自己実現とは、自分の望む世界を創造すること

  • 悟りと自己実現の関係

よく(ちまた)で『悟りを啓く』といいます。

この意味はわかっているようで、実はわかっていない言葉だと思います。

『○○を悟る』という言葉には、目的語があるものですが、その目的語が曖昧です。

だから、わかる様で、よく意味がわからないのです。

その目的語が何であるか・・・確かに明確な答えは無いのですが、強いて言うなら

世界の成り立ちを、悟る

この世界の仕組みを、悟る

人間とは何かを、悟る

人間はどこから来て死後どこに行くのかを、悟る

人間の意識とは何かを、悟る

意識はいつどのようにできたのかを、悟る

意識とは何か、魂とは何かを、悟る

神とは何かを、悟る

・・・差し詰めこのようなところでしょうか。

さらにもう少し深めると、

自分自身がこの世界の創造主であることを、悟る

ということです。

難しい話が出て来ましたね。

自分自身が創造主とは一体何でしょうか?

人類の99.9%は、自分自身をこの地球という舞台の一構成員として考えています。

地球に住む他の多くの人と同じ構成員として捉えているのです。

それは確かにもっともな認識です。

しかし、創造主とはそのような考えと真逆で、地球の環境、天候、災害、社会現象など全ての見えたり感じたりする世界は『自分』がクリエイトしていると考えます。

普通、災害のニュースを見れば、自分の住む地域ではない時には、

『ああ、うちの地域でなくてよかった』

『災害に遭われた人はかわいそうに』

などと自分と切り離して考え、どこか安堵するものです。

自分が関与しているとは、毛頭考えもしません。

しかし、創造主である場合は、そのようにお気楽に考えません。

『自分の内面の何が問題で災害が起こってしまったのだろうか?』

『自分の言動や思考の反作用として起こってしまったのではないか?』

と原因が自分にあるかのように考えます。

例えば、コロナが世界で蔓延している状況を例にとれば、

『自分の何が問題で、このような混乱が世界中で起こっているのだろうか?』

と内省するのです。

地球、国家、地域などの外部環境で起こる様々な現象は、自分の内面の投影と捉えるのです。

つまり、何か災害でも起きようものなら、責任の一端は自分にあると内観するのです。

これが、「自分」が世界の創造主という意味です。

この視点や思考法を机上の知識として知るのではなく、体験で()ることが、悟りです。

意識の高い人程、このような外部環境と自身の内面を同一化して認識しているものです。

その意味で言えば、今現在の自分の状況・・・例えば、仕事・家族・年収・肩書き・人間関係・住環境、容姿・健康などの人生の設定も全て「自分」が創造したものになります。

輝かしい明るい人生であっても、人に言えないような悲惨な人生であっても、その全ては自分自身が創造したから、現在そうなっているのです。

そして、それを踏まえれば、これから先の人生がどうなるかも、やはり自分の創造次第ということになります。

心配の多い平々凡々の人生を送っている人が、現在の延長で未来を創造すれば、世界はそのように心配事が尽きない惨めな人生が進んでいくことでしょう。

一方、心の底からこうなりたいという輝かしい理想像を描けば、世界は忠実にそれを再現していくことでしょう。

人生がどれほどの素晴らしいものになるかは、個々人が好き勝手に想像すればよいのです。

そんなのは、実に簡単なことです。

それなのに、何かとマインドに制限を設けて、それが実現しないよう自分自身で足を引っ張っている人が大半です。

例えば一億円稼ぎたいという夢があるとしましょう。

一億円というと、大金持ち・偉い人・社長などのイメージを抱く人が多いでしょう。

そして、普通は(はな)から自分には実現不可能と怖気付きます。

それが、自分のマインドの制限です。

誰も「あなたには絶対無理」と言っていないのにも関わらず、なぜか勝手に「自分はできない」と決めつけてしまうのです。

それって、おかしいと思いませんか?

