夫婦には、子供がたくさんいる夫婦もあれば、子供がいない夫婦もあります。
皆がそうとは限りませんが、得てして子供がいる夫婦は子供のいない夫婦のことを羨ましがり、一方子供がいない夫婦は子供のいる夫婦のことを羨ましがります。
例えば具体的には、次の様な感じです。
子供がいる夫婦は、子育てにたくさんお金がかかります。
特に教育費が重く、私立の学校に兄弟で通えば、家計に余裕がなく、貯金もままならず生活に汲々している家庭も多いのが実情でしょう。
また、お母さんは子供につきっきりになるため、自由になる時間も余りありません。
そんな夫婦が子供のいない夫婦のことを見れば、「お金が貯まっていいなぁ」とか、「自由になる時間がたくさんあっていいなぁ」と羨ましく思うこともあるでしょう。
一方、子供がいない夫婦は、子供のいる夫婦を見て「子供がいて賑やかでいいなぁ」「老後は支えて貰えるんだろうなぁ」と羨ましく思うこともあるでしょう。
結局、どちらもないものねだりなのです。
そして、子供がいる方が偉い訳でもありません。
どの生活スタイルを選択するかという違いに過ぎません。
中には、「この生活スタイルを選んだわけではない」と思う人もいるでしょうが、人は自分の置かれている環境で成長するしかないのです。
よく師匠が、
「子供がいない夫婦は、過去世で既に親行を終えているから、今世は別の使命があるのだ」
と、語られます。
子供を育てるということは、20年以上に渡り子供につきっきりになります。
子供を育てるという行為によって「ああでもない、こうでもない」と思い悩み、それがストレスでかなり消耗することも珍しくありません。
目の中に入れても痛くない程かわいかった子供が成長し、子供から「ババア」と罵られて涙するお母さんの話も時々耳にします。
親は子供を教え導くのでありますが、親が教えている様で、実のところ親が子供から学んでいることもたくさんあります。
子供を育てることは一つの修行であるということから、子育てのことを「親行」と言います。
森に籠ったり、荒行をしたりする宗教の修行とはまた異なる意味で、きついきつい人生の修行なのです。
子供を持たない選択をした夫婦は、その大変な修行を過去世で終えた人達であり、霊性が高いという見方をすることもできるのです。(皆が該当するとは限らないのは自明の理です)
子供を育てることに係る時間と労力を仕事につぎ込み、社会のために活かしていくことができます。
また、霊性修行に関心がある人は、子供に煩わされることもなく、思う存分修行に打ち込むことができます。
その様な生き方は、自身の魂が喜ぶことではないでしょうか。
修行に励んでいる人は、子供を持たない人が目立つ様に感じますが、その様な人達は子育てそのものに関心がない様にも見えます。
また、子供がいる夫婦は、子供のいない夫婦のことを、「(共稼ぎで)お金が貯まっていいなぁ」と考えがちです。
そして、「私も子供がいなければもっとお金が貯まるのに・・・」と羨ましく思うのです。
今月の修行で、ちょうどこの様な話題が上ったこともあり、それに対して師匠が次の様に諭しました。
子供がいなければお金が貯まるだろうというのは、思い込みに過ぎない。子供がいて、子供の養育費を稼がなければならないと思うからこそ仕事に精が出てお金を稼げるのだ。
そう考えると、社会でこれまで頑張って来られたのは子供の存在のお陰でもある
もし、子供がいなかったら・・・今と同じペースで仕事をしているだろうか?・・・おそらく仕事の手を抜いてペースを落とすだろう。
または貯まったお金を違うことに使って、結局はお金がなくなっていることだろう。
そう考えてみると、なるほどと思う人も少なくないのではないでしょうか。(子供のいない人が仕事の手を抜いているという文意ではありません)
子供を養わなければならないという重荷があったために、頑張ってこられたのかもしれませんし、子供の存在のお陰で社会の発展に貢献できていたのかもしれません。
子供を持たず共稼ぎで生活している夫婦を羨ましく思う貧しい発想をする人は、子供を持たなかったとしても結局はお金が貯まっていないに違いありません。
結局、子供がいる方が幸せか?子供がいない方が幸せか?・・・そんなことに優劣を付けれるはずはありません。
私は、人生で味わう幸せの総量と不幸の総量は生まれる前にあらかじめほぼ決まっていると考えています。
それが、グッドカルマ(徳)とバッドカルマ(業・因縁)のバランスです。
そのため、子供を持つか持たないかの生活スタイルによって、幸せや不幸かが増えたり減ったりはしない。
幸せや不幸がどのような形で現れるかの違いに過ぎないと考えています。