にいるQさんと、重力の弱いエベレストの頂上にいるTさんとでは時計の針の進みが異なるという発見です。
この場合、重力の弱いTさんの方が時計の針が早く進み、重力の強いQさんは時計の針がゆっくり進むのです。
つまり、どこにいるかによって時間の進みが異なるのです。
この概念は革命的でした。
なぜなら誰もが共通の時間軸の中で生きていると考えられていたのが、実はそうではなかったというのがはっきりしたからです。
「標準時間」に対して、その人だけが持つ時間軸を「固有時」と表現しますが、本当は人は「固有時」を生きていたのです!
映画でも宇宙旅行から帰ってきた人が、地球に着いたら宇宙での時間以上に地球時間が経っていたというストーリーも珍しくありません。
近年では「インターステラー」がそうです。
私はこの名作が好きで、長い映画ですが何回か観賞しました。
その度に「う~む、なるほど~」と唸っています。
主人公のクーパーは惑星探査に出て、地球に戻って来た時に娘のマーフがお婆さんになっていて、まさに今わの時を迎えているところでした。
これは浦島太郎と同じ現象です。
浦島太郎もきっと亀(UFO)に乗って、宇宙か異次元か時間の流れの違う世界に行っていたのでしょう。そう思いを馳せるとワクワクします。
宇宙時間と地球の時間が違うというのは、納得できるのではないでしょうか。
この時間の速さが異なる現象は宇宙だけではなく、この地球上でも起こるのです。
もっとも宇宙程はっきりとした時間の乖離がわかるものではなく、極小の誤差が現れる程度です。
それでも時間の流れに早いところと遅いところが存在するというのは驚愕の発見と言えるでしょう。
相対性理論とは、重力の強く濃いところ、速いスピードで移動するところ、そこでは時間の流れが遅れるという理論です。
重力と気(エネルギー)は厳密には違う性質ですが、五感で感知できない力という観点に立てば同じカテゴリーのものといえます。
気(エネルギー)は現代の物理学でもその正体がわかっていない様ですが、気の濃いところ、気という力が密になるところ(エネルギー場)では時間の経過がゆっくりになるのではという仮説を思いつきました。
私は気(エネルギー)を熱感よりも力として感じます。
気力が高まる時は、身体に力が漲っているのです。
力は目には見えません。
重力も目には見えません。
両者の性質は近いものだと思います。
物理的な移動の速さ、場所の高低によって時間の経過が変わるのであれば、気(エネルギー)の濃淡(強弱)によっても変わっているのかもしれません。
よく「本物の気功師は実年齢より若く見える」と言われます。
私自身が実年齢より若く見えるのか、本物なのかどうかは置いておきますが、この言葉の意味は、本物の気功師はエネルギーが強い(濃い)から、そのエネルギー場の時間経過・固有時はゆっくりになっている、年をとるスピードがゆっくりである、と考えることもできます。
私なども瞑想をして気を高めると、どこでやってもそうですが、周りで「バキバキ」「パキパキ」と音が鳴ります。
時に、太い柱が折れる様な「バキッー!」と激しい音が鳴ることもあります。
この様な現象は「ラップ音現象」といいます。
これまで「ラップ音現象」の理由が分かりませんでしたが、自身の気(エネルギー)の密度が濃くなると、重力に歪みが生じ、周りの空間に影響を与えているのではないかと気付きました。
ドラゴンボールの戦闘シーンでも悟空がと気を高めると周囲の石や岩が砕けて飛び散るシーンがありますが、それのスケールが小さい版・カワイイ版の様なものです(笑)
かつて経営コンサルタントの故・船井幸雄氏が絶賛していた2冊の本の内の一つに、「ヒマラヤ聖者の生活探求」というものがあります。
これは、著者で探検家のベアード T.スポールディングがヒマラヤを探検した時に遭遇した聖者の生活一般について著したものです。
その中に、スポールディングが目にした数々の奇跡的現象の記述があるのですが、村に住む20才台に見える若い娘さん達は実年齢が100才を超えているというシーンがありました。
どのようにすればその様な不老現象が起こるのか!?
その理由は書いてありませんでしたが、聖者の村はおそらくエネルギーが強い気場であり、そこに住む人達も修行が進んだ人ばかりで、高いエネルギー状態を維持していたためではないかと推察します。
高いエネルギー(密度の濃いエネルギー)であるからこそ、重力が歪み時間の経過がゆっくりになっているのかもしれません。
重力は力の強いところ程時間の経過がゆっくりになるからです。
または、強い気(エネルギー)が細胞やミトコンドリアに何かの影響を与えているのかもしれません。
その観点に立てば、女性が若くありたいという願望は、美容法云々という技術的なものに目を向けるのではなく、いかにして自身のエネルギー場を強く濃いものに変えていき、「固有時」の進みを遅くするかという点に発想を変えた方が良いかもしれません。
そのためには、1に瞑想、2に呼吸法でしょう。
特に瞑想を継続することで心身のエネルギーは変わっていきます。
修行が進むにつれ、エネルギーは強く濃密になりますから、その副産物的な効果で若返りの作用も期待できると思えば夢が膨らむというものです。