「道を究めるには、エゴを捨て去ることが肝要」の続きです。(読んでいない方は先に読まれることをお勧めします)
易の大家の中根師が大東流合気柔術の武道家・佐川幸義氏を間接的に鑑定する場面です。
合気という不思議な力のことを易家が語ります。
合気と気功治療の気はエネルギーが違います。
合気と気功治療では、武道と治療というエネルギーを活用する目的も違います。
しかし、同じ見えない意識の力という点では、その性質や進歩に共通するところがあります。
易の大家が語ることは、気功の道を歩むものにも大いに得るところがあります。
大きな意識とか想い、これが合気の本質ですね。
「深淵の色は 佐川幸義伝」(津本陽)
宇宙には、色々なエネルギーが存在しているのね。
自分という小さな人間という媒介を通して、宇宙の大きなエネルギーの存在が証明されたり、実感されるように出来ているのね。
宇宙の巨大なエネルギーも小さな人間を通してその力を発揮する。
人間と宇宙の関係というものが、相互作用のように繋がっているみたいね。
これは自分の力でやろうと思っては出来ない。
力を使ってはいけない。
大きな意識を使っていくのだけども、大きな意識は、肉体的な力と心の力が嫌いなのね。
人間と宇宙が相互作用のように繋がり、お互いに影響を与えているというのが宇宙の真理なのでしょうか。
人間という肉体という器、超精密機械、その中でないと、それが実感できない。
だから、この不自由な肉体をまとってこの世に生まれてきているのです。
しかし、宇宙という大きな意識は、肉体的な力と心の力によって妨げられることもあると中根師は説きます。
ここから、心の力の説明に入っていきます。
自分はすごく出来るという自信があったり、自慢に思えたり、優越意識、そういう心があると、意識の心が大きな天からの意識にぶつかってしまい駄目になってしまう。
「深淵の色は 佐川幸義伝」(津本陽)
心と身体も柔らかく穏やかでなければ、すごい域まで行けないし、悪い気とぶつかってしまうとやられてしまうことがあるから、心を平常にして、決して満足したら駄目なんですね。自分をすごいと思っては危険です。
先の項(「道を究めるには、エゴを捨て去ることが肝要」)で述べたように、エゴの意識が宇宙との繋がりを妨げることをここでも易家が語っています。
私自身は自分がすごいと思うことがないので、優越意識という点では大丈夫かと思ってはいますが、他にも心を縛り付けているエゴが潜んでいるのでしょう。
気功治療も、自分自身の力ではなく、大きな意識(神仏の力)を使います。
ここでも、やはり自分が治したとか、自分の力はスゴイと思い上がると、そこで成長は終わります。
私が気功治療の方法について「導管に徹する」と生徒さんに伝えるように、導管に自らのエゴがこびりついて詰まっていては、神力は通らないという原理になります。
更にここから中根師は危険性について言及していきます。
宇宙には色々な意識があるからね。
「深淵の色は 佐川幸義伝」(津本陽)
この世にも宇宙にもあらゆる気があるから、進歩して人間の常識のレベルを超える域になればなるほど、色々な魂との波動も影響するので、自分の魂を無心にしていられる心でないと怖いことになるのです。
自信がつくと頭をやられてしまったりするから絶対に平常心でいること。
人格者でないとすごい超人の技を持てるようにはなれないものがありそうですから、気をつけないとね。
ここでは無心や平常心の重要性が説かれています。
私は遠隔気功を数多く重ねてきたためか、近年はその人を少しでも思うとその相手の魂のエネルギーの影響を感じるようになりました。
心の距離が近いほどその影響は大きくなります。
そのため、「人は繋がっている」というテーマのブログをいくつか書き出している次第です。
人と人が繋がっているのに、自分自身のメンタルが乱れていると、更に輪を掛けて乱れが大きくなります。
どんなときにも平常心で、静かな湖面のような穏やかな心を保つことが修行になります。
それが、明鏡止水の心です。
湖面が風で乱れているようではいけないということです。
何が起きても動じない、不動明王の如く鉄壁の不動の心を涵養したいものです。