一億円とは、日本では100人に1人が持っている金額です。

まぁ、そこらじゅうにいる訳で、400人の中学校で学年1番になるより簡単です。

それを知ることができれば、それなら「自分にもなれそうだ」「できそうだ」と実現可能な目標に変わって来ます。

マインドは、自分自身に何かと「無理かも」という制限を設けてきます。

でも、よくよく検証してみると、別にそれには深い理由もないのです。

マインドが足を引っ張って来るのは、マインドのトラップ(罠)と言えます。

そのトラップがあるから、夢を描けば良いとは言うものの、なかなか夢は実現しないものなのです。

もう少し付言すれば、夢という言葉はどこか(はかな)さを伴います。

『昨夜夢を見た』と言えば、空想を見たという虚しい響きか残ります。

ですので、私は夢という言葉を使う使わず、ビジョンという言葉を使います。

ビジョンは、人生の鋳型であり、明確にそれが設定できれば、人生は歯車がかみ合った様に回り出し、それにひたすら向かっていくことになります。

そして、そのシナリオが動き始めると、様々な縁やチャンスが到来し、それを一個一個着実に掴んでいけば、鋳型が徐々に実体化し現実のものになっていきます。

これが、世界を創造するということです。

本当は誰でも自分がこうありたいという世界を創り出すことができるのです。

誰に遠慮することもありません。

何でもできるのです!

ですので、自分がこうなりたいというものがあるなら、そのビジョンを明確化するのが何より肝心になります。

  • 何はともあれマスターを見つけること
マスター・オビ=ワン・ケノービ

そして、これは現実化の技法となりますが、まずやらなければならないことは、自分の理想像に近い、マスター(メンター・師匠・先生など)を持つことです。

優秀なマスターの指導を受けられると、自分の能力が極限まで伸長します。

私もそれは自分自身で経験しています。

受験生の時、サラリーマンの時、気功師になった時・・・その時々で優秀なマスターが現れて不肖私を導いて伸ばしてくれました。

その縁がなければ、現在の自分はないと断言できます。

ポンコツのマスターに付けば、自分の成長は余り期待できません。

マスター次第で今後の伸びが決まると言っても過言ではありません。

やはり、人は自分よりも優れた存在の刺激によって大きく成長するのです。

ですから、まずはマスターを探し求めるというのが最重要になります。

しかし、これは急には現れてこないかもしれません。

霊性修行の道では、安易にマスターを求めあれこれと師事するよりも、その時間を優秀なマスターを探す時間に使った方が良いと言われます。

例え、修行開始が3年遅れたとしても、優秀なマスターであれば簡単に挽回可能なものです。

「自分はこうありたい」と描いたビジョンが、(おぼろ)げな段階から明瞭になってくると、マスターとの縁が自然に現出してきます。

霊性修行では、マスターは既に受け入れる準備ができていて、弟子の準備ができるのを見えないところで待っていると言われます。

自分が「この人だ!!」と確信できるマスターを見つけ出すことができたら、弟子の中でも最もお(そば)にいられる様に熱烈に師事するのです。

この(そば)にいるというのが、とても大事です。

芸事では、昔から徒弟制度があります。

これは師匠と寝食を共にするというもので、技能を教えてもらうことだけではなく、様々な生活の雑用をやらなければなりません。

実際は、技能を教えてもらう時間は少しで、大半は雑用の世話に使われます。

掃除洗濯やお使いをしたりすることは、一見すると時間と労力の無駄です。

しかし、そうした雑用をこなしながら、師匠の持つ空気に触れることが何より得難い財産になります。

その時間に、成功者であるマスターの思考法やマインドに触れることができるからです。

様々な技能は、そのテクニックを学ぶだけでは伸びに限界が生じます。

その伸びを最大にするには、成功者のマインドを我が身にコピーすることがカギになります。

もうすこし、深く見れば、師匠が持つ気(エネルギー)に触れる時間を多く持つことが、その気の伝授を受けることになるのです。

私も九州に師匠がおりますが、毎月の修行に飛行機を使って参加しています。

もう12年位になるのでしょうか?

毎月の修行のみならず、海外の修行も欠かさず同行させていただきました。

休んだのは、引越と祖母の葬儀とあと1回の計3回だけです。

そうすると、300回近く飛行機に乗っている計算になります。

私の様な平凡で未熟な人間を引き延ばしてくれたのも、ひとえに師匠の偉大さのお陰と言えます。

これから何かを為さんとする人は、マスターを持つ重要性が分かっていただけたでしょうか。

しかし、素晴らしいマスターを持てば、後は勝手に上手くいくという程甘くはありません。

優秀なマスターであればある程、厳しい指導が待っているはずです。

しかし、そんなマスターは自分を犠牲にしてでも弟子のことを護って、指導し、伸ばしてくれることでしょう。

そんな偉大なマスターが、これを読んでくれた方々に現れて来てくれることをお祈りします。

そして、それぞれの道で大成されることを楽しみにしています。

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